怪異学用語集



怪異学に関わる用語をまとめました。
研究の手がかりに、怪異学の理解の一助になれば幸いです。
<文責:東アジア怪異学会>

怪異   もののけ   災異説と天人相関思想   御霊   化物  


怪異/【かいい】【けい】

 現代日本において「怪異」とは、「かいい」「けい」と読み、不思議なこと、あやしいことを示す語である。しかし、現代社会で通俗的に使用される「怪異」が示す不思議なことと、古代の記録に残る「怪異」が示す出来事とは、異なっていた。すなわち、鳥が集まる、狐が鳴くといった動物の行動や、火山の噴火、地震、異常気象などの自然現象をさす場合が多かった。
 本来この語は、中国古代の災異思想にもとづく。前漢の武帝に仕えた儒学者、董仲舒の天人相関説にもとづく考え方である(『漢書』董仲舒伝)。天と人の行ないが連動し、為政者である皇帝の失政を戒めるために、天が「災害」「怪異」を起こすのである。「怪異」は「災害」と対になる語であったことがわかる 。「災害」「怪異」を引き起こす天について、「天帝」や「上帝」という人格を持つ天と人格をもたない天の二つに整理できる(佐々木聡2012)。この災異思想は、天武朝には国家の理念として受容され、律令に規定され、藤原広嗣が反乱を起こした際の上表文にも記されている(『続日本紀』天平十二年(740)八月癸未条)。
 ところが、王の失政を戒める天については、わが国では定着せず、神の祟とそれを認定する卜占のシステムが日本古代の怪異認識の形成に影響を与えている。したがって、日本古代の怪異は、国家システムによって認定され、政治的な予兆として記録に残されているのである。
 時代がくだると一般の貴族や知識人が、国家システムが認定する予兆に限らず、個人の日記などに「怪異」を記録するようになった。「怪異」には以上のような歴史的変化があることに注意したい。
 東アジア恠異学会は、史料にこだわり「怪異」の歴史的考察を目的として発足した。本来「恠異」は「怪異」の異体字であり意味上の違いはないが、研究会の正式名称は「東アジア恠異学会」の表記を掲げている。これは古代や中世の文献では、「怪異」よりも「恠異」と表記する例が多く見えることを踏まえたものであり、同時に、「恠異は、忄(心)に在る」という当会のスタンスも込められている。つまり、恠異とは人の心が生み出したもの、人の心を反映したものである、という当会の怪異研究の姿勢がここに表れているのである。(大江篤)

【参考文献】
西山克「怪異のポリティクス」東アジア恠異学会編『怪異学の技法』臨川書店、2003年
大江篤「亀卜と怪異―媒介者としての占部―」東アジア恠異学会編『亀卜』臨川書店、2006年
佐々木聡「中国社会と怪異」東アジア恠異学会編『怪異学入門』岩田書院、2012年



もののけ

 古代においては、目に見えない霊的な〈もの〉が原因と考えられた病や、その〈もの〉が力を発している状態(現象)をさして〈もののけ〉と呼んだ。時代がくだると人に災いをなすもの自体を〈もののけ〉と呼び、妖怪などと同じ意味であつかわれる場合が多い。
 森正人1991によれば、史料上に「物怪(物恠)」と書かれる場合は「もっけ」「もののさとし」と読むべきであり、「怪異」と同じように天からの警告、メッセージとなる災異現象をさす。これは『日本後紀』天長七年(八三〇)閏十二月甲午条に、「請僧五口、奉読金剛般若経、兼令神祇官解除。謝物怪也。」とある例が古く、国家により鎮められるものであった。一方〈もののけ〉は、『小右記』『権記』などの史料上で「物気」「霊気」、より漢語的表現には「邪気」とあらわされる。これは〈もの〉の気(力)にあたって病になった状態をさすと考えられる。〈もののけ〉に悩まされると密教僧や陰陽師による祈祷によって一時的に憑坐に〈もの〉を取り憑かせ、その正体を判ずるということが行われた。そこで霊託が行われたり、調伏が行われたりする。
 「物怪」を「もののけ」と読み、妖怪、化け物一般をさす早い例は、近世初期の節用集に見える。しかし田中貴子2006は『稲生物怪録』も「いのうぶっかいろく」と読むべきだと主張しており、いつ頃から定着した語彙かはまだ解決を見ていない。(久留島元)

【参考文献】
森正人「モノノケ・モノノサトシ・物恠・恠異―憑霊と怪異現象とにかかわる語誌―」
『国語国文学研究』27、1991年
酒向伸行『憑霊信仰の歴史と民俗』岩田書院、2013年
田中貴子『鏡花と怪異』平凡社、2006年



災異説と天人相関思想/【さいいせつとてんじんそうかんしそう】

 災異説は人(特に為政者)の行いが最高神「天」と相応関係にあるという考え(天人相関てんじんそうかん思想)に基づき、災害や怪異を天の警告とみなす考えである。そのルーツは漢代まで遡る。既にそれ以前から天と人の相応やその解釈を説く考えはあったが、体系的な思想として整備されるのは、前漢の儒学者・董仲舒とうちゅうじょによってである。有名な彼の言に「国家にまさ失道しつどうはい有らんとせば、天は乃ち先ず災害を出して以てこれ譴告けんこくす。自ら省みることを知らずんば、た怪異を出して以て之を警懼けいくす。へんを知らずんば、傷敗しょうはい乃ち至る」という。つまり、政治がまずいと天は国を滅ぼすけれど、その前に警告するから、為政者はよく注意せよ、ということである。ただ、その警告は治世の何が問題かという具体的なメッセージではなく、怪異や災害と言った象徴的な現象であった。そこで、漢代では災害・怪異(合わせて「災異さいい」と呼ぶ)を解釈する学問が発展した。災異記録の一つである『漢書』五行志を見ると、董仲舒を初め、学者や政治家による様々な災異解釈が載っているのはこうした理由による。 その後、前漢末頃から災異解釈は神秘的な予言書(図讖としん)と結び付き、学問的な解釈というよりも、占いとしての性格が強くなってゆく。その頃から、災異から未来の吉凶を解釈する占書が多く作られるようになる。その内容を見ると、先ず日蝕にっしょくや惑星運行の異常、またひでり長雨ながあめなどの異常気象、さらに地震や洪水、地殻変動などが挙げられる。例えば『荊州占けいしゅうせん』という占書には、日蝕が起こると、国は破れて大きな戦があり、将軍は戦死する、とある。このように災異とは天変地異や自然災害が中心であるが、一方で動植物の奇形や異常行動、器物・建築物にまつわる怪異現象なども含まれる。日本でも有名な釜鳴かまなりの怪異もその一つである。例えば『地鏡ちきょう』という占書では、釜が鳴動すれば、一年以内に皇帝や皇后が崩御する、と占う。ただし、現代の人々が「怪異」という言葉から連想する幽霊やモノノケなどの記事は、あまり多くはなかった。(佐々木聡)
*本項は佐々木聡「災異と『開元占経』」(水口幹記『古代東アジアの「祈り」』森話社)より抜粋し、一部改変した。

【主な参考文献】
安居香山『緯書と中国の神秘思想』(平河出版社1988年)
佐々木聡編『『開元占経』閣本の資料と解説』(東北アジア研究センター2013年)



御霊/【ごりょう】

 ふつう非業の死を遂げたり、生前の遺恨を晴らせぬまま憤死したりした人の霊魂で、何らかの災いの原因とされ、祭祀の対象とされるものをいう。
そのような「御霊」の初例としては、『日本三代実録』貞観5年(863)5月20日壬午条のものが有名である。同記事は平安京の神泉苑で行われた「御霊会」についてのもので、御霊とは、崇道天皇(早良親王)・伊予親王・藤原夫人(吉子)・観察使(藤原仲成か)・橘逸勢・文室宮田麻呂のことで、彼ら失脚した人々の霊魂が疫病の原因とされたと述べられている。また、鎌倉時代初期の成立とされる『年中行事秘抄』には北野天満宮についての「北野御霊会」という恒例祭祀の記事が見える。
 崇道天皇(早良親王)は『日本後紀』延暦24年(805)4月甲辰条に「怨霊」と記述されており、北野天満宮の祭神である菅原道真も『日本紀略』延喜23年(923)3月21日条に「菅帥霊魂」と記される。これらを根拠に「御霊」は「怨霊」の延長線上に成立したものと一般には認識されている。
 しかし御霊がすべて怨霊のように、個性を持つ死者の霊魂と認識されていたかは疑問である。確かに『日本三代実録』の貞観御霊会の記事に先行する史料にみえる「御霊」は個人の霊魂のことを意味すると考えられるものが多い。例えば延暦24年9月24日内侍宣には「太上天皇御霊」(早良親王、あるいは光仁天皇・聖武天皇など諸説あり)という言葉がみえ、最澄の『長講金光明経会式』にも聖徳太子・崇道天皇たちが「御霊」として姿を見せる。もっともこれらの「御霊」たちが災いの原因とされていたかどうかはよくわからない。
 一方、今日祇園祭として知られる「祇園御霊会」の主祭神である牛頭天王は、防疫神ではあるが、個人の霊魂とは無関係である。また藤原宗忠の『中右記』寛治8年(1094)4月9日条には「稲荷御霊会」とある。『日本三代実録』仁和2年(886)8月4日庚戌条には異常気象を「鬼気御霊」の祟りとする記事もあり、『本朝世記』天慶元年(938)9月2日条には平安京の住民により「岐神」あるいは「御霊」と称される神が祭られたと記されている。このほか『日本紀略』及び『本朝世記』正暦5年(994)6月27日条、『日本紀略』及び『扶桑略記』長保3年(1001)5月9日には平安京周辺で「御霊」を祭った記事があり、いずれも疫神を対象としていたと推測される。
 櫻井徳太郎は、怨霊は怨念が晴らされることが願われたが、御霊はその霊威により災いを除くものとされたと論じている。また、大江篤は、怨霊は平安時代初期の政治状況のもとで創出されたもので、貞観御霊会における御霊の祭祀も、同時代における政治的意図のもとに行われたとし、怨霊・御霊、そして一般的な死者の霊魂は同一視できないことを指摘する。このような見解を踏まえるならば、「御霊」とは怨霊の延長線上に存在するものではなく、神・霊を問わず霊威の強い存在を指す言葉であり、「御霊信仰」としてひとくくりにできない多様性を持っていたと考えられるのである。(久禮旦雄)
※本項は『日本怪異妖怪大辞典』(平成25年、東京堂出版)の「御霊」の項目をもとに、一部修正したものである。

【主な参考文献】
櫻井徳太郎「怨霊から御霊へ」柴田實編『御霊信仰』(昭和59年、雄山閣)
大江篤「「祟り」「怨霊」、そして「御霊」」東アジア恠異学会『怪異学の可能性』(平成21年、角川書店)



化物/【ばけもの】

 「怪異」と表現されている物事が、時代の変化に応じて変化していることを指摘したのは、当学会の成果であり、「怪異」と関わりがある「化物」や「妖怪」なども時代によって特質が異なっている。
 室町後期から近世にかけて普及する辞書『節用集』を見てみると、ほとんどの諸本において化物や妖怪という言葉は畜類や気形といった生類の部門に分類されている。辞書を当時の常識を集積したものだとすれば、化物と妖怪を生類として理解することは、当時一般的なものだったといえる。慶長年間より前に書かれた『節用集』の「妖怪」には「化生けしょう物也」という説明がなされる。化生とは、生物の生まれ方を指す仏語「四生」の一つで、何もないところから忽然と出生すること、また形を変えて生ずることを指す。妖怪とは、何もないところから忽然と生じるもの、あるいは変化したもの、言い換えれば「化け」ものということになる。つまり化物も妖怪も、同じ化生したものなのだ。
 ものが忽然と現れたり、別のものになったりすると、驚いたり不思議に感じることもあるだろう。またそれを「怪異」だと認識してしまう可能性もある。しかし、それが化生という発生の仕方なのだと理解していれば、不思議に思うこともなくなる。『節用集』の分類は、こうした怪異を克服する効果をはらんでいる。
 『節用集』に見られる化物や妖怪の分類は、あくまでも当時の理解の一つである。一八世紀後半になると、「化物」と表現されるものたちが、キャラクターとして黄表紙といった文芸や玩具など娯楽メディアの世界で活躍するが、やはりこれも当時の化物理解の一つである。『節用集』の化物と一八世紀の化物は、どこが連続していて、どこが連続していないのかを考えていくことが、各時代の化物像や妖怪像を明らかにすることにも繋がっている。(木場貴俊)

【参考文献】
木場貴俊「17世紀前後における日本の「妖怪」観――妖怪・化物・化生の物」
『怪異・妖怪文化の伝統と創造──ウチとソトの視点から』
国際日本文化研究センター、2015年




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