研究会要旨
これまでの研究会報告の要旨です。
(第27回例会以降)
東アジア恠異学会第150回定例研究会/第24回オンライン研究会
○「殷王武丁の疾病」佐藤信弥氏(立命館大学白川静記念東洋文字文化研究所客員研究員)
【要旨】
殷代甲骨文には疾病に関する記述が数多く見えるが、その大半が殷代後期の王である武丁の疾病に関するものである。今回の報告ではその武丁の疾病の種類と、近年の甲骨文の分類研究の成果を援用しつつ、武丁の疾病が卜占にかけられた時期について、その傾向をまとめてみたい。その際に、同時期の殷墟花園荘東地甲骨に見える王族の「子」の疾病を比較対象とする。そしてそれに付随して、患部、すなわち身体の部位を示す甲骨文字の字釈上の問題についても議論することにしたい。
○「五色の行疫神と百鬼夜行」崔鵬偉氏(龍谷大学世界仏教文化研究センター博士研究員)
【要旨】
田中貴子氏は、『百鬼夜行の見える都市』において、百鬼夜行のイメージ形成のモデルに疫鬼・疫神の存在を指摘している。拙論「『今昔物語集』にみる疫神・疫鬼—百鬼夜行説話を中心に—」(『説話文学研究』54)では、群がる行疫神の来訪を、三宝の加護によって免れたと夢見る構造を持つ一連の百鬼夜行譚に注目し、『融通念仏縁起』を描く疫病神の群行を論じたことがある。その問題意識の延長線上において、このたびは、清凉寺本『融通念仏縁起』(応永24年(1417)作)「正嘉疫癘段」にみられる行疫神がなぜカラフルに描かれているのかについて考察を加えてみたい。手がかりとして、『法華験記』巻下第八十七話「信誓阿闍梨」などにみられる「五色鬼神」、また『善光寺縁起』やそれを絵画化した『善光寺如来絵伝』に登場する青・黄・赤・白・黒という五色の行疫神を取り上げて、これら鬼神のイメージの形成を合わせて分析する。
東アジア恠異学会第149回定例研究会/第23回オンライン研究会
○「平安貴族の怪異―法制と記録から―」久禮旦雄氏(京都産業大学准教授)
【要旨】
東アジア恠異学会の今までの研究成果では、中国の祥瑞災異思想の影響を受けつつ、日本古代国家の法令用語として、神の意志表示であり、国家による卜占により判断される、国家の危機管理に関する現象としての「怪異」という言葉が創出され、それが国家からの知識の拡散と連動して社会全般に流通し、最終的に個人レベルの「フシギなコト」と同一視されるにいたる、という枠組みが提示されている(『怪異学講義』など)。この国家からの「怪異」の拡散という視点については、法制と記録・説話などの比較から導き出されたものであるが、果たしてその仮説は妥当であるのか、今回は主に平安貴族の日記=古記録の検討から考察してみたい。
東アジア恠異学会第148回定例研究会/第22回オンライン研究会
○「奈良時代の「鬼」意識と出雲国風土記の「目一つの鬼」」−「目一つの鬼」への道、「目一つの鬼」からの道ー」榎村寛之氏(三重県立斎宮歴史博物館)
【要旨】
鬼をめぐる議論には多様なものがあるが、「鬼」字の受容とその定着という点での議論はそれほど活発とは言えないように思う。
本報告では、古事記と日本書紀の比較から「鬼」字で怪物を表す表現形式の定着時期を考え、出雲国風土記の目一つの鬼を素材に、それがどのように反映されたかを検証する。
○ 「ミノガメ(蓑亀)の虚と実—悪左府が冠直衣で臨んだカメ—」後藤康人氏(日本カメ自然誌研究会)、西堀智子氏(和亀保護の会 代表)、野田英樹氏(帝京科学大学 生命環境学部)、加賀山翔一氏(千葉県生物多様性センター)
【要旨】
吉祥存在として認知されているミノガメだが、そのような種のカメがいるわけではなく、甲羅に藻類が付着した状態のカメをそう呼ぶ。つまり日本固有種であるニホンイシガメも、20世紀以降に海外から持ち込まれたミシシッピアカミミガメも、環境によってミノガメになり得る。では歴史資料に記録されたミノガメは何ガメだったのか。今回、主に国内をフィールドとする淡水ガメの研究者と共同して、自然存在ならびに文献上のミノガメについて学際的検討を試みた。「蓑亀」の用例は近世以降であり、江戸前期の本草家である人見必大は『本朝食鑑』で「此亀出處未詳」と述べている。古代日本で改元のきっかけとなった瑞亀であるとの巷説も散見されるが、六国史の祥瑞亀献上記事にミノガメは確認できない。おそらく最も古い記録は久安4(1148)年の「毛生ひたる亀」で、『古今著聞集』には宇治の左府(藤原頼長)が冠直衣で臨んだと記されている。このミノガメが何処からもたらされた何ガメだったのか。吉祥存在として慶ばれたのか。検討および考察の結果を報告する。
東アジア恠異学会第147回定例研究会/第21回オンライン研究会
○「怪異・亀卜をめぐる知識と技術」研究の現状と課題
【要旨】
本報告は、科研「中国の怪異・亀卜をめぐる知識と技術の日本における展開」(研究代表者:大江篤)の
2023年度の調査・研究の概要をまとめ、亀卜研究の現状と課題を考える。本研究は、中国の祥瑞災異思想・
天人相関観念をその思想的な基盤とした「怪異」を認定する卜占、なかでも亀卜を中心に、東アジアにお
ける知識と技術の受容を視野に入れながら、日本における展開を明らかにすることを目的としたものである。
今回は、共同研究者が次のテーマで報告し、今後の研究の課題を検討するものである。
①研究の概要 大江篤氏
②対馬調査について 大江篤氏・久禮旦雄氏
③近世亀卜文献について 赤井孝史氏・髙田宗平氏
④中国の出土卜甲に関する補足整理 佐々木聡氏
東アジア恠異学会第146回定例研究会/第20回オンライン研究会
○「絵入年代記に見る怪異」木場貴俊氏(京都先端科学大学)
【要旨】
歴史上の事件を年代順に記録した年代記(年表)は、江戸時代には商品として多種多様なものが出版された。その中でも、歴史事象を挿絵にした「絵入年代記」に今回は注目したい。絵入年代記は、17世紀終わりに子女向けに刊行されたもので、再版するたびに歴史事象を更新している。挿絵によって歴史を視覚的に把握することを可能にした点は、当時の通俗・教養レベルにおける日本史像の展開を考える重要な史料だといえる。こうした絵入年代記にも、怪異の挿絵が多数掲載されている。今回の発表では、まず絵入年代記に関する概要を述べた上で、怪異に関する事例を考えてみることにしたい。
○ 「神になった天狗」久留島元氏(京都精華大学)
【要旨】
古代中世において天狗は仏敵「天魔」と同一視された。仏教書には怖魔の修法が語られ、天狗道に墜ちた祖霊との対話が記録される。
しかし周知のとおり、天狗は民間伝承のなかで山の神とほぼ同一視され、天狗信仰を掲げる霊地も少なくない。天狗と山岳信仰との結びつきは、中世後期に修験道の信仰として寺社縁起などに天狗説話がとりこまれたことに始まると考えられる。当初は行者に奉仕する、護法神や神使のような存在であったと考えられるが、戦国期を経て近世初期には神仏同様の信仰を受ける存在であったようだ。こうした「天狗信仰」の成立について、拙著『天狗説話考』(白澤社)で述べた私見をもとに一つの見通しを提示したい。
東アジア恠異学会第145回定例研究会/第19回オンライン研究会
○陳宣聿『「水子供養」の日台比較研究—死者救済儀礼の創造と再構築』(晃洋書房、2023)書評会
【要旨】
評者に山田明広氏(奈良学園大学准教授)、
コメントに大道晴香氏(國學院大學助教)をお迎えし、
陳宣聿氏(大谷大学 真宗総合研究所東京分室)の著書の書評会を行いました。
東アジア恠異学会第144回定例研究会/第18回オンライン研究会
○「紀昀『閲微草堂筆記』「殷桐」を推理する」福田素子氏(聖学院大学非常勤講師)
【要旨】
紀昀『閲微草堂筆記』には、一つの復讐譚が遺されている。
ある瞽者が、衛河のほとりで十年余「殷桐」という名の者をさがし続け、復讐を遂げ仇の肉を食らうという話である。
この話には、大きな欠落がある。殷桐は、瞽者は何者なのか、二人の間には何があったのか、何故衛河という場が選ばれたのか、文中では示されていない。「殷桐」には、岡本綺堂による日本を舞台にした翻案「利根の渡」(小説集『青蛙堂鬼談』所収)があり、舞台を江戸時代の利根の渡しに写した上で、原作にあった欠落を埋めている。
岡本が「利根の渡」を芝居にするに当たって「あと先もない方が面白いのであるが、芝居としては然うは行かない」と述べているとおり、「殷桐」はその欠落が魅力である。しかし現代日本人は、乾隆帝時代の衛河がどんな場所なのか、盲人がどんな暮らしをしていたのか、紀昀や紀昀が想定した読者ほどは知らない。「利根の渡」の手法も参考にしながら、「殷桐」の欠落を埋めるのが本発表の試みであり、この試みを通して、社会の中で運河が担う役割や瞽者の生活について新しい知見を加えられれば幸いである。
東アジア恠異学会第143回定例研究会/第17回オンライン研究会
○「〈怪異〉としての皇国—近代神道と心霊研究—」栗田英彦氏(愛知学院大学等非常勤講師)
【要旨】
本発表は、近代日本における〈怪異〉の位相を、近代神道の構築過程の中から探ろうとするものである。古代の国家システムにおける政治的予兆の判断を示す行政用語であった「恠異」は、徐々に民俗へと拡散・浸透し、人々の不安を感じる不思議を指す日常用語となっていく。近世後期の平田篤胤による『仙境異聞』や『稲生物怪録』などは、そのような過程に位置づけられるだろう。だが、平田派国学は幕末維新期の政治的イデオロギーとして大きな役割を果たし、それは明治初期の大教宣布運動として展開した。その顛末は、神社非宗教論、教派神道、教育勅語などで構成された日本型政教分離の確立であったが、そのときに平田派的な異界は公式イデオロギーとは切り離され、「宗教」のカテゴリーに囲い込まれるはずであった。しかし、それを私的ないし内面的領域から解き放ったのが、丹田呼吸法などの身体技法であり、「科学」の水路を提供した心霊研究である。川合清丸、近藤嘉三、福来友吉ら心霊研究・霊術・催眠術に傾倒した人々の神道論を辿りながら、〈怪異〉の近代の一側面を描き出してみたい。
○「柳田國男と怪異学」久禮旦雄氏(京都産業大学准教授)
【要旨】
東アジア恠異学会は、史料にみえる「怪異」を古代・中世の国家の危機管理システムの中で用いられた法令用語として出発し、その後、歴史の展開過程の中で社会の中に流出し、定着したものと結論づけた。これは国家論であるとともに、古代においては「怪異」の判断に用いられる卜占や書籍の知識を管理していた人々が、中世・近世国家との間にどのような関係を構築していったかという知識人論でもある。
では近代国家日本の成立の中で、そのような国家と「怪異」と知識人の関係はいかなるかたちをとったのであろうか。それを貴族院書記官長として、また普通選挙運動期の朝日新聞論説委員として国家に関わり、『妖怪談義』に代表される著作を通じて「怪異」の遠い子孫である「妖怪」を学術用語として構築しようとした柳田國男を事例として、特に彼の『全集』掲載(『定本』未掲載)の講演録にみえる妖怪への言及を中心に考えてみたいと思う。
東アジア恠異学会第142回定例研究会/第16回オンライン研究会
○「中世日本における宿曜道の衰退と展開——空間と祭祀への着目から」濱野未来氏(立命館大学大学院博士後期課程)
【要旨】
中世日本において、吉凶判断のための技術・占術は、生活における指針の一つであった。様々なレベル・種類の占術を担った存在として、陰陽師・宿曜師などが挙げられる。彼らの吉凶判断の源流には、災異瑞祥思想・天人相関説があり、加えて、日常と異なる現象が判断対象とされることも多く、陰陽師・宿曜師らによる占術は「怪異」や災異とも常に密接な関係にあった。
こうした占術を担った存在のなかでも、宿曜道と称される知識・技術を有した宿曜師は、院政期から鎌倉期にかけて活発な活動をみせ、文化面や思想面での非常に大きな影響を与えた。しかし、その後室町期に入ると宿曜師の活動は急速に見られなくなり、同時期に宿曜道は衰退・廃絶するとされてきた。しかし一方で、室町期以降においても、宿曜道の影響が窺える史料は存在することから、中世後期における宿曜道衰退の是非や、その背景については未だ検討の余地があるといえる。
そこで本報告では、宿曜師の拠点とされる「北斗堂」の検討と、宿曜道祭祀の性質について検討することにより、如上の課題について考察を試みる。また翻って、「怪異」や災異をめぐる中世人の認識を把握するための前提として、宿曜道に関する基礎的事実の検討が、怪異学研究の一助となればと考える。
○「天狗礫考」高遠氏(金沢大学大学院)
【要旨】
「天狗礫」という言葉は、現在一般的になじまれた用語として定着している。どこからともなく突然に石が飛んでくる現象を、天狗と山との深い関係で、天狗礫と名付けられたことは、極普通に認識されているようである。
本発表は、天狗が礫を打つことと、「天狗礫」を主な考察対象とする。従来では、あまり意識されてこなかった「天狗礫」の生成、発展と変遷について解明することを目的とする。これにより、歴史学からの「天狗礫」研究の一歩となることを期待している。
南北朝時代にみえはじめた天狗が礫を打つ認識は、江戸時代に入っても受け継がれていった。江戸初期では、天狗と礫は何らかの関係をもつものと認識されていた。それは、中世の名残である。こうした認識は次第に変化をみせ、一七世紀後半に「天狗礫」という呼称が成立した。そして、一八世紀後半より、「天狗礫」は勢いよく普及していった。
東アジア恠異学会第141回定例研究会/第15回オンライン研究会
○「「一目連」考—情報の連鎖と拡大—」村上紀夫氏(奈良大学教授)
【要旨】
三重県の多度神社の境内に別宮の一目連神社がある。現在、その祭神は天目一箇命とされているが、近世の地誌類には「一目連」を祀るとある。神の出現時には暴風を伴うとされ、社殿には神の出入りを妨げないように扉を設けないという。
一目連の解釈について、比較的早期に言及し、その後の言説に大きな影響を与えたのは柳田國男の「目一つ五郎考」である。その後も山の神信仰や風雨の神格化、一つ目小僧など「妖怪」とのかかわりでも論じられてきたが、一目連は山や風雨の神として見られる一方で、一種の「妖怪」に近いものとして学問的な議論の俎上に上がってきたのである。こうした議論の出発点として、妖怪が神の零落したものだという柳田の零落論があった。
柳田による「目一つ五郎考」の冒頭に多度社に境内にある祠に神として祀られる一目連が登場していたのは、柳田が自説の論証にあたって、まず一方の「端」に定点となる一つ目の「神」を配置するためであった。
本報告では、一目連について文献史料を時系列に沿って読み解くことで、一目連についての基本的な事実を確認し、一目連像自体が時代とともにどのように推移しているかを明らかにしたい。また、個々の史料の記述だけではなく、それらの記述がどう読まれて、解釈されていくかにも注意したい。聊か迂遠な方法であるが、柳田が「神」として設定した一目連が定点たりうるかを確認することは、柳田の神と妖怪にかかる議論そのものについて検討することにもなるだろう。
東アジア恠異学会第140回定例研究会/第14回オンライン研究会
○「マンドレイクの採取法—驚異圏と怪異圏をつなぐ伝承」山中由里子氏(国立民族学博物館)
【要旨】
地面から引き抜く際にそのヒト型の根が出す叫び声を聞くと人間は死んでしまう。このような描写が現代のファンタジー小説や映画を通して一般にも広まっているため、マンドレイク(またはマンドラゴラ)は神秘的な力を有した空想上の植物と思われがちであるが、古代から鎮痛・鎮静・催淫などの薬効がある実際の植物として知られてきた。古代・中世ヨーロッパの医学書や博物誌などに表れるマンドラゴラは、今では「マンドラゴラ・オフィシナルム」という学名の付けられた、地中海沿岸に分布するナス科マンドラゴラ属の実在の植物と比定されている。薬としての貴重性と激しい毒性を相持つこの植物の採取法に関しては様々な伝承が、地中海のマンドラゴラの植生分布をはるかに超える地域に伝播した。
本発表ではギリシア語、ラテン語、アラビア語、ペルシア語、中国語の百科全書や医学書のテクストと図像の分析を通し、植物学的・医学的知識と伝承——特に「犬を使って根を抜く」という逸話——の伝播ルートを明らかにする。そして、ユーラシア大陸を横断した語りの伝承力と、交易による人とモノ(薬としての植物や呪物としての偽マンドレイク)の移動について考察する。
○「『関帝明聖経』の諸版本と清代の関帝霊験譚について」小谷友也氏・佐々木聡氏
【要旨】
関羽が神格化した関聖帝君(関帝)に対する信仰は、清代に最も繁栄したとされている。清朝では関帝を国家鎮護の神として崇め、軍事遠征のたびに関帝が清朝を救うという霊験譚が多く創出された。太田出氏は、清朝による関帝の霊験譚に着目し、これらの霊験譚によって清朝皇帝から一般民衆にいたるまでが関帝の加護にあるという意識が共有されたと指摘している(『関羽と霊異伝説:清朝期のユーラシア世界と帝国版図』名古屋大学出版会、2019年 pp.233-234)。
一方、清代における関帝信仰は、民衆にも人気があったことから、民衆間では関帝について書かれた経典が流行した。これを本報告では「関帝経典」と呼ぶ。関帝経典は様々な種類が刊行され、本報告で取り扱う『関帝明聖経』もこうした関帝経典の一つである。
『関帝明聖経』の先行研究としては、王見川氏、李世偉氏、方広錩氏・周斉氏らの研究が挙げられるが、『関帝明聖経』に関する研究の蓄積は多いとは言えない。また『関帝明聖経』にも多くのヴァリエーションがあるが、その中には、「霊験記」などと題した関帝霊験譚を収録するものもある。その内容は、清朝により創出された霊験譚とは異なる性質が見いだせる。例えば「霊験記」には、母や自分の病気を治そうと経典を読経して関帝に祈る人々の姿が記されている。つまり、これらの霊験譚からは、王朝が創出した国家を救う関帝像とは異なる、民間固有の関帝信仰のあり方を垣間見ることができる。したがって、それらを検討することで、より詳細な民衆の信仰文化を明らかにできると考えられる。しかし、これらの民間由来の霊験譚について考察した研究は管見の限りにはない。
そこで報告者らは、現在、「霊験譚」を収録する光緒10年怡怡堂刊本(東アジア恠異学会編『吉兆と魔除け』(同会、2021年)所収17『関帝明聖真経』)を起点として日本で所蔵されている『関帝明聖経』の調査を進めている。本報告では、現状の書誌調査の成果を報告し、「霊験記」の内容を分析して清代の民衆における関帝信仰について考察を試みる。
東アジア恠異学会第139回定例研究会/第13回オンライン研究会
○「神を追いやること—遷却祟神と追儺−」榎村寛之氏
【要旨】
日本では、8世紀頃から、神を追い払う祭祀がありました。『古事記』などに見られるスサノヲの「神やらい」は有名ですが、実際に神を追い払う祭祀が行われていたのです。その代表的なものとして記録されているのが、遷却祟神祭(たたりがみをうつすまつり)と儺祭(なのまつり)です。前者は神祭りで、後者は中国発祥の陰陽道的な祭祀「追儺」として知られています。『延喜式』にはそれぞれの祝詞・祭文が記されており、文言には共通性と相違性があることが知られていますが、これまで本格的に両者を比較する研究はあまりなかったように思います。この報告ではその基礎作業として二つの文章を比較して、古代における「かみ」意識・「たたり」意識研究の一助にしたいと考えています。
○「柳田たちの妖怪研究を糧にして—香川氏「共同幻覚名彙」論へのリプライ—」化野燐氏
【要旨】
香川雅信さんが過去十年間で明らかにされた柳田國男の妖怪研究論には学ぶところがたいへんに多いです。柳田の「お化けの研究」が人びとを「古い信仰」の拘束から解放することを目的としたものであるとする理解などにはおおむね同意もいたしております。
しかし、香川さんとほぼ同時期に柳田たちの研究について考えていた私は、彼が柳田の「妖怪名彙」を「共同幻覚名彙」と読みかえる意見などに、大きな違和感を感じずにはいられません。今回はそうした点を中心に疑問をなげかけさせていただくことにいたします。
またそのために、これまで「妖怪」、「怪異(恠異)」などという言葉でいいあらわしてきた事物を、わたしたちがどう知覚、解釈してきたかについてもすこし考えてみたいと思っております。
今回の議論が、「妖怪」や「怪異(恠異)」を今後どう理解し論じるべきかを問いなおす契機のひとつとなればさいわいです。
【参考文献】
香川雅信「柳田國男の妖怪研究」『図説 日本妖怪史』
(河出書房新社、二○二二年)pp.116-117
★香川雅信「柳田國男の妖怪研究」『進化する妖怪文化研究』
(株式会社 せりか書房、二○一七年)pp.174-150
香川雅信「柳田國男と妖怪・怪談研究」『日本民俗学』270
(日本民俗学会、二○一二年)pp.163-185
化野燐「「妖怪名彙」ができるまで」『怪異を媒介するもの アジア遊学187』
(勉誠出版、二○一五年)pp.61-74
★化野燐「「妖怪」を選ぶ」『怪異学の地平』
(株式会社 臨川書店、二○一七年)pp.217-242
化野燐「コラム・石を降らせるのはなにものか?」『怪異学講義』
(勉誠出版、二○二一年)pp.424-437
東アジア恠異学会第138回定例研究会/第12回オンライン研究会
三尾裕子編著『台湾で日本人を祀る 鬼(クイ)から神(シン)への現代人類学』(慶應義塾大学出版会)書評会
評者:陳宣聿氏(大谷大学 真宗総合研究所東京分室)
コメント:南郷晃子氏(桃山学院大学)
今回の研究会は、今年刊行された三尾裕子氏の編著『台湾で日本人を祀る』の書評会を行いました。
こちらは会員の山田明広氏も執筆に加わっており、個人の霊が怪異を現し新たに神として祀られる、という当会でよく話題になってきたシステムが近現代に台湾でどのように続けられているか、そのなかでも「日本人神」に着目し、調査された論集です。
会員の陳宣聿氏に全体の書評を、南郷晃子氏にご自身の関心からコメントをいただきました。
東アジア恠異学会第137回定例研究会/第11回オンライン研究会
小特集「中国における仏教怪異故事の流通」
東アジア恠異学会の今年度のテーマは「怪異と媒介(メディア)」となっている。中国における当地の人々が経験した仏教にまつわる怪異は、他の怪異に比して、六朝以来しばしば伝達者の情報までもがしるされ、同一の内容が複数の書籍に記録されることも多い。
今回は、科研費「唐代仏教霊験譚の研究」の代表者および分担研究者である、佐野誠子氏と福田素子氏が、それぞれ唐代と明末清初の事例について、仏教怪異故事の伝達の過程、加工の実際についてを分析する。
○「伝達される仏道混淆冥界:『金剛般若経集験記』竇徳玄記事の検討」佐野誠子氏
【要旨】
初唐の高官である竇徳玄(598-666)は、自分を冥界に連行しようとする冥吏から、冥界行きを免れる方法を伝授してもらい、死ぬことを免れた。この故事は、複数の文献にしるされており、それぞれの文献において仏教・道教の立場による書き換えが行われていることは、すでに、Nathan Woolley ”The Many Boats to Yangzhou: Purpose and Variation in Religious Records of the Tang”, Asia Major no.26(2), 2013(※)が指摘している。ただ、Woollyが言及していない竇徳玄の記録がもう一つある。それが、日本にのみ残る佚存書であり、開元六年(718)成書と序文にある孟献忠『金剛般若経集験記』の記事である。書名の通り該書は、『金剛経』を称揚する立場で記録がなされているが、竇徳玄の記事に限っては、道教に関わる要素も混じっている。そして、この内容の伝達者として、竇徳玄の曾孫の名があがっている。つまり、より身近な人物による伝達だと位置づけることができる。なぜ確証性の高い内容が最も宗教的に混沌としているのだろうか。当時の宗教信仰の現実という立場から、『集験記』竇徳玄記事について分析をしてみたい。
※(https://www1.ihp.sinica.edu.tw/jp/Publications/AsiaMajor/845)でダウンロード可能
○「「樹よ、お前はまだあったのか」—ある明清期怪異故事の流伝—」福田素子氏
【要旨】
今回取り上げる話は明代のある場所で、陸氏という者が隣人である鄭氏の財産を奪い、鄭氏の者が陸氏の子供に生まれ変わる話である。鄭氏の生まれ変わりの子は、生まれてから一言も喋ったことがなかったが、ある日かつて鄭氏の家の庭にあった木を指さして「樹よ。お前はまだあったのか」とつぶやく。この子が長じて陸の家を滅ぼす、一種の討債鬼故事(金を奪われた側が、奪った側の子に転生して取り返す話)である。
この話は、はじめ朱瑄という官僚が弘治年間に任地で聞き、語り広めたものである。以後清代にいたるまで十五種もの書物に収められることとなった。
十五種の書物は、史書・筆記小説・善書の三ジャンルから成る。本発表では、故事がこれらの三ジャンルの交流の中でいかに受け継がれたかを考察する。故事の舞台となる時代と場所の情報は、変化を受けやすく、一方怪異の顕現のし方については、ほとんど変化が見られない。また、筆記小説において好まれる怪異と、善書において好まれる怪異に質的な違いがあるのではないかと考えられる。
○コメント:山田明広氏(奈良学園大学)
東アジア恠異学会第136回定例研究会/第10回オンライン研究会
○「手宮洞窟はいかに語られたか—明治期を中心に—」岡本真生氏
【要旨】
手宮洞窟(北海道小樽市)は、特徴的な壁面彫刻を有している。文字とも絵とも判別が
つかない様相から、多くの人の関心を集めた場所である。明治期以降、各自が手宮洞窟
を用いて自説を展開してきた。手宮洞窟を取りあげた文献は膨大である。
しかし、明治期において、手宮洞窟がいかに語られたかに関する研究は十分には進めら
れていない。そこで今回の報告では、明治期を中心に、John Milneや坪井正五郎等が
手宮洞窟を用いてどのような自説を展開してきたかについて検証していく。
○「天体観測による天乙三星の同定」佐藤壮朗(玄珠)氏、松岡秀達氏
【要旨】
天乙という言葉には歴史的に様々な意味が積重ねられている。
李零は避兵図等に現れる3頭の龍が、太一鋒の「天乙在前、太乙在後」の天乙である
という李零の天乙三星についての考察を出発点とし、
実際の天体観測から天乙三星が、現在のりゅう座の7,8,9番星であることを主張する。
東アジア恠異学会第135回定例研究会/第9回オンライン研究会
『怪異学講義 王権・信仰・いとなみ』講評会
報告者:黒川正剛氏、梅田千尋氏、名和敏光氏、香川雅信氏
東アジア恠異学会第134回定例研究会/第8回オンライン研究会
シンポジウム
「東アジアの卜と占 —日本古代における中国の怪異・卜占をめぐる知識と技術の受容—」
【要旨】
本シンポジウムは、「怪異」と卜占について、そのルーツとなった
中国の祥瑞災異思想・天人相関観念との比較をふまえ、東アジアに
おける知識の流通と受容の中でその位置づけを試み、日本古代にお
ける知識と技術の国家管理を明らかにすることを目的として進めて
きた共同研究のまとめとして実施する。
近年、古代中国で成立した陰陽・五行の数理に基づく吉凶判断であ
る〈術数文化〉の研究を進めている水口幹記氏の基調報告の後、久
禮旦雄氏・佐々木聡氏の亀卜に関する報告、災異占に関する大野裕
司氏の報告を行う。亀卜、宿曜道、災異占等の卜占の知識と技術の
分析から、人と神霊を媒介するものとしての卜占研究の課題を明ら
かとし、怪異学の新たな視点を導き出したい。
【基調報告】水口幹記氏(藤女子大学教授)
「成尋と宿曜勘文—平安人の占いをめぐる一コマ—」
【報告1】 久禮旦雄氏(京都産業大学准教授)
「日本古代の国家と卜占」
【報告2】佐々木聡氏(金沢学院大学専任講師)
「唐代の亀卜についての基礎整理」
【報告3】大野裕司氏(大連外国語大学外語講師)
「中国古代の災異占—『山海経』および新出資料—」
【総合討論】司会:大江篤
【共催】
基盤C「日本古代における中国の怪異・卜占をめぐる知識と技術の受容」
(代表 大江篤/課題番号18K00978)
基盤B「5〜12世紀の東アジアにおける〈術数文化〉の深化と変容」
(代表 水口幹記/課題番号20H01301)
東アジア恠異学会第133回定例研究会/第7回オンライン研究会
○「撫でるまじないの言説分析—現代の「ものを撫でる」を中心に—」茶圓直人氏
【要旨】
「ものを撫でる」というまじないは現代においても盛んに行われている。その最たる例は撫牛だろう。
撫牛は牛の像もしくは牛の置物を撫でると縁起が良くなる、病気が治るなど様々な効能を持つ。これ以外
にも賓頭盧尊者の像を撫でる撫仏など、「ものを撫でる」まじないは日本各地で数多く見られる。
また、兵庫県のおかた神社では「昇運招福 立願の撫猪」が令和元年(2019年)に奉納され、大阪府の住吉
大社でも、「住吉神兎」が撫兎として平成23年(2011年)に奉納されている。このように、「ものを撫でる」
まじないは現代においても再生産を続けているまじないなのである。本報告は、現在も残っている「ものを
撫でる」まじないにかかる言説分析を行い、まじないの中で撫でるしぐさが担う意味について考察を試みる。
○「古代社会と「海」の怪奇現象」榎村寛之氏
【要旨】
意外なことだが、日本古代において海での異変は「恠異」と認定された形跡がない。津波や高潮のような災害
だけではなく、超自然的な現象も「神の示現」として処理されることが多い。『古事記」『日本書紀」をはじめ、
日本の古代文献には海の「怪奇現象」はほとんど記されておらず、海は「神話的世界」と理解されていたようで
ある。その中で推古天皇27年紀に見られる摂津国難波堀江で獲れたという怪魚の話は、聖徳太子伝承と関係し
て、後世の人魚伝説に結びついていく。しかしこの記事には凶兆とも吉兆とも書かれていない。
本報告では、龍、鰐、怪魚、霊亀などの海の謎の生き物とされたものの理解とその展開について、浦島伝説や
聖徳太子信仰、中国文献との関係、中世絵巻の表現なども視野に入れて概観してみたい。
東アジア恠異学会第132回定例研究会/第6回オンライン研究会
○「雷獣の出現と文化的展開」木場貴俊氏
【要旨】
雷とともに落ちてくるとされる「雷獣」は、18世紀に入って日本で広く知られるようになった奇獣である。雷獣の類例は『古事類苑』や『廣文庫』などにも収録されており、専論としては吉岡郁夫「雷獣考」(『比較民俗研究』21、2007 リポジトリ有)などがある。ただし、これらは雷獣の生態に関するものが主である。当時雷獣が出現したことは、当時の社会にどのような意味があったのだろうか。
先行する文献・研究を踏まえながら、報告では、文芸でのキャラクターとしての登場など、雷獣が近世日本社会に与えた影響を考えてみたい。
○ 「前近代中国の基層社会における災異受容と通俗信仰」佐々木聡氏
【要旨】
漢代に体系化された祥瑞災異説・天人相関思想は、後に日本に伝わり、変容しつつ受容されていった。一方、中国でも祥瑞災異説は、儒教理念に組み込まれて前近代を通じて受け継がれてゆく。そのためか、祥瑞災異をめぐる思想・観念は、儒教的なものと見られがちだが、実際には、道教や通俗信仰などの中にも、その思想や観念が濃厚に現れている。
そこで本報告では、特に中世の敦煌文献や近世の日用類書・通書などに着目し、そこに見える怪異を占い、凶兆を祓うための知識、またそれを職能として行使する宗教者のあり方を検証してゆく。これにより基層社会における「怪異」をめぐる人々の営みの実態とその意義を明らかにしてみたい。
東アジア恠異学会第131回定例研究会/第5回オンライン研究会
○「怪異と王権・再考」久禮旦雄氏
【要旨】
東アジア恠異学会では、設立当初から中国の祥瑞災異思想およびその背景にある天人相関説に源流を持つ法令用語としての「怪異」の語に注目し、
それが古代・中世における日本の王権による国家支配と関係することを指摘してきた。これは文化の交流・受容や王権による支配と知識の問題と
深く関係しており、その成果は前近代の東アジア世界の範囲を超えて広く共有し得るものであるが、重要性に比して周辺分野において理解・共有
されているとは言い難い。
そこで本報告では、今までの恠異学会の研究蓄積の中から「怪異と王権」に関わる成果を改めて整理しつつ、日本における「怪異」及びその前提
・周辺も含めた「フシギ」と王権の関係の淵源を確認し、これらの成果がいかに広がりを持ち得るかを検討する。
○「中世日本の天変地異とその解釈行為」濱野未来氏
【要旨】
これまでの災害史研究では、自然災害自体への注目を起点とすることから、災害認識についても「災害」という現代的枠組みでの検討に留まる
傾向が見られる。一方で、地震のように「災害」と「災異」としての要素を併せ持つ事象が存在することを踏まえれば、「災害」という枠組み
だけではとらえきれない部分が必然的に生じてくる。
この「災害」と「災異」の問題を考える際に注目したいのが、災害・災異の解釈行為である。今回の報告では、中世における天変地異とくに
地震の解釈行為を検討することで、「災異」と「災害」の認識の階調部分とこれらと密接な関係にある怪異を捉える一助としたい。
東アジア恠異学会第130回定例研究会/第4回オンライン研究会
○「戦国の「不思議」—『義残後覚』について—」久留島元氏
【要旨】
文禄五年(一五九六)の跋文をもつ『義残後覚』は、謎の多い書物である。全七巻八十五話、編者は愚軒と署名があるが、来歴はわからない。『増補史籍集覧』に翻刻が掲載され、高田衛編『江戸怪談集』に抄録が掲載されていることから、戦国武将のエピソードや怪異説話の源泉としては知られているが、まとめて分析されることは少ない。
今回の報告では先行研究をふまえたうえで、あらためて『義残後覚』所収話を関連資料と比較し、分析する。その際、先行研究でも注目されている「不思議」というキーワードについて、怪異学の知見をふまえながら、「不思議」の説話を蒐集した『義残後覚』という書物の特徴を明らかにしたい。
東アジア恠異学会第129回定例研究会/第3回オンライン研究会
特別企画「天の思想・再考」
○問題提起「日本における天人相関説と怪異」大江篤氏
【要旨】
東アジア恠異学会では、設立当初から「怪異」の語が中国の祥瑞災異思想およびその背景にある天人相関説に源流を持つことに着目してきた。これらの思想は漢代に儒教が国教化したことから国家理念となり、以降の歴代王朝で怪異が正史に記録されるようになる。一方、日本でもこうした考えが受容され、王権構造にも深い影響を与えた。しかし、中国の怪異が「天」の警告である一方、日本の怪異は神仏の意思(祟り等)とされる。
日本社会における「怪異」の伝来と受容については、具体的にいかなる経緯でもたらされ、受容されたかは明らかではない。例えば、中国では祥瑞災異思想にもとづく占書や陰陽五行の理論を用いた「怪異」の解釈が行われたが、解釈する主体は、為政者から在野の知識人や宗教者まで多様であった。それに対し、古代日本では、官僚組織である神祇官・陰陽寮が判断した。彼らの卜占法は、いずれも中国由来の技法であるが、なぜそれが日本では王権に直結する卜占の技術とされたのかは、明らかではない。さらに、「怪異」判断の根拠となる祥瑞災異思想や卜占がいかなる経緯で日本にもたらされたかもはっきりしない。つまり、日本と中国では、「怪異」を解釈・判断する主体もその方法も異なっていたと考えられる。
今回の研究会では、周代における「天」の思想に関する佐藤信弥氏に基調報告をいただき、天文・陰陽道研究の立場から細井浩志氏、中国の祥瑞災異思想の多様性の視点から佐々木聡氏にコメントをいただき、「怪異」の比較研究の課題を考えていきたい。
○基調報告「天命は誰のものか—金文に見える天と天命—」佐藤信弥氏
【要旨】
周代の天の思想は「天命」「天子」といった概念を生み出すもととなっている。このうち天命に関しては、近年新たに周代の天命観の変遷に関係する金文がいくつか公表された。今回の発表では、これら新出金文を含めて同時代の出土文献のみによって周代の天命観の展開を追ってみたい。まだ天の思想が見出せず、最高神として帝(上帝)が信仰された殷代、殷周の王朝交替を正当化するために天の思想が求められた西周期、その周王朝が没落し、新たな天命観が模索された春秋期と、各時期の天命観の様相と変遷について概観し、春秋末期以後の諸子による様々な「天」観念の登場と接続したい。
東アジア恠異学会第128回定例研究会/第2回オンライン研究会
○「台湾における〈水子供養〉の展開:祟る胎児霊の言説と死者救済の儀礼から考える」陳宣聿氏
【要旨】
台湾において流産、死産もしくは人工妊娠中絶などで亡くなった胎児や生後間もなく亡くなった子の霊は「嬰霊」と呼ばれている。嬰霊は常に親や親族に祟る存在とされるため、嬰霊を慰撫する儀礼(以下は暫定的に「嬰霊慰霊」という造語で表記する)が必要とされる。1980年代末から、「嬰霊」という語彙は台湾社会に広がっていき、現在は中国、香港、そして東南アジア、アメリカの華人コミュニティーでも見られる。
これまでの先行研究(Moskowitz, The Haunting Fetus. 2001)では、嬰霊慰霊の由来を日本の水子供養の輸入、改編と述べてきた。しかし、長い間伝播の経緯が明確に提示されておらず、さらに「輸入」という視点の有効性も検討されてこなかった。
本報告は台湾で嬰霊供養の元祖廟と自称する「龍湖宮」という宗教施設での実地調査を通して、先行研究が提示した「輸入」の視点を再考することが趣旨である。
本報告はまず台湾における嬰霊慰霊の展開と龍湖宮の位置付けを説明する。その後、龍湖宮の出版物(「善書」、無料に人々に頒布し、善行を促す小冊子)に描かれた祟る胎児霊に関する言説を分析する。次、報告者は焦点を儀礼実践の側面に転じ、龍湖宮における「嬰霊」にまつわる儀礼と言説の間に隔たりのあることを明らかにする。これまでの考察を踏まえ、最後、報告者は比較文化論的視点から、類似する宗教現象である水子供養と嬰霊慰霊の関係性をより立体的に捉えることを試みる。
○「佐藤清明「現行全国妖怪辞典」の地方妖怪調査票について」木下浩氏
【要旨】
佐藤清明は日本で初めての妖怪事典『現行全国妖怪事典』を編集した博物学者である。
清明はこの妖怪事典の中で、自分が収集した妖怪方言名のカードについて言及しているが、
そのカードは現在発見されていない。
そのカードの行方と新発見資料、さらには妖怪研究家で博物学者としての清明の生涯について発表する。
東アジア恠異学会第127回定例研究会/第1回オンライン研究会
○報告者:佐々木聡氏/『怪を志す 六朝志怪の誕生と展開』佐野誠子氏
○報告者:村上紀夫氏/『怪異をつくる 近世怪異文化史』木場貴俊氏
【内容】
今回は、今年春にともに論集をまとめられた、佐野誠子さんと木場貴俊さんの著作
を読む読書会を企画いたしました。どちらも恠異学会初期からのメンバーであり、
非常に読み応えのある著作となっております。
報告者とともに、恠異学会の最新成果ともいうべき2冊を読み解きます。
東アジア恠異学会第126回定例研究会
○「『人を神に祀る風習』再考—東アジアの視点から—」井上智勝氏
【要旨】
横死者が祟って神になる。かかる「人を神に祀る風習」は、柳田國男以来の研究蓄積を持ち、
日本史や日本文化研究において近年なお盛んである。それらの議論は日本に自閉する傾向があるが、
むしろ「人を神に祀る風習」は東アジア諸国においてこそ顕著に認められる。
本報告は、東アジア諸国(中華・越南・朝鮮)の「人を神に祀る風習」を日本との対比の中で検討することで、
かかる習俗は東アジアに共有される文化基盤の中で考察される必要があることを提示する。
○「日文研新所蔵妖怪絵巻をめぐって」木場貴俊氏
【要旨】
国際日本文化研究センター(日文研)では、2018年に新しい「妖怪」に関する絵巻『妖怪四季風俗絵巻』
『諸国妖怪図巻』を収蔵した。この二巻については、『怪と幽』vol.003で概要を既報しているが、本報告
では二巻の絵巻、特に『諸国妖怪図巻』について現時点で判明していることを述べ、今後の絵巻研究の
手がかりとしたい。
東アジア恠異学会第125回定例研究会
○「平田国学における幽界交渉実在論の系譜」三ツ松誠氏
【要旨】
地上を顕幽に分かち、前者を天皇が治める人間の世界、後者をオオクニヌシが治める神々の
世界と位置付けた平田篤胤は、
幽界の実在、幽界との交渉の実現可能性を証明するための様々な作品を残している。なかでも
「天狗小僧」寅吉からの聞き取りは有名であろう。
折口信夫の議論を出発点にして、こうした篤胤の営為を民俗学の先駆であるかのように評価
する傾向は、大きな流れになった。
研究者から怪異に関心を持つ読書人に至るまで、寅吉に対する関心は今なお衰えることが無い。
他方、篤胤の影響を受けた復古神道家や、その流れをくむ神道系新宗教においても、幽界
交渉の実在が追究されるなかで、寅吉を語る動きが確認できる。
本報告では、かかる平田国学的幽界交渉実在論が篤胤以後いかに展開していくのかを改めて
整理した上で、近年の寅吉ブームに対して一石を投じたい。
○「流転する明智光秀の首塚」村上紀夫氏
【要旨】
京都市東山区梅宮町にある明智光秀の首塚は、もともと粟田口に築かれていたものである。
本報告では、この明智光秀首塚を対象として、近世から近代において首塚を中心的に祀った
人に着目しながら、その言説の歴史的変遷と各時代における信仰の担い手の意図を解明したい。
こうした「塚」に対して論じる上で柳田国男の存在は無視できない。柳田は、境界に塚が築
かれていたことを主張し、「首塚」についても、実際の合戦や史上の人物を結びつける言説に
は慎重で、その場所の聖性や信仰のあり方に注目した。一方で歴史学では、多くの首塚が文献
で確認することができないため、研究の俎上にのせられることはなかった。
2015年、首塚を対象とした室井康成の単著が上梓された。厖大な事例から「人々の戦死者
に対する思い」を抽出し、近親者によって故郷に運ばれることを理想とされてたことなどを
明らかにした点は大きな成果である。しかし、一般化したことで、いつ・誰が何のために霊
的処遇をしたかを個々の事例について問うことへの関心は希薄となった。
こうした「首塚」が一種の史蹟、あるいは由緒として機能している事例もあることを考慮
すれば、具体的な事例に即して、いつ・誰によって・どのように祀られたかというプロセス
を地域社会のコンテクストなかで歴史的に解明することも重要だろう。
明智光秀の首塚を取りあげるのは二つの理由がある。一つは明智光秀の首塚が、粟田口に
築かれていたことが同時代史料から明らかな点である。首塚とされるモノの始原が史料的に
明らかにされることは少ないが、明智光秀の首塚については、その成立が確認できる希有な
例である。二つめに、明智光秀の首塚が数度にわたって移動したことである。これは、柳田
のいう塚の場所性を重視する議論からすれば、奇妙な現象である。首を埋葬した場所から
「塚」が移動したにもかかわらず、信仰されているとすれば、首塚への信仰とは何に対する
ものなのか。柳田以来の塚の場所性という議論を相対化し、首塚信仰について迫りうる可能
性があろう。
東アジア恠異学会第124回定例研究会
○「怪異伝承と水難防止教育との関わりについて」永原順子氏
【要旨】
水難は人々の信仰心や世界観に大きな影響を与えてきた。
例えば日本では、カッパなどの怪異伝承に反映されている
といえる。水難に関する研究に取り組んでいる水難学会では、
水難防止教育ならびにuitemate(ういてまて) の普及を
日本および島嶼部を多く持つアジアの国々で行ってきた。
「ういてまて」とは、着衣状態で水難事故に遭遇したとき
水面に大の字になって浮いた状態で救助を待つという自己
救助法である。その普及活動を続ける中で、国や地域に
よって浸透度の違いが報告されていた。発表者は、その
違いの原因を探るべく、東南アジア諸国において水難事故
と怪異伝承との関わりについての調査・分析を試みている。
実際に現地で救助法をコーチする指導員および講習参加者を
中心に、日本の水にまつわる怪異伝承を紹介した後、その国
での伝承についてのアンケートと聞き取りを行った。
本発表では、上記の調査結果をふまえ、原始的信仰(民間信仰)
と外来宗教との重層構造、災害の種類および頻度の差異が思想
に及ぼす影響、各地域における水場と人々との精神的距離、
などについての考察を試みる。
○「神話と怪談が接触し、昔話になった話〜三重県菰野町のお菊の池伝説〜」榎村寛之氏
【要旨】
三重県北端に近い菰野町には、「お菊の池」 伝説がある。
全国的レベルでは極めて知名度が低い。じつはこの怪談、皿は
割れず、お菊は責め殺されず、皿屋敷も井戸も出てこない、
まずお菊の幽霊が皿を数えない。そして関係資料を見ていくと、
伊勢と近江の境界の八風峠という街道筋の特殊性が見えてくる。
この地域の持つ歴史的特殊性と江戸時代の支配の関係が、幕末
頃にお菊伝説を呼び込んだというのが本報告の論点の一つだが、
さらに怪談から伝説への、おそらく近代的といえる展開について
も考えてみたい。そこには近江の伝説や斎王的な伝説との習合も
うかがえるのである。
東アジア恠異学会第123回定例研究会
○「亀卜研究の現状と課題-シンポジウム「大嘗祭と亀卜の世界」を終えて-」大江篤氏
【要旨】
東アジア恠異学会の研究成果の一つに、「怪異」を認定する「亀卜」の技法の解明がある。
古代・中世の怪異研究にとって欠かすことのできないテーマであり、『亀卜 歴史の地層に秘められたうらないの技を掘りおこす』(臨川書店、2006年)を刊行した。その亀卜が5月13日の「斎田点定の儀」で挙行されるにあたって、メディアで注目を集めた。現在、代替りの儀式を除くと亀卜は伝承されておらず、平成2(19900)年以来、29年ぶりのことであった。
このことを機に、科研費・基盤研究(C)「日本古代における中国の怪異・卜占をめぐる知識と技術の受容」(代表者 大江篤)(課題番号 18K00978)と東アジア恠異学会との共催で、7月6日に麗澤大学において、シンポジウム「大嘗祭と亀卜の世界」を開催した。本報告では、シンポジウムでの議論をふまえ、亀卜研究の現状と課題について整理し、今後の課題を明らかにしたい。
○「多武峯木像破裂についての一考察(藤原摂関家の視点から)」高井佑人氏
【要旨】
奈良県桜井市にある多武峯は、藤原家の始祖鎌足をまつる場であり、御墓山では「鳴動」という恠異が
起こるため当学会でも注目されてきた。その多武峯には、藤原鎌足の木像が安置されており、この木像も
「破裂」という恠異を起こすとされている。
その中で本報告では、この「恠異」を公家社会、特に藤原摂関家の視点から分析を行う。公家社会とくに
藤原摂関家と多武峰の関係性を明らかにし、その上で両者の間に木像破裂がいかなる形で表れるのか、
またその意味について考えていきたい。
東アジア恠異学会第122回定例研究会
○「卜部と疫病—卜占の技法と神祇祭祀—」大江篤氏
【要旨】
東アジア恠異学会は、2006年に『亀卜 歴史の地層に秘められたうらない
の技をほりおこす』(臨川書店)を上梓し、東アジア古代の卜占の一つで
ある「亀卜」の技法を復元実験をもとにその歴史的変遷を明らかにした。
そして、報告者は、亀卜の実行者である卜部の「媒介者」としての性格に
ついて検討を加えてきた。卜部は、律令神祇官祭祀で卜占を行うとともに
大祓(解除)・鎮火祭(鑽火)・道饗祭などを主催している。卜部がこれ
らの祭祀に関与することについて、神祇官の官人としての職掌であると考
えることができるが、大陸との交流が原因となる流行病に対して「原因を
占うことができる卜部に、疫病防止の祭祀の職掌が与えられることは自然
である」(細井浩志 2017)という指摘がある。しかし、卜者が祭祀をす
ることは自然であろうか。なぜ卜部の執行する祭祀が疫病消除に有効であ
ったのか。本報告では、神祇祭祀における卜部の役割を検討することから
その特質を考えたい。
東アジア恠異学会第121回定例研究会
○「天地と怪異」木場貴俊氏
【要旨】
英語natureに該当する言葉を近世日本に求めるならば、まず「天地」が思い当たる。
では、「天地」と怪異(あやしい物事)の関係はどう捉えられていたのだろうか?
天地の道理によって起きる・生じる物事なのか、それとも「超自然」な物事なのか?
本報告では、この問いについて複数の事例を取り上げることで考察を行ってみたい。
○「幕末・明治維新期の「怪異」について—『孝明天皇紀』及び『明治天皇紀』を手がかりとして—」江坂正太氏
【要旨】
2001年に発足した東アジア恠異学会においては、これまでに多くの「怪異」に関連する報告が行われ、研究の蓄積がなされて来た。しかしながら、改めてその内容を検討してみると、近代の研究蓄積は未だ不十分であると言わざるをえない。特に幕末・明治維新期における「怪異」に関する研究蓄積は手薄であり、東アジア恠異学会における1つの「死角」になっている趣さえある。
本報告ではその様な状況に鑑み、幕末・明治維新期の「怪異」の在り方に関して考察を加える手がかりとするために、
宮内省先帝御事蹟取調掛編『孝明天皇紀』(宮内庁、1906年、但し使用するのは覆刊版(平安神宮、1967年-1981年)とする)及び宮内庁編『明治天皇紀』(吉川弘文館、1968年-1977年)を素材として検討を行う事とする。検討年代は、『孝明天皇紀』の始まる天保2年(1832)6月から『明治天皇紀 第四』の終る1879年(明治12)12月までとし、この期間内に『孝明天皇紀』及び『明治天皇紀』に記された「怪異」に関連すると考えられる記事の抽出を行い、あわせて、いくつかのトピックに関して検討も行いたいと考えている。
上記の手続きを踏まえる事で、幕末・明治維新期においても、国家(あるいは国家祭祀)と「怪異」との関係性が未だに残存し、あるていど機能していた様子を僅かなりとも浮き上がらせる事ができると考えている。
東アジア恠異学会第120回定例研究会
○「信濃奇勝録に見られる異類の古生物学的再考察 」荻野慎諧氏
【要旨】
信濃奇勝録は江戸時代の末期にまとめられた,信濃地域全域を網羅する地誌である.
奇勝録には信濃各地の寺社や遺物,動植物等がイラストとともに記録されている.
この中で動物に着目すると,現在の長野県に分布する種ではないものもみられ,
さらに,異類として記録されている種においても,観察をもとにした細かな記載が残されているものがある.
報告者は,自身の専門である古生物学の観点からこれらの種の検討を試みた.
古生物学の分野では,常日頃から完全な化石が見つかるわけではないため,
断片的な化石から絶滅した生物を同定し,記載・分類を行うことも多い.
ここで提案してみたいのは,古い文献にみられる異類などについて,わからないなりにも観察に基づいて記録されていれば,
生物の断片的な情報を普段から扱っている古生物学的分類手法を応用して種の同定が可能ではないか,という視点である.
その際に用いられる系統学的,分類学的,古生物地理学的手法は「種とは何か」という生物学的種概念を土台にしている.
文献を残した当時の人々が「何を見ていたのか」を,種や分類の実在性に関する議論にも触れつつ探っていく.
○「説話の生物誌—「蛇道」の女、愛宕の「鳶」—」久留島元氏
【要旨】
説話にあらわれる生物をとりあげて論じることは、これまでにも行われてきた。しかし従来、その背景となる信仰や文化への目配りは、意外に不充分であったように思われる。
たとえば院政期成立の仏教説話集『今昔物語集』では、執着をもって往生に失敗した者が「蛇身」「蛇道」に生まれ苦しむと語る。蛇身は牛身と同じく畜生道の一体と考えられ、事実、そのように注釈されてきたが、仏典には蛇身、牛身はあっても蛇道の用例はほとんどない。なぜ畜生道のなかでとりわけ蛇道が注目されたのか。
また『今昔物語集』ではしばしば天狗の正体を古鵄(鳶)と語る。室町期のお伽草子『十二類絵』では「鳶」は愛宕山の天狗の眷属とされ、『俳諧類船集』でも「愛宕」「天狗」「鳶」は付合語である。これら天狗を鳶と結びつける言説はどのように起こり、また愛宕山とどうやって結びつくのか。
本報告は二つの小考を、生物誌という枠組みでまとめて行うためやや雑多な構想発表となるが、ご了解いただきたい。
東アジア恠異学会第119回定例研究会
○「礼説のはじまり—禘祭を例として—」佐藤信弥氏
【要旨】
『論語』八佾には、「子曰く、「禘は既に灌して自り往は、吾れ之れを觀るを欲せざるなり」と」「或るひと禘の説を問う。子曰く、「知らざるなり。其の説を知る者の天下に於けるや、其れ諸れを斯に示るが如きか」と。其の掌を指す」と、孔子が「禘」という祭祀について述べた箇所が二つある。
どうして孔子はこのような発言をしたのだろうか。禘祭は『論語』や『春秋』経伝、『礼記』といった伝世文献のほか、甲骨文と金文にも見える。本報告では殷代甲骨文、西周金文、孔子と同じ時代にあたる『春秋』経伝での禘祭の記録、そして戦国期以後に成立の『礼記』などに見える解説といった具合に、禘祭に関する記述を時代順に見ていくことで、孔子が禘祭について発言した背景を探ることにしたい。
○「子弾庫楚帛書にみえる災異説について」笠川直樹氏
【要旨】
「楚帛書」と呼ばれる一枚の帛は、1942年9月長沙子彈庫戦国期木椁墓から盗掘されたのち幾人かの手を経て、現在Sackler Gallery(ワシントン) に蔵されている。一見掛け物のようにも見える帛書の尺寸は長さ38.76cm,寛さ47cm。
帛書の内容は、楚の神話傳說を記す八行文,四時の運行と災異を説く十三行文。月令禁忌を記す十二の外辺の文章の三部分に分かれている。また、四周に描かれた十二個の繪は怪異神像と言われている。
発現以来注目を集め、75年余りの間に多くの論著が発表されてきた。そのうちの一つ、李零『子彈庫帛書』(文物出版社, 2017.1) は最も新しい大冊であるが、十三行文中のキーワードといえる「歳」字について、釋文(45頁)の中で次のように言う。
前人は多くこの篇(十三行文)を「太歲(木星)」に関わる天象をもちいて解釈してきたが、日月星辰を除いて、従前考察された「天梪、李星、歳星、参星」等の星の名は当たらない。
李零氏は再検証と言うのみで、論拠をあげてはいないが、前漢初期の孔家坡漢簡《日書》中に、木星の運行とは関りなく、五行及び五行への配物、五時、四時を説く「歳」篇があり、「楚帛書」中の「歳」字との意味的相似が指摘されている。
今回「楚帛書」十三行文を、「歳星紀年の天文書」ではなく、前漢初期の資料を参考にしながら、「災異説明書」として読み直してみたい。
東アジア恠異学会第118回定例研究会
○「陰陽師集団「歴代組」とその起源」秋山浩三氏
【要旨】
まずもって、今回の発表は、学問的な研究報告ではない点をご了承いただきたいと思います。
私は考古学を専攻していた者ですが、陰陽道・陰陽師の研究者ではなく、この分野に関しては全くの門外漢であります。では、何故に標記タイトルのような内容をお話しするかということですが、私が生まれ今も居住する地(現・東大阪市某所)は、かつて「歴代組」と呼ばれた陰陽道(師)に関係した集落であり、私の何代か前もその構成員であった事実とかかわりをもちます。このような個人的な事情から、自分なりに関連資料を探索したり、簡単なレポートを書いたりしてきました。そこには考古学的な成果を盛り込んだりもしております。
また、現在もなお、その「歴代組」の紐帯を維持しているという〈特殊〉な様相もうかがわれます。さらに、背景にある〈特殊〉性(賤視ほか)に起因するさまざまな社会的問題もこれまでみられました。
そのような、現代史とも連繋する内容にも若干ふれながら、「歴代組」集落・集団の成立をめぐる背景などに関する卑見をお示しできればと考えております。
〔なお、関連する書き物をいくつかふくめた、『交合・産・陰陽道・臼—考古学とその周辺』(清風堂書店)という拙著を昨年発行しておりますので、参考にしていただければ幸いです。〕
○「院政期・鎌倉期におけるモノノケ・病気治療と陰陽道」赤澤春彦氏
【要旨】
本報告ではモノノケ(物気・邪気)を原因とする病に対する陰陽道の役割、また病気治療に修された陰陽道祭祀の中世的展開について検討する。先行研究では平安期においてモノノケを原因とする病の対処には僧による加持・修法が用いられ、陰陽師はこれに対処しなかったといわれている。こうした原則は院政期以降も変わらないのであろうか。また、そもそも病に対して陰陽師はどのような陰陽道祭祀を行ったのであろうか。本報告では主に上記2点について検討を加え、病気治療における陰陽道の役割について考えてみたい。
東アジア恠異学会第117回定例研究会
○「海の驚異 ー島々、浪の下の都と人々」近藤久美子氏
【要旨】
アラブは海をどのように描いていたのか。
アフマド・ムハンマド・アティーヤの『海の文学』で概観し、特に『千一夜物語』で述べられている海の物語から、
また湖・大河も含めた異類の話を取り上げる。
また、ザカリヤ・カズウィーニーの記した博物誌的な様々な海とそこに住む生物の驚異も提示し、彼らが考えた
「神秘」の世界から物語世界への展開を考えてゆきたい。
○「「キリシタン」の幻術—『切支丹宗門来朝実記』系実録類の東北地方における展開を中心に—」南郷晃子氏
【要旨】
都市の娯楽化した「キリシタン」において幻術は重要なモチーフであるが、地域社会、特に「キリシタン」の処刑の記憶が
色濃く残る場所における「幻術」はどのように理解することができるのだろうか。本発表は近世中後期に写本で流布した
『切支丹宗門来朝実記』系統の実録類、特にそのうちの幻術—「手づま」と「鏡」というモチーフの影響、伝播を検討する
ものである。
同実録類においては、キリシタンが手づま(手品)を使う様がみられる。また布教に際し人々を惑わす不思議な鏡を使う。
この実録類はかなりの影響力と広がりをもった写本群であるが、特にこの二つの幻術に焦点を当て、東北地方における
「キリシタン」および「キリシタン的なもの」へのその影響を検討する。それは『切支丹宗門来朝実記』系統の実録類と移動
する者たちとの関連、さらには「キリシタン」表象と移動する者たちについて考えることになる。
東アジア恠異学会第116回定例研究会
本年度の総会が行われました。
予定を変更して論集検討会が行われました。
東アジア恠異学会第115回定例研究会
○「日本近代における道徳と霊―穂積陳重・柳田國男の議論を中心に―」久禮旦雄氏
【要旨】
本報告は柳田國男の主要学説である祖霊信仰と、彼の道徳観との関係を考察す
るものである。柳田の著作には、しばしば「外から」「上から」のものではない、
「内から」「下から」の道徳への言及が見られる。柳田はそのような在来の道徳
観を成り立たせているものとして、村落の信仰や共同性を想定している。今回の
報告では、以上のような柳田による道徳と信仰との関係という問題設定の原型と
して、法律と祖霊信仰(死者崇拝)との関係を論じた明治初期の法学者・穂積陳
重の議論を参照し、両者の関係について論じてみたい。
○「柳田国男と妖怪 ―近代社会の小さき神々―」化野燐氏
【要旨】
報告者はこれまで、柳田國男が妖怪の研究にあたってどのように周囲の郷土研究者
たちとかかわり必要な情報を集めたか、どのような存在を研究の対象としてきたか
などを、「妖怪名彙」というテキストの成立過程、その素材ともなった山村・海村調
査の『採集手帖』を手掛かりに読み解いてきた。
今回は、そうしたこれまでの成果を簡単に概観した上で、柳田がなにを目的として、
いかなる範囲の妖怪を研究しようとしたのか、これまで妖怪研究の文脈ではあま
り言及されることのなかった『日本民俗学入門』などを足場にして考えてみたい。
東アジア恠異学会第114回定例研究会
○「道教の血湖地獄とその救済儀礼」山田明広氏
【要旨】
中国の三教の一つである道教においては、「地獄」と呼ばれる冥界が存在すると
考えられている。道教の地獄は、中国在来の冥界観の上に仏教の地獄観が加わる
ことで形成されており、泰山地獄や鄷都地獄をはじめとして、九幽地獄、二十四獄
など種々の地獄が説かれてきた。
こういった道教の地獄の中でも、ひときわ特異なものに、「血湖」と呼ばれる地獄
がある。この地獄は、主としてお産により亡くなった女性が囚禁される地獄であり、
そこに堕ちた人はとりわけ罪深いとされ、通常の死者救済儀礼とは異なる特殊な儀礼
を行って救済する必要があるという。
本報告では、まず、このような道教の血湖地獄はいかなるものであるのか、仏教の
血盆地獄と比較しつつ概観し、その後、主として 現在の台湾で行われているものを
例として、そこから救済するための儀礼はいかなるものであり、通常死の場合の儀礼
とはいかなる違いが見られるのか、また地域によりいかなる違いが見られるのかと
いったことについて考察してみたい。
○「いつ、三途の川に橋が架かったのか」上椙英之氏
東アジア恠異学会第113回定例研究会
内容:「〈他〉の認識と怪異学」検討会
○大江篤氏「怪・異・妖—日本古代の怪異認識—」
○佐々木聡氏「異と常ー怪異概念の比較と深化のために」
○久留島元氏「妖怪・怪異・異界—古今著聞集を事例として—」
東アジア恠異学会第112回定例研究会
○「術数と志怪——『天地瑞祥志』における志怪引用の検討」佐野誠子氏
【要旨】
讖緯思想、術数思想の流行期と六朝志怪が書かれた時期は平行する。しかし、両者の間での交わりというのは、思われているよりも少ない。また術数の立場からは、志怪という資料をどのようにとられていたのだろうか。
唐代はじめ薩守真によって編まれた天文類書『天地瑞祥志』には、六朝志怪からの引用が多数ある。
類書の編纂は、決して全てを白紙の状態からはじめるものではない。既存の類書などを参考にし、新たに作られるものである。『天地瑞祥志』における、志怪引用がある箇所、今回は、第十四と第十七を対象として、引用される志怪資料の出処や配列の意味を考え、術数という立場からみた志怪の意味を考えてみたい。
○「中国最古の妖怪撃退マニュアル—睡虎地秦簡『日書』詰篇 説明体系としての詰篇とその妖怪(鬼)」大野裕司氏
【要旨】
発表者はかつて『戦国秦漢出土術数文献の基礎的研究』(北海道大学出版会、2014)において戦国秦漢時代の墓地等から出土した術数(占術)文献を分析した。拙著の分析の方法と結論を簡単にまとめると、次のようになる。これまでに出土した術数文献は相当な数量・種類におよぶが、その中で、いわゆる『日書』と呼ばれる書籍が圧倒的に多い。そこから『日書』を当時の術数の代表とみなし、『日書』の特徴・性質をもって当時の術数の特徴(思想)とした。そして『日書』の特徴の検討を通じて、戦国秦漢時代の術数は「天(天道)の規則的・循環的運行を把握することで、凶を避け吉に趨くことを目的とする」(P211)ことを明らかにした。要するに出土術数文献≒戦国秦漢時代の術数≒『日書』というかなり強引な議論ではある。
さて、この『日書』は、後世の「通書」、日本でいう運勢暦・開運暦の類に相当し、択日(日取り・日選び)を中心としつつも各種雑占などの雑多な内容をも含む。しかしだからといってこの雑多な内容すべてが択日と無関係だとみなすのは早計である。拙著では、先行研究においては択日とは無関係な儀礼だとみなされてきた『日書』(睡虎地秦簡『日書』および放馬灘秦簡『日書』)中にみえる禹歩を伴う儀礼が、択日と密接に関連した儀礼であったことを明らかにしている(第二部第三章)。これは、先行研究では『日書』が術数文献であるという、その性質を無視した議論が行われてきたためであり、そのため『日書』中の各内容に関しては、今後、術数という視点から再検討して行かなくてはならない。
本発表で検討の対象とする睡虎地秦簡『日書』詰篇(拙著では「詰咎篇」と呼称しているが同一)もそのような内容である。先行研究はそれなりにあるのではあるが(例えば日本のものでは工藤元男「睡虎地秦簡「日書」における病因論と鬼神の関係について」『東方学』88、1994。大川俊隆「雲夢秦簡『日書』「詰篇」初考」『大阪産業大学論集 人文科学編』84、1995)、どれも詰篇と択日との関係についてはまったく考慮されていない。
この詰篇は『日書』中の雑多な内容(拙著の言葉では「非択日部分」)の中でも最大の分量を有する(全71条)。その点だけから考えても『日書』の本来的性質と、つまり択日と無関係な内容にこれだけの紙幅を取るとは考えがたい。なので、本発表では、詰篇がなぜ択日書である『日書』に書かれているのか、つまり『日書』中における詰篇の意義について考察したいと思う。実際のところ、拙著においてもすでに詰篇については言及してはいるが(第二部第一章)、行論の都合のためほんの少しだけ紹介するにとどまっており、その内容に踏み込んではいない。そこで本発表では詰篇の文面つまり、種々の妖怪退治・祓除の方法についての文面を読み解きながら、詰篇の存在意義・存在理由について考察したいと思っている。
またその際、最近、佐々木聡『復元白沢図 古代中国の妖怪と辟邪文化』(白澤社、2017年)によって紹介されたことで研究者以外にもその存在が浸透しつつある『白沢図』『白沢精怪図』などの後世の文献と比較することで詰篇の時代的特徴をも明らかにしたい。
東アジア恠異学会第111回定例研究会
○「2010年代、〈怪異〉をめぐる問題意識」今井秀和氏
【要旨】
主として2010年以降現在に至るまでの怪異関連の研究書を中心に、それと浅からぬ関わりを持つ一般書にも目配せをしつつ、現在進行形である2010年代の〈怪異〉をめぐる問題意識について考えてみたい。一つの傾向として見えてくるのは、現代において再び〈地方〉や〈山〉をある種の異界として捉える姿勢が顕在化しつつある、という点であろうか。また2011年の東日本大震災以降、震災にまつわる不思議な体験談を集めた書籍も複数刊行されており、こうした動きも〈地方〉を前景化して怪異を語る潮流に呼応していると言えよう。一方で近年におけるインターネット環境およびモバイル機器の飛躍的な発展は、架空の〈場所〉に関するネットロア怪談の流行などをも齎しており、それと並行するように、新たな心霊スポットが生まれ辛くなっていることも指摘されている。2010年代の〈怪異〉関連出版潮流について考えることはすなわち、今、〈怪異〉はどこでなら起こり得ると考えられているのか?という問題にも繋がってくるはずである。
○「『怪異の時空』三部作をナナメに斬ってみました–記録される怪異・記憶される怪異–」榎村寛之氏
【要旨】
われわれの商売敵「怪異怪談研究会」が東で旗揚げして四年余、三冊の成果を残してトークイベントまで行った。執筆者30人で三冊、しかもよく売れているらしい、正直羨ましい。「歩く」で、「魅せる」で、「誰か」と、実にキャッチーでもある。やっぱり東京者はセンスがいいなぁ、ぅん?、何か引っかかった、なんだろうこの微妙な違和感。
・・・商売敵は、第一次活動を終えて第二次展開に向け休止中という。これはチャンスかもしれない。
怪異とは「現実にはありえないような不思議な出来事」で「違和の表出」で「不意打ち」であるらしい(123はじめに、一柳廣孝氏の文章より)。ならばこの本をナナメ読みして、「現実にはありえない」方法で、「不意打ち」に「違和を表出」してみたい。私たちの活動のさらなる展開のために。キーワードは記録と記憶、怪異と怪談である。
私の怪異学でのスタンスがものを言う時がやっと来た。
「オカルトは嫌いなんです」(大江篤・化野燐・榎村 司会久禮旦雄 座談会「怪異学の成果と課題」14頁3行目 『怪異学入門』 岩田書院 2012)
東アジア恠異学会第110回定例研究会
○「鬼神を表す語彙を考える」佐々木聡氏
【要旨】
鬼神とは狭義には、鬼と神、つまり幽鬼と神々を指す言葉であり、
広義には、山野や宅中に棲む様々な精魅(もののけ)などもこれに
含まれる。しかし、前近代の中国において、鬼神を表す語彙は非常
に豊富なヴァリエーションがある。代表的な「鬼」「神」「精」等
にしても、それぞれの意味する範囲は文脈により異なり、また同じ
文脈の中でも微妙に揺れ動くことも少なくない。例えば初期道教の
『女青鬼律』や『洞淵神呪経』には、善神と悪鬼の間を揺れ動く冥
官が描かれる(拙稿「『女青鬼律』に見える鬼神観及びその受容と
展開」『東方宗教』113、2009年)。したがって、鬼神なるものを
一義的に体系化したり、鬼や神の間で明確な線引きをするといった
ことは難しいが、むしろ、そうした曖昧性や両義性にこそ、鬼神観
念の本質が表れているように思われる。
無論こうした問題は簡単に結論を導けるものではないが、今回は研
究の端緒を探るため、報告者がこれまで取り上げてきた漢から唐代
の習俗批判や初期道教、神仙道等の資料から、鬼神の対比文脈(ex
鬼と神、鬼神と精怪)を取り上げ、鬼神を表す語彙とその文脈ごと
の含意について考えてみたい。
○「平安時代の「怪異」と卜占」大江篤氏
【要旨】
東アジア恠異学会では、「怪異」は、現代社会で通俗的に使用され
る「単に人が理解することのできない不思議な出来事やもの」を示
しておらず、あくまでも国家システムによって認定され、政治的な
予兆として記録に残されていることを明らかにしてきた。日本古代
の国家が、中国から天人相関説、災異思想を受容し、国家の危機管
理を行なうために使用した制度的な語としての「祟」と同等に使用
されたのが「怪異」であった。神仏が示す怪異が定着していくなか
で、動植物の異変等人智の及ばない出来事に人が遭遇した時、「怪
異ではないか」と定着し、一般的な語となっていくという歴史的な
変遷が注目される。この報告では、古代の人々がどのような現象を
どのように「怪異」と認識したのかについて、九、十世紀の史料を
分析することから再検討する。そして、平安貴族の「怪異」認識
において、神祇官卜部の卜占が重要な役割を果たしていたことを明
らかにしたい。
○「神になれなくなった「妖怪」たち」化野燐氏
【要旨】
柳田國男たち初期の民俗学者は「妖怪名彙」という語彙集をまと
めることにより、道行く人の進路を障害物がさまたげる奇現象や、
何者かが人に砂や石をぶつける奇現象などの原因者を「妖怪」とひ
とまとめに呼称し、自分たちの研究の対象としようとした。彼らは
「妖怪」をいくつかの類型にまとめて把握した上で、組織的な資料
収集を行い、議論を進めようとしていたのだが、その方向での作業
は、戦争による中断などもあって忘却され、不幸にして十分に深め
られないまま現在に至っている。こうした「妖怪」類型のいくつか
は、近世の社会においては狐狸の仕業であると解釈され、その文脈
での対応がなされることによって収束していた。しかしながら、民
俗学が成立しつつあった時期、近代化による宗教政策の変化なども
あって、旧来の対応システムは急速に失われつつあった。今回の報
告では、そのような状況下で初期の民俗学者たちが想定していた
「妖怪」と狐狸、神仏の関係について指摘し、お化けと神さまにつ
いて議論するための材料を提供したい。
東アジア恠異学会第109回定例研究会
○「異界研究の問題点」久留島元氏
【要旨】
東アジア恠異学会では「怪異」を、フシギな現象を読み解き、説明する情報の発信者と受容者の
コミュニケーションによって成立するものとしてとらえ、史資料を読み解くツールとしてきた。
二〇一五年には怪異を読み解き、その情報を媒介する〈媒介者〉の存在に注目した『怪異を媒介するもの』
を刊行し、幅広い視点の論考を収めた。
また二〇一五年度から継続的な研究テーマとして「〈他〉の認識と怪異学」を掲げ、日常的な
コミュニケーションの輪の外側にある〈他〉の世界や存在について、人々がどのように認識し、
表象してきたかを議論の対象としてきた。第一〇二回定例研究会では、国文学研究資料館の斎藤麻麻理氏を迎え、
「異界」「異類」にまつわる討議を行った。さらに第一〇四回定例研究会では「〈他〉の認識と怪異学 怪異の比較学へむけて」
と題し、久留島が報告を行った。
一方で近年「異界」やそれに隣接するテーマを掲げた研究会、展示会が多く行われている。池原陽斉氏が
丁寧にまとめたように「異界」は「異人」とともに民俗学、文化人類学の学術用語として利用されながら、
「異人」以上にきわめて多義的な術語として定着し、拡散する術語の問題点を抱える。
(cf.池原「「異界」の意味領域—〈術語〉のゆれをめぐって」『東洋大学人間科学総合研究所紀要』一三(二〇一一年))
報告者は如上の問題意識のなかで、怪異学の培ってきた媒介者、すなわち「異界」を語るメディア
への着目がヒントとなると考える。具体的に「異界」を語る言説をふまえつつ、討議を行いたい。
○「神を見ることの賞罰」山本陽子氏
【要旨】
他界との交渉は、人がこの世ならぬ世界の者—鬼や神のような—を見ることに始まるものであろう。
この発表では、神を見た人々の反応とその結果が、どのように語られてきたかについて考察したい。
古代の日本において、神は目に見えぬもの、見てはならないものとされ、神の姿が造形されること
はなかった。しかし仏教伝来とともに目に見える仏像が入ってくると、その影響下で人の姿を持った
神々の像が作られ、描かれることとなる。
このようにして制作されるようになった神々の像はこの当時、どのようにして祀られていたのか。
また、そのような神の像を見ることや、描き写すことに対して、当時の人々はどのような意識を
持っていたのだろうか。『八幡愚童訓』の記述や、中世の神像にまつわる伝説、『春日権現験記絵』
のような神社縁起絵巻における神の描かれ方から、人の目に見える神像が制作されるようになった
時代にも、神を見てはならないとする古代の禁忌は消滅したわけではなく、むしろ強くなっていた
のではないかと指摘する。
さらに、それでもなお神を見たいと渇仰する人々が存在していたことの理由と、神を見たことの結果
がどのように語られているかについても言及したい。
○「阿育王の宝塔—日本的「驚異」の可能性」久禮旦雄氏
【要旨】
山中由里子編『〈驚異〉の文化史』(名古屋大学出版会)によれば、中世イスラームの地理書は
古代エジプトのピラミッドや、アケメネス朝ペルシアの首都であるペルセポリスの遺跡を「驚異」
と位置づけている。イスラーム世界における文化的な継続性の問題を考える上で興味深い事例といえる。
遺跡・遺物を「フシギなコト」として評価する事例は、中国においても確認できる。
紀元前113年、漢の武帝の頃、「宝鼎」(周代の遺物か)を発見したことによって、年号を「元鼎」
とした例がみえ、これが年号のはじまりとされる(所功『日本の年号』雄山閣)。この場合は遺物の
出土という「フシギ」を「祥瑞」としたのであろう。
そして日本においては、雷雨の後に出現した石鏃を天より降ったもので、「神による警告」とした
例がある(『続日本後紀』承和6年(839)10月17日条など、森浩一「九世紀の石鏃発見記事とその背景」『考古学と古代史』同志社大学考古学研究室)。
そして、中国の仏教史書である『法苑珠林』『集神州三宝感通録』によれば、唐の貞観5年(631)、
遣隋使に従って帰国する留学僧・会承(会丞)は、阿育王が世界中につくったという宝塔が日本(倭国)
には存在するか、と聞かれて、「往々にして古塔霊盤や仏諸儀相を発見するので昔から仏塔があった
ことがわかる」と答えている。彼が言っているのはおそらく出土した銅鐸・銅鏡のことであろう。
本報告では会承が述べた、このような「フシギ」は、同時代のいかなる世界観のもとで位置づけられ
ていたのかを考えてみたい。
東アジア恠異学会第108回定例研究会
○「遠景化していく他者の表象−宣教師をめぐる怪異譚、笑い咄を中心に」南郷晃子氏
【要旨】
「異」なる存在は怪異譚における重要なファクターであるが、16世紀に共同体を脅かす他者として現れた宣教師は限りなく
「異」なる存在であり、宣教師をめぐる語りは怪異譚に近接していく。しかし同時に17世紀の版本、すなわち都市文化に
おける商品に含まれる怪異譚は消費される娯楽でもある。娯楽化する宣教師は、笑い咄として咄の本にも登場する。
本報告では、このような17世紀の仮名草子や、笑い咄を中心に宣教師イメージの検証を行う。17世紀は、キリスト教が禁教
となったのち、宣教師が目に見えない存在になり、遠景化していく過渡期にある。「異」なる存在が、遠景化とともに娯楽
として消費されていく過程を検証し、近世期における「怪異」の考察へとつなげたい。なお、笑い咄は、キリシタン研究に
おいても、怪異学においても、あまり注目されてこなかったが、近世期における怪異譚と重なり合うものとして検証する
意義があると思われる。
またルイス・フロイスをはじめ布教の時代における宣教師は日本人が「われわれ」をどのように表現したのかという報告を
書き記しているが、この報告に記される宣教師表象と、17世紀以降の宣教師像とは、連続性を持つ。翻訳の扱いに注意を
払いながら、特に、「rapoza」≒狐という言葉と、後世の宣教師像との関連もあわせて検討したい。
近世期における宣教師は、「他者」として登場しながら一度完全に消え去り、後に再登場をする希有な存在である。この
特異な「他者」、および他者表象の問題について、そこにおける怪異譚の役割とともに考えていきたい。
○「石が降る—怪異・妖怪の分類に向けて—」化野燐氏
東アジア恠異学会第107回定例研究会
○「西王母の受容」重信あゆみ氏
【要旨】
西王母は『漢武帝内伝』において「可年二十許、天姿奄靄、靈顔絶世、眞靈人也」と記されている。また、元代の『歴世真仙体道通鑑後集』には「女子之登仙得道者咸所隷焉」と女仙の領袖とされている。これらが現在における西王母に対する認識である。しかし、西王母が記されている『山海経』西山経では「西王母其寔如人、豹尾虎齒而善嘯。蓬戴勝。是司天之厲及五殘。」とあるように半獣である。また、前野直彬氏は『山海経』海外経以下は異民族の知識を供給するものとしての性格を有していると述べている(『山海経』集英社、1975年、解説)。西王母の記述は『山海経』の中でも最も古くに成立したとされる西山経に初めて現れるが、海内北経・大荒西経にも記載されている。つまり、異民族の知識が記された部分にも記されている。つぎに、虎が意味するものはなにか。
白川静『字統』 (一九八四年、平凡社)二七五頁、虎に「饕餮は虎を文様化した、左右の展開図である」とみえる。饕餮は神に捧げものをする青銅器に描かれ、神への捧げものを狙う悪鬼を追い払う役割があったと考えられる。また、大形徹氏は「本草書にみえる虎」(人文学論集. 1996, 14, p.67-84)において「虎が薬物として利用されたのは、虎が悪霊を食べるという観念が増幅されたものであった」と述べている。このことから虎の属性をもつ西王母も悪鬼を払うものであり辟邪として扱われていた可能性が高い。このことから、つぎの2点を結論として挙げておきたい。一つ目は、西王母は異民族に属するものである。二つ目は辟邪として受け入れられた。
○「魂車について」大形徹氏
【要旨】
「魂車」とは「魂」が乗る車である。『儀礼』本文には「魂」という語はみえないものの、その鄭玄の注では「魂車」の語がみえる。日本の盂蘭盆会に使う茄子や胡瓜で作った馬がそのイメージに近いかもしれない。発表では必ずしも「魂車」とは呼ばれていないものの、「魂」を運ぶとみなされる「車」や「舟」についても、文献や図像資料により論じた。また始皇帝陵の銅車馬についても、魂を運ぶ車である可能性を論じた。
○「釜鳴をめぐる怪異観について—辟邪観念の再検討にむけて」佐々木聡氏
東アジア恠異学会第106回定例研究会
○「件の成立に関する一考察〜陰陽書、河原巻物、そして牛の怪異との関係」榎村寛之氏
【要旨】
近世中期、18世紀頃に作られたとみられる河原巻物『長吏系傳巻』には「天岩戸」の描写があり、そこには
「件といひし黄牛の皮」を取って太鼓を作った、という記述が見られる。おそらく記された「件」としては
『簠簋抄』に次いで古いものであるが、注目したいのは件を黄牛だとしていることである。
本報告では、黄牛と陰陽道、件と陰陽道、河原者と陰陽道の関係を分析して、近世における赤牛の怪異譚、
新しい怪異「牛鬼」の形成、幕末に発生する予言獣「件」の成立背景について考察を加えたい。
○「無念塚」と「残念さん」岡本真生氏
【要旨】
現在でも、西日本各地には、幕末維新期に非業の死を遂げた人物を信仰する「残念さん」信仰が存在する。
たとえば、禁門の変で果てた山本文之助は、兵庫県尼崎市の共同墓地の一角で祀られている。また第二次長州
征伐で果てた依田伴蔵は、広島県廿日市市の山中の墓で祀られるとともに、依田神社の祭神とされている。
本報告では、各地に点在する「残念さん」信仰の事例を報告するとともに、「残念さん」信仰に類似した先行
事例として、大阪府八尾市に所在する「無念塚」(木村重成の墓)への信仰を取り上げる。
東アジア恠異学会第105回定例研究会
○「怪しさからみる現代の風景デザイン:その文化人類学的考察」片桐尉晶氏
【要旨】
文化人類学とランドスケープデザインの立場から、怪しさの可能性を考える。
文化人類学は文化多元主義的な視点から、近代科学の進歩主義を相対化してきたが、近年では社会的な可能性を考えつつある。
この中で、怪しさを研究する視点は、社会構造の一部として静的に考えるものと、社会的に象徴化されゆく、動的に考えるものの二つに大別される。
一方、近代科学技術が駆使される公共ランドスケープデザインにおいては、明快さが重視され、怪しさは否定される。しかしデザインされたプロセス
や形態を人類学的に検討すると、怪しさは、社会的に象徴化されないが、よりあいまいな形として動的に埋め込まれ、我々に新たな解釈の可能性をもたらしていることがわかる。
怪しさは、社会構造上の位置を持たないが故に怪しさとされ得るが、同時に社会に新たなものを加えるきっかけとしても評価できるのである。
○「近世の語彙に見る怪異」木場貴俊氏
【要旨】
報告者は以前「17世紀前後における日本の「妖怪」観—妖怪・化物・化生の物」
(『国際日本文化研究センター 国際シンポジウム論集』45、国際日本文化研究センター、2015 http://publications.nichibun.ac.jp/ja/item/kosh/2015-01-30/pub でダウンロード可)という論考で、17世紀以前の辞書類に見る怪異に関する語彙を考察した。
本報告では、18世紀以降の語彙を17世紀以前のものと関連させて検討することで、近世の怪異に関する語彙の全体像を通観してみたい。
東アジア恠異学会第104回定例研究会
○「〈他〉の認識と怪異学 怪異の比較学へむけて」
話題提供:久留島元
【要旨】
この話題提供は東アジア恠異学会の2015年度年間テーマである「〈他〉の認識と怪異学」を踏まえ、
今後の研究の方向性について考えるものである。
恠異学会では「怪異」を、フシギな現象を読み解き、説明する情報の発信者と受容者のコミュニケーションに
よって成立するものとしてとらえ、8月には勉誠出版より『アジア遊学187 怪異を媒介するもの』を刊行した。
本書は怪異を読み解き、その情報を媒介する〈媒介者〉の存在に注目しているが、特に「Ⅳ 怪異を辿る」では
東アジア・西アジア世界との比較が行われた。そうした研究蓄積を踏まえ、2015年度年間テーマでは「怪異」
を超えて、自分たちの日常的なコミュニケーションの輪の外にいる〈他〉の世界や存在に対する認識について
議論の対象としてきた。今回の話題提供は、第102回定例研究会における「異類」「異界」にまつわる討議を
ふまえながら、怪異学の成果を「比較」の観点からどう活かすことができるかについて、考えたい。
東アジア恠異学会第103回定例研究会
○「中世末の「件(くだん)」話
—『簠簋抄』に見える「件(ケン)」について—」中野瑛介氏
【要旨】
室町時代末から近世初頭に成立したとされる陰陽道書の解説書『簠簋抄(ほきしょう)』に見える
「件(ケン)」についての記事を紹介し、近世末の文献に見られる「件(くだん)」との比較を行う。
「件(くだん)」は、人面牛身の異類で、疫病・戦争などの厄災、あるいは豊作などの吉兆を予言するという。
近世末のかわら版などに絵図と共にその存在が記され、近代以降にも目撃譚が報告されている。
『簠簋抄』に見える「件(ケン)」も、予言を行う人面獣身の異類として記されており、「件(くだん)」話の
源泉を考える上での手がかりとなると考えられる。
○「近・現代の「件(クダン)」話
−戦時流言の一考察・コックリさんを手段として−」笹方政紀氏
【要旨】
人面牛身の「件(クダン)」が告げる予言は流行病や戦争のことが多く、その予言は必ず当たるという。
本発表では、近・現代における「件(クダン)」の流言の事例を確認した上、いつ、どこで、誰が、どのような状況で、
どのように、といった予言の告げられる「場」について検討するとともに、その「場」における人々の心性について
考えてみたい。特に太平洋戦争時のクダンの流言においては、当時流行したコックリさんを有効な手段として検証を試みる。
東アジア恠異学会第102回定例研究会
○基調報告「楽土を描く−『異代同戯図巻』とその周辺−」齋藤真麻理氏
【要旨】
福岡市美術館蔵『異代同戯図巻』(一巻、17世紀)は狩野昌運筆の戯画図巻であり、
時空を異にする和漢の故事人物や、多くの異類が描かれる。
登場者の本来の在り方をずらした各場面は、諧謔味にあふれている。
本図巻は狩野派としては異端の作と評され、詞書もなく、十分な研究がなされていない。
しかし、昌運は室町物語絵巻を手がけた御用絵師であり、
図巻冒頭には『弥兵衛鼠』の挿絵が転用されるなど、
室町物語の享受を考える上でも注意すべき資料といえよう。
本発表では『弥兵衛鼠』の異境意識を確認しつつ、
『異代同戯図巻』より「観音の射的」場面等を取り上げ、
異境往還の時と場について問題提起を行いたい。
東アジア恠異学会第101回定例研究会
○「お岩に見る御霊信仰—『四谷雑談』から『四谷怪談』に至る展開—」程青氏
【要旨】
周知のように、お岩という怨霊像は文学のみではなく、歌舞伎世界においても存在している。
お岩は文学的なキャラクターであると同時に、神でもある。
これによって、お岩は二重的な存在であると言える。お岩に関する従来の研究としては、
ほとんど『東海道四谷怪談』という歌舞伎の範囲において行われている。
しかし、実録小説としてのお岩怨霊譚・『四谷雑談』に関する論の出現とともに、
お岩に関する研究は初めて文学的な研究方向に向かい始めた。
本稿は、これらの先行研究を踏まえ、平安時代に成立した御霊信仰を背景とし、
『四谷雑談』と『東海道四谷怪談』を文学テキストとして分析していくことによって、
お岩に見る御霊信仰に関する考察に努めたい。
○「『日本霊異記』における僧侶転生譚とその背景」久禮旦雄氏
東アジア恠異学会第100回記念研究会
*当日は15分程度のショート発表を9名の方にご発表いただき、
ブロック毎にコメンテイターをお願いし、質疑応答を行いました。
【当日プログラム】
13:00 代表挨拶
「第1ブロック 近代メディアと怪異」
13:05 ① 岡本真生(園田学園女子大学)「「ざんねん」の肖像」
13:20 ② 大道晴香(國學院大學)
「霊場恐山における霊媒の変化—「イタコ」以前の恐山—」
13:35 ③ 陳宣聿(東北大学)「大衆雑誌にみる〈水子〉の形成と変遷」
13:50 コメント1 大江篤(園田学園女子大学)
14:00 質疑応答1
14:15 休憩(10分)
「第2ブロック 中国社会における怪異」
14:25 ④ 岡部美沙子(関西大学)「陝西省西安戸県の白澤像について」
14:40 ⑤ 小塚由博(大東文化大学)
「動かぬ人形の恠異性—『板橋雑記』顧眉の例を手がかりに—」
14:55 ⑥ 清水浩子(大正大学)「怪神から妖怪へ」
15:10 コメント2 佐野誠子(名古屋大学)
15:20 質疑応答2
15:35 休憩(10分)
「第3ブロック 説話伝承と怪異」
15:45 ⑦ 南郷晃子(神戸大学国際文化学研究推進センター)
「人の姿、名、物語を得る神霊の考察−近世説話の検証から」
16:00 ⑧ 山本陽子(明星大学)「日本における光の怪異」
16:15 ⑨ 近藤久美子(大阪大学)「アラブ地域のジンとマジュヌーン」
16:30 コメント3 西山克(関西学院大学)
16:40 質疑応答3
16:55 閉会挨拶
17:00 終了
東アジア恠異学会第99回定例研究会
○「高向公輔伝説の変容と奇縁婚姻物語」榎村寛之氏
【要旨】
六朝志怪小説に見られる、「前世からの宿縁を否定できずに結婚した男女の因縁物語」は、
『今昔物語』にも見る事ができる。その主人公とされる九世紀の官人、高向公輔はもともと
僧で、この奇縁により還俗、結婚したとされている。しかし現実の公輔の還俗理由はそれ
ではなかった。さらにこの一件は、別の社会問題として12世紀の貴族社会で語られていた。
ある小説が異国で一人歩きして歴史となり、社会に影響を与える、その過程を追って、
意義を考えてみたい。
○「泉鏡花著『高野聖』内における「白痴」
—明治期の「精神障害者」の状況との関係性から—」江坂正太氏
【要旨】
泉鏡花が明治33年(1900)に雑誌『新小説』誌上に発表した『高野聖』には、「白痴」という
人物が登場する。この「白痴」を巡って、明治期の社会において、現代では「精神障害者」と
呼びうる人々がどの様に社会の中で規定されて行く事になるのかについて、「断訴医学」・
「瘋癲人取締規則」・「白痴教育」という3つの事象を取り上げて検討し、その上でこれらの
事象が、泉鏡花が「白痴」という人物を生み出すに当たってどの様な影響を与える事になった
のかについて考察する。
東アジア恠異学会第98回定例研究会
○「瑞兆の政治学〜播磨赤松氏白旗降下伝承の変容について」荻能幸氏
【要旨】
中世播磨の守護大名・赤松氏には、江戸時代以降、白旗降下にまつわる始祖伝説が語られている。
この伝承の起源は、『建内記』『満済准后日記』などの中世史料から、南北朝時代初め、赤松氏
大成の基となった建武3年(1336)の白旗城合戦と室町幕府の成立までさかのぼることができる。
この伝承の成立に際し、「白旗降下」という「奇瑞」が、どのような人々の政治的な意図によって
持ち出され、中央政界に媒介され、万里小路時房や醍醐寺三宝院満済といった室町幕府の中枢に近
い貴紳に受容されたのか、また、この伝承が戦国期以降の近世社会の成立という大変動期を経て、
播磨という一地域に根付くことになったのか、これらの経緯について考察する。
○「中国天文学における五星、五帝と五行思想」前原あやの氏
【要旨】
中国では、恒星とは異なる動きを見せる五星(五つの惑星)に古くから着目し、暦学における運行
周期の推算、天文占における五星占が、正史の律暦志や天文志、あるいは『開元占経』などの天文
書で言及されてきた。五星にはそれぞれ異なる性質が附与されるが、それらは五星の運行や色とい
った諸要素から導き出される。本発表では、中国天文学において五星がいかに記述され、それらと
五帝や五行思想との連関について整理し、中国天文学史上の五星の位置付けについて考察する。
また、合わせて個々の天文書の記述を比較・検討することの重要性についても言及したい。
東アジア恠異学会第97回定例研究会
○2014年度総会
○「災異と怪異をめぐるアプローチの再検討」佐々木聡氏
【要旨】
怪異学では、中国の災異思想を起点とするものの、その理解は董仲舒の言説に
重点が置かれ、その後の展開にはあまり着目されて来なかったと言える。
これは元より漢代思想を中心に行われてきた災異思想の研究についても同様の
傾向を見出せる。これまで議論されてきた怪異の日中比較においても、この点
は改めて注目される必要がある。
以上の点について、報告者はこれまでも何度か問題提起を行ってきたが、今回
は最近進めて来た天文五行占書の伝本調査や新資料『禮緯含文嘉』などの例、
また最近の敦煌研究の動向なども踏まえて、新たな提言を行ってみたい。
東アジア恠異学会第96回定例研究会
○「奈良時代・仏典注釈と霊異─善珠『本願薬師経鈔』と「起屍鬼」─」山口敦史氏
【要旨】
奈良時代の学僧である善珠の著作『本願薬師経鈔』には「起屍鬼」の呪法が記さ
れている。これは死体を蘇生させて操縦し、目標の人間を殺させる呪術である。
この「起屍鬼」は漢訳仏典に記されており、中国では「僵屍(キョンシー)」と
して展開する。日本の文献に記載された「起屍鬼」の内容と、その後の文学表現
に与えた影響を考察する。
○「怪異を媒介する人々-〈知〉と〈技〉への眼差し-」大江篤氏
【要旨】
「恠異」は、フシギな現象を読み解き、説明する情報の発信者と受容者のコミュニケーションによって成立する。
そこには、神霊と人、人と人を「媒介」する<知>と<技>が重要な役割を果たしてきた。
卜占や託宣を操る宗教者、怪異を知識で解釈する儒者や国学者、
怪異をエンターテイメントに昇華させる作家や芸能者等「媒介者」は多様であり、その諸相を検討することにより、
「恠異」をめぐる社会や人々の心性のダイナミズムを明らかにすることが可能となる。
本報告では、東アジア恠異学会のこれまでの成果を「媒介者」をキーワードにふりかえるとともに、
霊験寺院の造仏伝承をとりあげ、通時的に怪異・霊験譚の生成・伝播・定着・伝承の過程を検討したい。
東アジア恠異学会第95回定例研究会
○「式神と祇園社蛇毒気神に関する考察」山下克明氏
【要旨】
陰陽師が使役するという式神の実態に関して従来は具体的史料に乏しかったが、10世紀
前半の澗底隠者撰(延暦寺薬恒)『北斗護摩集』(東寺観智院蔵)では、九曜の羅睺星
と計都星は悪星で暦注八将神の黄幡・豹尾、陰陽家十二神の天岡・河魁であるとの『九
曜秘暦』の説を引き、「陰陽家の十二神中、河魁・天岡の二神を以て惡毒猛將の神とな
す。式を封じ厭鎭する時、この二神を以て猛將となす也」と注し、式神が式盤十二月将
であることを始めて明らかにしている。また中世の『簠簋内伝』では、豹尾神を蛇毒気
神とするが、『扶桑略記』延久二年(1070)十月十四日の祇園社火災記事で、八王子四
躰と蛇毒気神・大将軍神像が焼失したとあり、院政期に蛇毒気神が祇園社に祀られてい
たことが知られる。今回の報告では、従来不明確な存在であった式神や蛇毒気神につい
て若干の考察を行いたいと思う。
○「日本古代の王権と神祇官・陰陽寮—八世紀後半を中心に—」久禮旦雄氏
【要旨】
日本古代国家において、神祇官・陰陽寮は卜占に関わる活動を行なっており、宗教的性格を有するとともに、
神祇関係氏族や渡来系氏族がその中心となるため、律令官僚制において、氏族制的性格を色濃く残す、
特殊な官司であった。本発表では、そのような神祇官・陰陽寮を日本古代王権がいかに支配したかを、
奈良時代後半から平安時代初期の長官・次官の人事を通して考察し、「フシギ」「マレ」に関わる宗教的存在、
「媒介者」というべき存在をいかに日常的な法と官僚制の支配の中に位置づけていったかをみていきたい。
東アジア恠異学会第94回定例研究会
○「近世怪異譚と春画」鈴木堅弘氏
【要旨】
本発表では、国際日本文化研究センターの春画・艶本コレクションを中心に、春画に
描かれた怪異図を数多く紹介することを目的とする。その際に、そのような「性」と
「怪」を結ぶイメージが『奇異雑談集』、『諸国百物語』、『狗張子』などの近世
怪異譚をもとに想起された可能性を示す。
具体的には、幽霊・狐狸の性交画や、丑の刻参り・牡丹灯籠の趣向画などを取り上げ、
〈近世文藝の怪異譚〉と〈春画の図像表現〉における近似性や連環性を指摘し、江戸
時代の春画表現の多様性を明示する。
なお、本発表では、春画にそうした怪異譚が含まれる文化背景までも考察の対象とし、
性・怪の視覚表現の成立状況を探るなかで、畏怖と愛欲が交錯する近世文化の一端を
浮き上がらせることを狙いとしたい。
○「妖怪の分類」化野燐氏
【要旨】
発現の頻度が低い出来事の原因者として仮想されるモノ、それらをモデルに想像された
モノたちのうち、神仏以外の存在=「妖怪」について、より深く考えるため、民俗学や
風俗史学の研究者をはじめとする先人たちはいろいろな妖怪の分類方法を試みてきた。
そうした方法論をさらに進めるために、発表者はモノが認識される形態の型、人に
関与する行動の型、出現する場所・時間の特徴などの諸属性の組み合わせを分析する
ことによって得られた分類の一部をかつて雑誌『怪』誌上にて連載したことがある。
今回は、紙幅の都合もあって当時の連載では触れられなかった未公開の部分をふくむ
分類体系の全貌を改めて公開する。
またこの方法によって抽出された「進路妨害型」、「垂下型」、「馬・頭部欠損型」
などのいくつかの頻出類型について、分布や系譜関係などを検討した成果につい
ても触れ、この分類を使用することによって従来よりも踏みこんだ「妖怪」に関する
議論が可能となることもあわせて明らかにする。
東アジア恠異学会第93回定例研究会
○「皿屋敷伝承の諸相 —尼崎をはじめとした、各地の特殊な事例が持つ意味—」今井秀和氏
【要旨】
「皿屋敷」にまつわる伝承、あるいは、それと密接な関わりを持つ「お菊」などの下女の怨霊の伝承は、日本各地に分布しており、よく知られたものである。
しかし、それらの伝承が相互にどのような繋がりを持っているのかに関して、明確な見取り図を提示するのは容易な作業ではない。
本発表では、複雑な関係性で結ばれた全国の皿屋敷伝承のうち、特殊な内容を持つもの、とくに、尼崎をはじめとした各地の伝承に的を絞り、その意味する
ところについて考えてみたい。
○コメント「殖える恠異〜生物の大量発生をどう捉えたか〜」
島田尚幸氏(東海高校・中学教員)
東アジア恠異学会第92回定例研究会
○「近世後期の学知と怪異—古賀侗庵を例にして—」木場貴俊氏
【要旨】
昌平黌儒者古賀侗庵(1788〜1847)は、
河童に関する図説集『水虎考略』『水虎考略後編』や
怪談集『今斉諧』を編纂した人物として知られている。
しかし、侗庵自身が怪異についてどのように考えていたのか、
その思想性についてはこれまで具体的に検討されてこなかった。
本報告では、侗庵を事例として、近年の彼に関する研究動向を踏まえつつ、
19世紀の学問における怪異の位置を考えたい。
○「驚異と怪異—想像界の比較研究」山中由里子氏
【要旨】
ツヴェタン・トドロフが『幻想文学論序説』(1970)で定義したように、
現代文学の観点からすると「驚異」marvelous や「怪異」uncannyは、
自然界には存在しえない現象を描いた幻想文学、いわゆるファンタジーの部類に入るとみなされる。
近代的な理性の発展とともに、科学的に証明のできない「超常現象」や「未確認生物」は
オカルトの範疇に閉じ込められてきた。
しかし近世以前、ヨーロッパや中東においては、犬頭人、一角獣といった不可思議ではあるが
この世のどこかに実際に存在するかもしれない「驚異」(mirabilia / ʿajāʾib)は、
空想として否定されるべきではない自然誌の知識の一部として語られた。
また、東アジアにおいては、実際に体験された奇怪な現象や異様な物体を説明しようとする心の動きが、
「怪異」を生み出した。本発表では、驚異や怪異を含む中世の旅行記や博物誌の序文テクストを分析し、
これらの概念がどのように定義され、認識されていたかを検討する。
そこに見られる意外な共通性には、驚異と怪異の比較研究の可能性が秘められている。
*当日コメンテーター近藤久美子氏、黒川正剛氏
東アジア恠異学会第91回定例研究会
○「『郷土生活採集手帳』と祟り、妖怪」大江篤氏、化野燐氏
【要旨】
柳田國男と彼の周囲の研究者の努力によって成立した民俗学という学問にお
いては、多数の研究者による現地採訪のデータがその理論構築に大きな役割を果た
している。柳田の「妖怪名彙」や民俗学研究所の『山村生活の研究』、『海村生活の
研究』、『総合日本民俗語彙』などを成立させる基礎となった資料の収集には、
『郷土生活採集手帖』と称される現地調査用に特化された取材ノートが使用され、そ
のデータが実に豊富な事例を提供している。
報告者たちが成城大学の民俗学研究所に所蔵されているこの資料にあたって得られ
た成果の一部は、第80回の定例研究会にて報告させていただいた。一次資料の詳
細な報告、検討によって、「祟り」と見なしうるコトや、後に「妖怪」として概念化
されていくモノが、どのような視点を持って調査されてきたのかは、そこで明らか
にすることが出来た。
今回の発表では、さらに一歩踏み込んで、『採集手帖』に残された記述を、より大
きな文脈の中に位置づけ、民俗学において「祟り」、「妖怪」といった概念が形成
される過程で、『採集手帖』の成果がどのように生かされたか、その学史的位置づけ
を明らかにすることとしたい。
東アジア恠異学会第90回定例研究会
○2013年度総会
○「道教では縊死者をいかにして救済するのか —台湾南部地域を例として—」山田明広氏
【要旨】
中国や台湾をはじめとする中華文化圏においては、人が死去した場合、しばしば、道士あるいは僧侶を招いて、
「功徳」ないしは「斎」と呼ばれる追善供養の儀礼が行われる。このうち道教式の功徳は、道教の伝統的な「黄籙斎」
の系譜に連なるもので、数個から数十個の「科目」により構成されるが、その構成内容や順序はかなりの程度固定化
されている。ただ、救済の対象である亡魂が難産死や溺死、縊死などといった異常と認められるような死因により死亡
した場合には、通常死の場合には見られない特殊な科目ないしは功徳を行う必要が生じる。
本報告では、このような道教の異常死者救済儀礼のうち、台湾南部地域において縊死者を救済するために行われる
「解懸放索」あるいは「絞台放索」と呼ばれる儀礼を取り上げ、その内容および儀礼構造を分析し、なぜこのような
儀礼が行われるのか考察するとともに、儀礼の地域的差異や歴史的変遷についても言及したい。
東アジア恠異学会第89回定例研究会
○「古代中国に於ける天文占知識の所在」田中良明氏
【要旨】
中国天文学は天文占を主体とし、その占辞の対象は天下国家に関わるものである。そのため、歴代の王朝で天文占書の私蔵と天文学の私習が禁じられた事は、諸書に散見され枚挙に暇がない。
しかし、禁令はその禁令の対象者が存在する事を前提としており、天文学私習の禁令の存在は、即ち天文占書を私蔵する者や天文学を私習する者の存在を証明するものである。
本発表では、古代中国に於いて、かかる天文占書やそこに記された天文占の知識の内容を概説した上で、それらを司るべきとされた国家の天文官の個々の来歴や、天文占書の扱われ方などを
見ていく事で、天文占の知識がいかなる場所(在官在野、中央地方の別等)に存在していたかについて論ずる事を試みるものである。
○「神祇官卜部と亀卜の技法—現状と課題—」大江篤氏
【要旨】
東アジア恠異学会では、「恠異」やフシギなコトを神霊の仕業と認識し、危機管理を行う技法として〈亀卜〉に注目し、研究を進めてきた。
その成果の一端は、『亀卜 歴史の地層に秘められたうらないの技をほりおこす』(臨川書店、2006年)にまとめた。
そこでは、中国古代の卜占から日本古代史、考古学、民俗学、動物行動学等多角的な視座から〈亀卜〉を検討した。
本報告では、怪異を読み解く技法の一つである〈亀卜〉の技法について概観するとともに、その担い手である神祇官卜部の特質を明らかにしたい。
さらに、学会の2013年度年間テーマである「転換期における〈知〉と〈怪異〉」をふまえ、〈媒介者〉論の課題を提示したい。
東アジア恠異学会第88回定例研究会
○「転換期の<知>と<怪異>」話題提供 榎村寛之氏、久禮旦雄氏
【要旨】
この話題提供は東アジア恠異学会の2013年度年間テーマである「転換期における<知>と<怪異>」を踏まえ、今後の研究の方向性について考えるものである。
東アジア恠異学会は近年、「恠異」とは古代後期以降用いられた法令用語であることを明確にし、その上でより広い意味での「怪異」=フシギについての研究を行ってきた。
今回は特にその「フシギ」についての視点を「恠異」成立以前の国家に向けてみたい。
古代においては「フシギ」(災害・疫病・天変など)に対して、祭祀を以て対応し、またいわゆる記紀や『風土記』には様々な「フシギ」なことが書かれていると考えられている。
しかし一方で、中央の祭祀を規定する神祇令にはフシギに対する対応は規定されておらず、地方社会での在地祭祀との間には断絶がある。また「記紀」は果たして神々による「フシギ」を書こうとしているのか、その姿勢には疑問が残る。
改めて古代国家の中で「祭祀」「神話」と「フシギ」の関係を考え、その中から生まれてきた「恠異」を再検討していきたい。
それと共に、かつての「怪異」と同じくあまりにも広い意味で用いられ、その学問的な検討を難しくしている古代から中世にかけての「神話」という言葉についても考えてみたいと思っている。
報告者の専門が共に古代史のため、話題提供は古代を中心とするが、その展開過程などの議論には広い分野からの意見をいただきたいと考えている。
東アジア恠異学会第87回定例研究会
○「怪異・妖怪の場所論」佐々木高弘氏
【要旨】
怪異・妖怪は、その現象が起こったとされる場所から見ることによって、これまでとは全く違う視点からの研究が可能となる。本発表では、これまで発表者が行ってきた研究事例にもとづいて、怪異・妖界の場所論についての新しい視角を提示する。
特に今回の発表では、平安京の怪異・妖怪の場所に注目し、古代日本人の神話的世界観がその背景にあった点を論じる。その上で、近世の城下町や村落社会の怪異・妖怪の場所についても言及するつもりである。
○「魔物の通る道 〜魔筋・ナメラスジ・ナマメスジについて〜」木下浩氏
【要旨】
岡山県を中心とした地域では,かつて魔物が通るとされる道筋が伝えられていた。そこは忌み筋として人々に恐れられ,およそ次の3つの共通点を示している。①魔筋・ナメラスジ・ナワメスジなどと呼ばれる。②魔物や得体の知れないモノ,妖怪や動物,神のお使いなどが通る道筋とされる。③その筋に家を建てると不幸になる,その筋を歩くと気持ちが悪くなるなどの悪い出来事に遭遇する。これら魔筋の伝承は近年ではほとんど廃れてしまったが,岩井志麻子の小説に取り挙げられ注目を浴びたこともあった。しかし,魔筋を単に忌み地の一つとしての魔物の通る道と捉えようとしてもその中身は非常に多様であり,その全貌や隠された意味を把握することは困難である。そこで残された資料や聞き取り調査などから何が通るのか,どんな出来事が起こるのか,その由来は何なのかなどを具体的事例で検証しながら魔筋についてアプローチを試みていきたい。
東アジア恠異学会第86回定例研究会
○『扶桑略記』「大鬼道」考 久留島元氏
【要旨】
『扶桑略記』皇極四年には、蘇我蝦夷が死んで「大鬼道」に堕ちた、と記される。また同書斉明元年には空中に龍に乗る者が現れたといい、
これを「時人云ふ、蘇我豊浦大臣の霊也と」と伝える。「大鬼道」とは何をさすのか、なぜ「大鬼道」に堕ちた蝦夷が龍に乗って出現したのか。
今回は「大鬼道」という語を検討することで院政期における異界観の一端を考える足がかりとしたい。
○「人が河童を記録する営為」木場貴俊氏
【要旨】
これまで東アジア恠異学会は、怪異史料におけるバイアス=書き手の立場性を常に意識しながら研究を積み重ねてきた。本報告は、その視角から河童に関する史料を分析する試みである。
これまで河童に関しては膨大な研究蓄積があり、河童についてのイメージや「生態」など多くのことが明らかにされてきた。しかし、「人が河童を記録する営為」の意味、特に前近代での意味については、あまり研究されてこなかった。
そこで今回は、「なぜ人は河童を記録するのか?」という課題について、近世における記録者の個性(思想・立場など)、あるいは記録者の背後にある当時の常識(社会的通念)の側面から考えることによって、当時の人々の思考の多様性・多元性を見てみたい。
東アジア恠異学会第85回定例研究会
○「怪異情報の媒介者 ―件(クダン)と神さま―」笹方政紀氏
【要旨】
湯本豪一氏が提唱し、常光徹氏が「農作や疫病の流行など未来のことを予言したあと、除災の方法を告げて消え去ったという異形のモノ」とする予言獣の一つに、人面牛身の「件(クダン)」がある。
現在一般的に認められている「件」の近世史料は、瓦版、あるいは瓦版に関する随筆に基づくものであることから、近世の「件」に関する先行研究は、瓦版という媒体を通した視座に立つものに終始している。
本発表では先行研究を踏まえ、瓦版を媒体とする予言獣の成立過程についてさらなる検討を行った上で、すでに指摘されている見世物と「件」との関連性という観点から、瓦版とは別の媒体である見世物を通した近世の「件」像を検証するとともに、近世における怪異情報の発信者と受信者の心性の一面を考えてみたい。
○アラブ地域における夢に纏わる信仰伝承 近藤久美子氏
東アジア恠異学会第84回定例研究会
○「誓願寺縁起の展開―「怪異」と「霊験」を考えるために― 」大江篤氏
【要旨】
近世社会の「怪異」については、堤邦彦氏の重厚な怪談研究がある。堤氏は『怪異学入門』への書評(『図書新聞』3088号、2012年12月)において「室町期に噂に浸潤した怪異譚の類型が、その後どのような変遷をとげたか」と問いかけ、地方の支配層や知識人によって編纂された奇談集や近世都市を拠点としたエンターテイメントとしての怪談へのアプローチの必要性を指摘している。また、「根源的な「オソレ」の民俗観念を解き明かす新たな「怪異学」の手法が必要」という。
本報告は、近世京都において、フシギな出来事(いわゆる「怪異」)の情報が重層的に形成され、「霊験」として定着していく諸相を「誓願寺縁起」(中京区新京極三条)を素材に検討したい。その検討から、民俗社会の「怪異」を読解する視点を提示したい。
○「中国「妖怪」論再考―鬼神観研究から見えてきたもの―」佐々木聡氏
【要旨】
本報告では、報告者がこれまで行ってきた中国中世の鬼神観研究の視点から、中国的妖怪観念とその研究の在り方について考えてみたい。厚い妖怪研究史を有する日本研究とは異なり、従来の中国研究は、橋本尭氏や篠原寿雄氏ら一部の研究を除けば、およそ妖怪を術語として検討する視座を欠いていた。怪異をめぐる日中の社会受容の相違を念頭に置くのであれば、やはり中国的妖怪もまた中国独自の資料的文脈から、固有の在り方を検討してゆく必要がある。こうした問題関心を念頭に、報告者はこれまで鬼神をめぐる心性表象と社会通念の研究に従事してきたが、そこから、鬼神(モノ)と怪異(コト)の関係性や自然感応的側面など鬼神観の持つ中国的特質が徐々に明らかとなってきた。
本報告では日本における妖怪研究史とも接続し得る問題意識を提起するため、敢えて「妖怪」論と題することとした。鬼神観研究から妖怪研究へ――、漸く見えてきたおぼろげな輪郭ではあるが、新資料なども交えて論じてみたい。
東アジア恠異学会第83回定例研究会
○「九尾の狐伝承考」佐野誠子氏
【要旨】
妖狐の伝承は多数あれども、九尾を持つのは、中国においては、殷の妲己のみである。いっぽう日本においては、
玉藻前伝承において、正体が九尾の狐であり、インドでは、華陽夫人、中国では、殷の妲己であったとされた。
ただ、この玉藻前、御伽草子の時点では、妲己ではなく、周の褒ジ(女+以)であったとされ、尾も九本ではなく
二本であった。なぜ褒ジであったのか、いつからどのように九尾の狐、妲己に変化していったのかを探ることで、
日本における中国典籍受容のあり方を論じられればと考えている。
○江戸後期知識人の「幽冥の談」への態度
―松浦静山『甲子夜話』、平田篤胤『仙境異聞』を中心に― 今井秀和氏
【要旨】
江戸後期の平戸藩主であった松浦静山(1760―1841)は、隠居後に林大学頭述斎から執筆を勧められて、正篇・続篇・三篇併せて全278巻にものぼる大部の随筆『甲子夜話』を著した。そこには、怪異に類する記事も数多く含まれており、中には、平田篤胤(1778―1843)の『勝五郎再生記聞』で知られる転生少年“勝五郎”についての記事もある。しかし、静山自身は「幽冥の談を云者」としてこれを否定しており、自身の下屋敷の隣宅を勝五郎が訪れた際にも面会せず、家臣を遣わして記録をとらせるに留めている。
この時、勝五郎を家に上げた隣宅の住人は、静山と親しい交わりを続ける幕臣、荻野梅塢(1781―1843)であった。梅塢は、篤胤『仙境異聞』にも登場し、天狗の修行を受けたという“仙童寅吉”の神通力を否定して、寅吉との間に論争を起こしている。本発表では、松浦静山、平田篤胤の双方と関わりのあった荻野梅塢という人物を起点として、それぞれ江戸後期にサロン的集団を形成していた静山、篤胤という知識人の、「幽冥の談」に対する態度の違いに着目し、その意味するところについて考えてみたい。
東アジア恠異学会第82回定例研究会
○「中空(なかぞら)の異空間—「さかさまの幽霊」から—」山本陽子氏
【要旨】
幽霊は近世初期の挿絵において、しばしば頭を下に足を上にした「さかさま」の姿で表される。
その理由については様々な見解があるが、ここに私見を付加して発表の糸口としたい。すなわち
「さかさまの幽霊」とは、亡者の魂がこの世ではない中空(なかぞら)の空間に在って、そこから
コウモリのように逆さまにぶらさがって現世に現れた姿ではないか。
これまで、幽霊となるような死者の魂の在りかは、仏教の影響もあって地獄のような地下方
向に想定されていると考えられてきた。しかし一方で、身体を抜け出した死者の魂は家屋の棟に
しばし留まるという発想があったことが、平安時代の『小右記』で、屋根に登って魂呼ばいした
習慣からも知られている。説話や伝承、記録の中にも、幽霊や人魂が屋根や天井に表れ、下の部屋
を覗き込むという話は少なくない。
屋根に取り付くのは亡者だけではない。『春日権現験記絵』には、屋根から逆さまに人家を覗き込む
疫鬼の姿も描かれている。この屋根・屋根裏・天井・大門の階上のような、天界ではないが地上からは
遊離した中空(なかぞら)の異空間には、何が棲むと考えられてきたのか、それはどのように描かれ、
現世の人々がいかにして防御を試みたのかを、絵画資料を中心として考察したい。
東アジア恠異学会第81回定例研究会
○「「おさご」伝承の考察—場の神霊から「家」に憑く神霊へ」南郷晃子氏
【要旨】
『因幡民談記』や『雪窓夜話』などの近世の鳥取の地誌には、鳥取城築城時に「おさご」という女性が活躍したという伝承が見える。この「おさご」が、備中国井原陣屋領主の池田家と備前国建部陣屋領主の池田家において家の祟り神として受容されていく様を追う。武家の断絶への懼れは、本来特定の場に伴う神霊であったはずの「おさご」を、血筋に憑く祟り神へと変容させる。「おさご」の考察を通じ、嗣子の有無が領主としての家の行く末を左右するという仕組みが、「祟り」の意味を転換させていく様を明らかにしていきたい。
○「物語構造への御霊の機能—『曽我物語』真名本を中心に」会田実氏
【要旨】
曽我御霊鎮魂のために語り出されたのが原曽我物語であるということを前提に話をすすめます。ですからここは物理法則と同じでそういうものだということでお願いします。
曽我物語は、源頼朝の王権問題と深く関わった物語です。それは曽我御霊鎮魂が頼朝政権ひいては源氏の安泰を呪的に保障するという構造を有していると考えられるからです。しかし物語をより構造的に読むと、その保障のロジックは曽我御霊ばかりではなく、冒頭部の惟高・惟仁位争い譚に想起される惟高御霊(怨霊)鎮魂と対になることで成立していると思われるのです。曽我物語の冒頭に惟高・惟仁位争い譚があることの意味は、おそらく源氏始祖に絡むことです。それ故、源氏安泰と密接に関係すると思うのですが、こうみると曽我物語はその外枠として二重の鎮魂が構造化されているようです。さらに物語内部には、三代で亡んだ源氏将軍への鎮魂(北条氏の安寧を期待)も伏在していると考えられます。これは物語生成の問題とも言えますがそれはともかく、そうすると現曽我物語(真名本)は少なくとも三重の御霊鎮魂の構造を有して成っていることになります。このようなことの他、時間があれば曽我御霊と富士浅間、また仮名本についても少し触れたいと思います。
東アジア恠異学会第80回定例研究会
○「朝鮮文化における怪異」野崎充彦氏
【要旨】
『高麗史』や『朝鮮王朝実録』のような歴代の正史には、五行志のように天変
地異に関する夥しい記述が見える。しかし、その一方で小説や説話など、文学世界では
幽霊やお化け、および魑魅魍魎らの出現は極めて乏しい。辞典が編纂できるほど多様な
妖怪が跋扈する日本はいうまでもないが、中国と比べてもこのアンバランスは目につこ
う。とはいえ、例外がなかったわけではない。15世紀の朝鮮社会がそうである。この時
代の士大夫の随筆集(例えば、成俔の『慵斎叢話』など)には巷での見聞のみならず、
筆者自身の「実体験」をも含む怪異譚が少なくない。それを可能にしたのは、新政権樹
立後まもない朝鮮王朝の過渡期的で柔軟な時代精神であり、それはまた徳川初期の林羅
山とも共通するものだった(羅山は朝鮮士大夫の随筆集に親しんでおり、その影響関係
は確かである)。
本発表は、15世紀朝鮮社会を事例に、儒・仏・道・巫・風水などの思想・宗教、および
文学史的な状況を読み解きながら、怪異なるものが成立し得る諸条件について考察しよ
うとするものである。
○「『郷土生活採集手帖』にみる怪異〜民俗学から怪異学へ〜」化野燐氏、大江篤氏
【要旨】
柳田国男と彼の周囲の研究者の努力によって成立した民俗学という学問におい
ては、多数の研究者による現地採訪のデータがその理論構築に大きな役割を果たしてい
る。柳田の「妖怪名彙」や民俗学研究所の『山村生活の研究』、『海村生活の研究』、
『総合日本民俗語彙』などのもととなった資料の収集には、『郷土生活採集手帖』と称
される現地調査用に特化された取材ノートが使用され、そのデータが実に豊富な事例を
提供している。
現在残されたこれらの成果から逆算するなら、「手帖」の中には、「祟り」と見なしう
る記事や、後に「妖怪」として概念化されるモノの記事が多く残されていることが推察
される。また「祟り」や「妖怪」といった近代的な「怪異」にかかわる問題を民俗学が
対象化する過程においては、江戸時代の地誌、市町村史、雑誌などのさまざまな書物か
らカードに抜き書きされた情報とともに、この手帖によって集められた一次資料が利用
されている。
これら柳田たちが参照した調査データの実体とその幅を知り、彼らの問題意識の所在
、利用されたものと利用されなかったデータの間にある差異などを確認する作業は、民
俗学が研究対象とした概念の成立した過程を明らかにするためのよい手掛かりになるに
違いない。
今回、報告者たちは成城大学の民俗学研究所に所蔵されているこの『郷土生活採集手
帖』にあたり、その実態を確認する作業を開始した。まだ調査は端緒についたばかりで
はあるが、第一回調査の成果と今後の展望について報告したい。
東アジア恠異学会第79回定例研究会
○「法・歴史・恠異 律令王権の内と外 —東京例会の成果をもとに」榎村寛之氏
東アジア恠異学会第78回定例研究会
○「『是害房絵』の展開」久留島元氏
【要旨】
『是害房絵』は、唐土から飛来した是害房天狗が比叡山の高僧に撃退され、
湯治で傷を癒して本国へ帰る、という内容の絵巻である。
稿者はすでに二本の論文を発表し、絵巻の成立圏や構成について考察した。
しかし『是害房絵』は時代を下っても多くの伝本が作られ、謡曲の詞章や即興
の謡い物などを取り込みつつ変化、成長している。一四世紀的関心のもと制作
された絵巻が、その後どのように読まれてきたのか。中世の絵巻が異なる文脈
で読み替えられ、新たに展開していく様相を、伝本を再検討することで具体的
に考察したい。
『是害房絵』の諸本分類に関しては友久武文氏の詳細な分類があるが、今回、
友久分類に記載のない伝本の画像を確認することができた。それにより、絵巻
後半における天狗の行列場面の異同について、より詳細な検討が可能となった。
今回は調査の成果をふまえて伝本間の異同を再検討し、隣接する絵巻との関係
も見据えながら新たに試案を提出する。また、先行研究で解釈に揺れのある
難解な語彙、描写について注釈的読解を目指し、絵画分析とあわせて絵巻読解
の方法を探っていく。
○「『風土記』逸文にみえる神社と「祟」」久禮旦雄氏
【要旨】
古代史料にみえる「祟」が、現在の通俗的・一般的に用いられる「タタリ」とは異な
り、神祇官の亀卜と連動して用いられる言葉であることは既に大江篤氏の指摘すると
ころである(大江篤『日本古代の神と霊』、東アジア恠異学会編『亀卜』)。報告者
はこの成果を前提として、『風土記』において「祟」が中央の影響力の強い東国
(『常陸国風土記』)・九州(『肥前国風土記』及び『筑前国風土記』逸文)にのみ
用いられており、似たような現象についての記事でも『播磨国風土記』や『出雲国風
土記』では「祟」とされていないことを指摘した(拙稿「神祇令の特質とその前提—
古代国家祭祀の理念と現実」『法学論叢』168-3・5)。
本報告では以上の考察が『風土記』逸文(特に神社について残されているもの)にみ
える「祟」でも妥当かどうかを検討し、「祟」に先行する神と人との交渉がいかなる
ものであったかを考えてみたい。
○「能の竜神とその演出」米田真理氏
【要旨】
文学に描かれる竜は、仏法に敵対する外道として描かれる
ことがままある。芸能においては、例えば延年風流では、竜が王位の者に
財宝などの捧げ物をすることで、祝言性を表現するという形式のものが
多く見られる。
能においても、延年風流の形式を受け継ぎ、竜神を主役とする祝言能が
いくつも作られたが、一方で、説話や物語を題材とした「悪い竜神」が
登場する作品も存在する。ところが、能が演じ続けられる過程で、竜神、
あるいは竜神とともに登場する人物の描かれ方に、混乱が生じる場合が
見られる。
本発表では、能〈絃上(けんじょう)〉を中心に、上記の問題について
考察を試みたい。
東アジア恠異学会第77回定例研究会
○特別企画「東アジアの占いと予言〜未来を読む技、語る声〜」
○研究報告「怪異占の諸相と比較分析方法試論—鬼神・占卜・辟邪をめぐって」佐々木聡氏
【要旨】
最近書いた拙稿「中国社会と怪異」(近刊予定『怪異学入門』所収)でも触れたが、中国の怪異占では、どんなモノゴトを「怪異」現象と見なして占うかについては、国家・為政者レベルであれ、民間・個人レベルであれ、大きな違いはなかった。これは例えば、唐代に民間で使われた怪異占書に見える怪異が、当時の勅撰占書『開元占経』に載録される怪異とほぼ一致することからも明らかである。
しかし、同じ怪異であっても、占卜による解釈や対応策としての辟邪方法、及びその背景にある鬼神観は、その占書により大きく異なる。例えば、民間の雑占書には、怪異とその解釈(占断)の他に、怪異を起こす鬼神やその辟邪方法を付記したものがあるが、こうした形式は、怪異と解釈のみを記す五行志や『開元占経』とは対称的である。また、占断方法も様々なものがあるが、こと怪異を解釈する場合には、中国では以前の怪異記録と照合する場合が多い。これは怪異が起こった際に、それを起こす鬼神の意図(神意)を式占や卜筮などにより占うことの多い日本の場合とは異なる特徴である。このことは、中国では国家レベルの怪異は、天が為政者に下す譴責であり、鬼神の自己主張ではないということと関係しよう(そもそもこうした国家レベルの怪異には鬼神は殆ど登場しないとも言われる)。
このように占卜・辟邪・鬼神の諸要素は怪異占のヴァリエーションを捉える上で、重要な指標となる。しかし従来の研究では、あまり着目されてこなかった点も多い。そこで本発表では、比較分析の方法を考える試みとして、モデルケースを挙げて諸要素を抽出・図式化し、私見を提示してみたい。
なお、今回はテーマ企画「占いと預言」ということで、占いと預言の違いについても少し考えてみたい。両者は重なる部分も多いが、概念的には異なる部分も見いだせる。そこに怪異占の性格を考えるヒントがあるように思われるのである。
東アジア恠異学会第76回定例研究会
特別企画「法制と怪異」
特別企画「法制と怪異」
○ 「「法」と「怪異」のあいだ——法制史学はいかに「怪異」を語らないか」新田一郎氏
【要旨】
「法」は、或る意味において「怪異」の対極に位置し、語りえぬ「怪異」を語らないこ
とによって、人智によって理解可能、人為によって操作可能な構造を獲得する。「法」
の存立の境界条件(の一端)は、いかにして「怪異」を理解可能・操作可能なものとそ
うでないものとに切り分け、前者を世界の側に取り込む一方で後者を排除するか、とい
う局面において示される。本報告は、この問題に正面から取り組むものではないが、こ
の問題に取り組むための切り口の模索を意図し、下記【参考】拙稿を土台に、「法の人
為化」に焦点を据えたいささかの愚見を披瀝する。
○ 「託宣と法−神仏習合との関係を中心に」久禮旦雄氏
【要旨】
東アジア恠異学会は、「祟」「恠異」などの言葉が、古代国家の法令や行政上の処理に
際して用いられた専門用語が民間に流出したものであることを明らかにしてきた。
本報告はそこで得られた知見をもとに古代の「託宣」について論じ、民間の宗教活動を
規制する律令法と、八幡神に代表される託宣する神々と結びついた仏教(仏法)という
日本古代における二つの法の関係とその展開過程を考察するものである。
○「西欧中世における「異端」迫害の構造
−ラングドック地域の「カタリ派」をめぐる諸問題—」図師宣忠氏
【要旨】
本報告では、南仏ラングドック地域の「カタリ派」をめぐる諸問題を取り上げ、異端審
問による「異端」抑圧という問題系を中心に、西欧中世社会における「異端」迫害のメ
カニズムについて考察を試みる。フランス国王による統治が開始される13世紀のラング
ドック社会は、異端審問の創設と展開のまさに主要な舞台でもあった。こうした王権・
教皇権という聖俗両権を二つの焦点として繰り広げられる権力と社会との相互作用の過
程を踏まえて、「カタリ派」が「異端」として迫害される経緯を、歴史的文脈に位置づ
けて検討してみたい。
東アジア恠異学会第75回定例研究会
○「天保14年の天変を前にした人々」杉岳志氏
【要旨】
天保14年(1843)の春に出現した彗星は、今日では「1843年の大彗星」(the
Great Comet of 1843)ないし「3月の大彗星」(the Great March Comet)として知ら
れている。その名が示す通り、この彗星は史上稀に見る長大な彗星であり、科学史家の
渡辺敏夫氏は
これを「19世紀中に現れた最も美しい彗星の一つ」と評している(渡辺敏夫『近世日本
天文学史』下、恒星社厚生閣、1987年、728頁)。
夜空を貫く長大な彗星を「美しい」とする感覚は、21世紀に生きる私たちの間に概ね
共通する感覚であろう。しかしこうした感覚は歴史的に形成されたものであり、天保14
年の彗星を実際に目撃した人々は必ずしも美しいと感じたわけではなかった。史料が今
日に伝えるのはむしろ、この天変を彗星とはまた別の現象に分類して戸惑う人々の姿で
ある。
本報告では、近世日本の人々が天保14年の天変を前にして示した多様な反応と、彼ら
・彼女らの反応の違いをもたらした要因について考察することにしたい。
○「『作庭記』にみる古代中国で形成された時空観と“東北鬼門”観の継承」水野杏紀氏
【要旨】
私は現在、「中国における“東北鬼門”観の成立と展開に関する研究」(附帯資料とし
て日本の‘鬼門’の受容・変容の事例を添付)を来年度の学位論文として提出中である。
“東北鬼門”観は今から1900年前、後漢頃に形成されたが、そこには古代中国の宇宙観
・時空観が包含されている。これまで空間領域で理解されていた“東北鬼門”であるが
、時間的観念で解説すると非常によく理解できる。それが既往研究でかけていた点であ
り、まず、“東北鬼門”をなぜ時間的観念で解説することができるのか、古代中国で形
成された“東北鬼門”観の構造とはどのようなものかを解説したい。
“東北鬼門”観はその後、日本に伝播した。日本には“東北鬼門”にまつわるさまざま
な事跡がみられ、文献にも記され、それに関わる習俗が今日でも継承されている。本報
告ではそのうちで‘鬼門’の記載がある『作庭記』を取りあげたい。この書には‘鬼門
’を含めて古代中国の時空観の継承がうかがえ、また、唐代頃の敦煌「宅経」との共通
する記載があるなど、古い「宅経」の影響もみられるが、それらを解説する。最後に、
今回の調査研究中、たまたま発見した唐代の「鬼」の図像を紹介したい。
東アジア恠異学会第74回定例研究会
○「敏達朝における仏神の祟り」有働智奘氏
【要旨】
古代日本では天災や疫病などが起こると、人々はその災いを神の怒り、つまり「祟り」
として認識した。『日本書紀』の神仏関係記事をみると、「仏神の心に祟れり」と表現
して、「仏の怒り」を彷彿とさせるような記述がある。しかし、仏教では天災や疫病の
発生を森羅万象の縁起に基づく「因果論」によって解説し、「怒」は煩悩の一つである
「瞋恚」を示す。そのため、仏が「怒る」こと自体、悟りを得ていないことになる。つ
まり、祟る者は「成仏」していないので、『日本書紀』の「仏神の心に祟れり」という
ことは仏教教義にそぐわないのである。そこで私は、古代の祟り現象を確認し、古代人
の神祇に対する認識と仏教思想との習合の状況を検討した。
津田左右吉氏は、上記の『日本書紀』の記述について中国典籍の類似という見解を提
示したが、全てが中国典籍と類似しているわけではない。また『日本書紀』の難波堀江
の棄仏などの記述は中国の仏教説話に管見の限りではみられない。中国仏教説話以外に
も、わが国の神祇信仰に則して考察すると、堂舎を焼き、仏像を川へ流す行為は神道の
祭儀の一種として残る「祓え」や「神送り」のような行為であり、「仏」を「客人神」
「蕃神」と表現していた。さらに、仏教は欽明朝に伝来したが、敏達朝で舎利信仰の記
述の後、「仏法之初、自茲而作」と記されていることからすると、敏達朝にようやく仏
教教学を理解したのではなかろうか。
また、神道思想では、遺骨はイザナギ・イザナミ神話に見られるように黄泉の国を連想
させる穢れたモノと考えられてきた。古代の神々に遺骨はないが、釈迦には遺骨があり
、古代日本人がそれを崇拝することは仏教を神祇信仰と異なった信仰として認識してい
たことになる。しかも、『書紀』や『元興寺縁起』には二月十五日という釈迦入滅の日
付を記すが、6世紀に百済で広まっていた『大般涅槃経』にこの日付けを見ることは注
目に値する。
さらに、『書紀』『元興寺縁起』における敏達紀の排仏崇仏記事をみると、「蘇我氏
の占と延命」「造塔期日」「舎利信仰」「尼僧迫害」「悪瘡」の五点が『大般涅槃経』
の説話に共通することを指摘した。この『大般涅槃経』の「梵行品」には、仏教を迫害
した王が発瘡に悩まされたという因果による説話が記されている。現在、この説話は、
精神医学や心理学では「阿闍世コンプレックス」として知られ、周知のように仏教諸宗
派において「王舎城の悲劇」の物語として布教されている。
したがって、『書紀』の排仏による「悪瘡」記事は、単に中国仏教説話を組み込んで述
作したのではなく、わが国で六世紀に「悪瘡」という疫病が流行した時、「因果論」に
基づいた阿闍世王の説話に合わせ、「是焼仏像之罪矣」と認識し、その伝承を記録する
にあたり、『書紀』編纂者がわが国の神観念に則して作成したと解した。
東アジア恠異学会第73回定例研究会
○「「妖怪」「化物」に関する問題提起—近世から—」木場貴俊氏
【要旨】
東アジア恠異学会では、これまで「怪異」を中心にした様々な議論が行われ、「怪異」
にはそれぞれの時代に応じた特有な性質、つまり歴史的特質を持っていることが明らか
にされてきた。
そうした成果を踏まえて、改めて問うべきなのは、「怪異」と連関している「妖怪」や
「化物」といった概念にも当然歴史的特質があるということであり、またそれを解明し
ていくことである。
本報告ではこうした問題意識に基づいて、報告者の専門である近世、特に17世紀にお
ける「妖怪」または「化物」のもつ歴史的特質を考えてみたい。
東アジア恠異学会第72回定例研究会
テーマ企画「疫神とその周辺」
○ 「伝播による怪異の受容と変化 —近世・近代の甘酒婆説話を事例として—」笹方政紀氏
【コメント】香川雅信氏(兵庫県立歴史博物館学芸員)
【要旨】
現在、通俗的妖怪の一つとして挙げられる「甘酒婆」は、記録された民俗資料が数少
ないことからその属性は限られたものであり、また、認知度の低い存在でもある。しか
し、近世において「甘酒婆」(あるいはそれに類する婆など)は、場所と時代を変え、
幾度となく世間を席巻し、噂話としていくつもの近世史料に書き留められている。
本発表では、それらの近世史料に認められる「甘酒婆」あるいはそれに類するものに
関する噂話について、その発生から伝播を追い、地域文化や時代背景による怪異の受容
と変化について考えてみたい。
東アジア恠異学会第71回定例研究会
〜特別企画「東アジアの文化流通をめぐって」〜
○「欽明紀の漢籍出典について —任那滅亡の詔を中心に—」遠藤慶太氏
【要旨】
『日本書紀』は〈書かれた歴史〉であり、それを批判的に読むことで直ちに〈歴史的事実〉に到達できるのであろうか。本報告では『日本書紀』が漢語漢文によって書かれている点から出発し、〈歴史的事実〉ではないとして顧みられない漢籍出典がもつ意味を考える。検討の中心は、『日本書紀』欽明天皇二十三年六月の新羅を難ずる詔である。
欽明紀では、二十三年正月に「任那官家」が滅んだことを記載し、同年六月に新羅を批難する詔を掲げる。だがこの詔は『梁書』王僧弁伝を用い、『梁書』の侯景を新羅に、梁の武帝を神功皇后に入れ替えたものである。より率直に詔を「捏造」と評する先学もあった。
しかし漢語漢文で史書を書く以上、レトリックとして漢籍の表現や典拠を踏まえるのは必然であり、むしろ新羅を叛将である侯景にあてはめた点に『日本書紀』の新羅観があらわれている。そこで六世紀における新羅・百済と梁の通交にも注目しながら、欽明紀の漢籍出典を通して『日本書紀』の視点や叙述の質に近づく方法を探りたい。
○「類書編纂と祥瑞—『稽瑞』の成立年代をめぐって—」水口幹記氏
【要旨】
『稽瑞』という祥瑞の専門類書がある。報告者はかつて本書と延喜治部省式祥瑞条の記載とを比較検討したことがある(「類書『稽瑞』と祥瑞品目−唐礼部式と延喜治部省式祥瑞条に関連して−」、『延喜式研究』24号、2008年)。本報告では、再び本書に注目し、本書の成立の問題について論じる。特に、本書の成立が唐代であるという定説に対して、「自叙」における矛盾や本書末文に見られる祥瑞思想と五徳の問題から、本書が北宋代に成立した可能性があることを指摘してみたい。なお、行論の都合上、前稿の内容と重複する部分もあるが、その点、あらかじめご了承願いたい。
【コメント】榎村寛之氏(三重県立斎宮歴史博物館 学芸課長)
大江篤氏(園田学園女子大学 未来デザイン学部教授)
東アジア恠異学会第70回定例研究会
○ 「祟る御衣木と造仏事業―なぜ神木で仏像を彫ったのか」山本陽子氏
【要旨】
奈良・平安時代の一木造りの仏像には、用材である御衣木(みそぎ)に節やウロのある神木が使われたと思しき作例があり、その造像は日本古来の樹木信仰に基づいていたと言われる。しかしなぜ、異教である仏の像を造るために霊木を斧で伐採し鑿で削ることが許されたのか。
『長谷寺縁起』の如く、霊像にはしばしば御衣木が災いをもたらす疫木であったとする由来説話がある。疫木をわざわざ仏像の用材にするということは、造像の主目的が仏像の製作よりも祟りをなす木の処分、すなわち魔性の木を仏となして祀り上げるという祟り鎮めにあったためではないか。
そこで霊像縁起に御衣木のなす奇瑞、伐採にまつわる逸話、造像時の作法を検証し、そのような発想の根拠は何処にあったのかを考えたい。
【参考文献】
岡直己『神像彫刻の研究』第一編第五章・結論(角川書店、1966年)
寺川眞知夫「御衣木の祟り―長谷寺縁起」『仏教文学とその周辺』(和泉書院、1988年)
山本陽子「祟る御衣木と造仏事業-なぜ霊木が仏像の御衣木に使われたのか-」
『明星大学研究紀要』[日本文化学部・言語文化学科紀要]第15号 2007年
○ 「『是害房絵』の絵画分析」久留島元氏
【要旨】
前回の発表では曼殊院本『是害房絵』詞書と『今昔物語集』所収話、『真言伝』所収話の表現との比較を通じて、先行する説話集の表現とは異なる一四世紀製作の絵巻に相応しい表現に変わっていることを明らかにした。それにより悪行をなす異形が、穢れを清め護法へ転化する「魔仏一如」の枠組みこそが『是害房絵』を貫く根本的な構成であると結論づけた。
従来本作は曼殊院本奥書をもとに聖徳太子信仰との関わりが重視されてきたが、のちに謡曲や奈良絵本に広く展開していくことからも特定の信仰圏に収斂しない、幅広い受容を想定すべき作品であろう。
本発表では、主に絵画部分の分析を通じて改めて『是害房絵』の構成を検討し、先行する説話集とは異なる「絵巻」としての独自性について考察したい。
【参考文献】
伊藤慎吾「是害房絵巻」『お伽草子事典』(東京堂出版、2002年)
友久武文「『是害房絵』の歌謡―風流踊り歌の形成にかかわって―」
『中世文学の形成と展開』(和泉書院、1996年6月)
○ 「「怪異学」と「絵巻学」の交差 ―室町絵巻と絵師の怪異―」髙岸輝氏
【要旨】
絵巻は、中世において怪異を描きとめ、保管し、再生する視覚メディアとして最も重要な位置にある。そして絵師は、眼に見えぬはずの怪異を視覚化する役割を担っている。これまでの「怪異学」における成果に照らせば、室町から戦国に至る時代は怪異と社会、怪異と王権の関係において特筆すべき転換期であったとされるが、これは同時に美術史、あるいは王権と絵画、王権と絵巻の関係における変化ともつながりをもつのではないか。
絵巻研究は、個別作品の美術史的位置づけから、絵画史料論的な読み、近世の絵入り本までをも含めた文学とイメージの関係などへと発展しており、これらを総合した「絵巻学」構築の機が熟しつつあるように思われる。「怪異学」と「絵巻学」との接点を室町・戦国期に見てみたい。
室町宮廷社会をめぐる怪異譚については西山克氏の論考に豊富な実例が挙げられている。これに類するものとして『満済准后日記』応永三十四年(一四二七)正月二十四日条には、土佐行広の甥が内裏に乱入した事件を記している。また、『実隆公記』文亀元年(一五〇一)九月十八日条には、土佐光信の言として、鎌倉時代に「春日権現験記絵巻」の「下書」を描いた高階隆兼が「神霊之告」を感じたという話が記録されている。断片的な史料ながら、土佐派絵師の周囲で怪異が発生していることに注目したい。
土佐光信が明応五年(一四九五)に描いた「槻峯寺建立修行縁起絵巻」(フリーア美術館蔵)は、細川政元(一四六六~一五〇七)の注文により制作されたと考えられるが、その冒頭部に月峯寺(槻峯寺)の所在する摂津の剣尾山が描かれている。山の表現は光信の現地取材によるスケッチに基づいており、絵師の近世的な視覚を示す意味で画期的である。その一方で、絵巻の結末は、月峯寺本尊を無理に開扉した公家に対する仏罰という怪異によって締めくくられている。ここで、近世的視覚と中世的怪異とが絵師と絵巻の中で並存している。
永正三年(一五〇六)、実隆の眼前に光信が「京中」を描いた屏風が現れた。「洛中洛外図屏風」の成立を示す記録であり、首都のパノラマを視覚的に把握することが初めて可能になった。しかし同時に、永正年間(一五〇四~二一)には「鞍馬蓋寺縁起絵巻」「釈迦堂縁起絵巻」「清水寺縁起絵巻」など、洛中洛外の寺社とその怪異を描く絵巻が流行のピークを迎えている。視覚におけるリアリティーへの傾斜と、怪異の再生産とが同時並行したこの時期の特質を、絵師と絵巻の中に求めてみたい。
【参考文献】
髙岸輝「室町時代における高階隆兼の伝説形成」(『美術史論集』7、2007年)
髙岸輝『室町絵巻の魔力―再生と創造の中世―』(吉川弘文館、2008年)
榎村寛之「「怪異学」の目指すもの」(東アジア恠異学会『怪異学の可能性』、角川書店、2009年)
西山克「室町時代宮廷社会の精神史―精神障害と怪異」(同上)
高谷知佳「室町王権と都市の怪異」(同上)
藤原重雄「掛幅本「鞍馬寺縁起絵」の絵画史的位置」(佐野みどり・新川哲雄・藤原重雄編『中世絵画のマトリックス』、青簡舎、2010年)
土谷真紀「「鞍馬蓋寺縁起絵巻」における縁起と景観」(同上)
東アジア恠異学会第69回定例研究会
○「奈良時代の僧侶と怪異」若井敏明氏
【要旨】
「『日本霊異記』などを用い、行基を始めとする奈良時代の僧侶と怪異との関係を考察する」
東アジア恠異学会第68回定例研究会
○「人魚の諸相—予言・不死・畜生道」鬼頭尚義氏
○「歴史と文学の狭間から—「鬼一口」物語と平安時代の怪異認識」榎村寛之氏
【要旨】
「平安時代の貴族は蒙昧かつ未開な人々である、なぜなら鬼や怨霊
を恐れていたからである、と言われることが多い。では、現代にオ
カルトや星占いを信じている人々は蒙昧かつ未開なのか。」という
素朴な疑問からこの発表はスタートしています。平安時代の貴族は
鬼を「どのように」恐れていたのか。彼らが本当に恐れていたのは
何なのか。
伊勢物語の「鬼一口」物語の成立と受容から、この物語の成立背
景と理解のされ方を通じて鬼というモノに対する意識に迫り、この
物語が九世紀に流行した都市伝説から生まれ、貴族社会にはファン
タジーとして受け入れられていたことを論じ、少なくとも貴族たち
が「生物としての」鬼を信じていたわけではないことを明らかにし
ます。
東アジア恠異学会第67回定例研究会
鎌倉時代の瑞祥災異について、コメントに山田雄司先生を迎えてお話いただきました。
○『吾妻鏡』の災異記事に関する一考察 王玉玲氏
【要旨】
東アジア怪異学会が発足されて以来、怪異に関する研究が多くなされている。そのうち平安朝と室町幕府の怪異についての研究はより多く見られるが、鎌倉時代、とくに鎌倉幕府を中心に行われた、災異に関する考察は少なくて、山田雄司氏の「鎌倉時代の怪異」という論考しか見当たらない。鎌倉幕府が王朝時代に形成した伝統や慣習を踏襲したことが認められる一方、幕府又は武家の歴史をもとにして確立してきた幕府特有の災異意識も無視してはならないと考えられる。
本報告では、『吾妻鏡』の災異記事を通じて、鎌倉幕府または武家の災異及びその認識に関する初歩的な考察を試みる。そのうえ、『吾妻鏡』は後世の編纂物として、多くの顕彰や曲筆があることが古くから指摘されているので、『吾妻鏡』の災異記事においていわゆる顕彰或いは曲筆があるかどうか、もし顕彰や曲筆があれば、それはどういうふうに配置されたか、またはどのような方針で編纂されたかについても、同時期の公家の記録と対照しながら考えてみたい。
コメント:山田雄司氏
東アジア恠異学会第66回定例研究会
〜特別例会 テーマ企画「怪異学の射程」〜
〜特別例会 テーマ企画「怪異学の射程」〜
【企画趣旨】
2009年3月に刊行された『恠異学の可能性』は、東アジア恠異学会において、歴史学を
中心に積み重ねられてきた例会・大会の議論を踏まえ、王権論・都市論・知識社会論な
どの新たな論点を浮き彫りにしつつ、通史的な見通しを提示したものである。さらに次
のステップとして、本書が投げかけた成果が、隣接諸分野からどのように受け止められ
たか、そして相互の対話により、どのような学際的研究の展開が可能であろうか。 本
企画においては、考古学・国文学・西洋史という、日本史との精緻な対話が近年いっそ
う重ねられている分野の研究者を迎え、『恠異学の可能性』を前提として、それぞれの
最新の成果や方法論のもとに、どのような学際的研鑽が可能か議論してゆきたい。
◎趣旨説明
東アジア恠異学会は、2001年より、史料にみえる恠異や祥瑞といった「フシギなコト」の学問的な利用
方法を確立するべく活動してきた研究会である。現在までの研究成果により、少なくともこの国ではかなり
些細なことを祥瑞と言い、恠異と言ってきたことが明確になってきている。言い換えるならば、祥瑞や恠異
という言葉を解体すると、つまらないこととも思える些細な変化をフシギと認識し、予兆などとして共有す
る意識、更にその共有意識に働きかけるその時代の権力構造を読み取ることが可能となってくるのである。
文化情報の解体は、言葉の背景にある共同意識・共有意識の分析であり、時間経過の中で絶えず行われて
きた無数の選択に一定の方向性を見いだす試みである。たとえば歴史の方向性を規定するのが、自らの権益
を確保するための活動であれ、社会に対しての様々な責任を果たし、共同体の求心性を維持するための活動
であれ、そこでの選択は精神生活と経済生活の分離できないカオスから生まれてくるものであり、それこそ
が政治と言える。ならば、その分析のツールとして、祥瑞や恠異、更にはより具体的な恠異の説明であるも
ののけや鬼、天狗などを含む恠異事象、「フシギなコト」の解体は極めて有効である。 そしてこの試みの
次段階には、古代より近代に至る「神」観念の解体がある。
2009年3月27日に刊行された『怪異学の可能性』(角川書店)は、東アジア恠異学会において、歴史学を
中心に積み重ねられてきたこうした議論を踏まえ、通史的な見通しを提示したものである。さらに次のステッ
プとして、本書が投げかけた成果が、隣接諸分野からどのように受け止められたか、そして相互の対話によ
りどのような研究の展開が可能となろうか。
本シンポジウムでは、考古学・国文学・西洋史という、日本史学との精緻な対話が近年いっそう重ねられて
いる分野の研究者を迎え、『怪異学の可能性』を前提として、それぞれの最新の成果や方法論のもとに「恠異」
をどのように捉えるか議論してゆきたい。
◎報告要旨
○「出土文字資料からみた古代東国在地社会における祭祀」高島英之氏
日本古代史・考古学の分野において、既存の史料からは判明し得なかったような、在地社会における精神生活の深層に迫ることができる新出の史料として、墨書・刻書土器が注目されていることは、夙に知られている通りである。日本古代の村落社会において、土器に文字を記す行為とは、日常什器とは異なる非日常の標識を施すことであり、祭祀に用いる土器を日常什器と区別し、疫神・祟り神・悪霊・異類・鬼等を含んだ意味においての神・仏に属する器であることを明記したものと定義することができる。
とくに最近、古代の下総国印旛郡の地域を中心に、宮城県から静岡県に及ぶ東日本各地において、「地名・人名・(身・命)召(形・方)代(替)進(奉)上」という書式で文言が記された多文字の墨書・刻書土器が相次いで発見されている。それらは、祭祀の主体者・祈願者本人や同じ集団(氏族)の特定の人物の身体や命を招代(召代=依代)として、あるいは生贄として捧げる代替としての土器、あるいはそれに供物を盛って、神・仏を招き降ろし、饗応し、慰撫することで神・仏の守護と利益を得ることを期したものと解釈できる。
供献する器物に国・郡・郷・戸主姓名等を記入するのは、祭祀の対象である神・仏に対して、祭祀の実行者を特定して明示することによって、祭祀行為の応報としての守護・利益を確実に受けるためとみられるが、祭祀の主体者や祈願者が、自らをそれと特定させるための表示方法が本貫地であり、国・郡・郷(里)という律令地方行政機構名によって表記されている点は、律令制による本貫地主義および賦役令調物条の貫徹の結果によるほかあるまい。律令国家の成立によって採用された文書主義・本貫地主義が背景にあって初めて創出された祭祀形態と言えよう。
国家権力に由来する文言が、疫神・祟り神・悪霊・異類・鬼等を含んだ意味においての神・仏に対する影響力を行使しうるとする発想は、法令の文言「急々如律令」をいち早く呪句に取り入れた中国の道教とも共通するところであり、王権・国家と在地社会の祭祀・信仰のあり方との関連を考える上で興味深いところであろう。
○「冥衆との対話―特に「魔」をめぐって」伊藤聡氏
鎌倉前期は、我々とは別のもうひとつ世界という観念が、はっきりとした輪郭を持つようになった時代だった。冥衆(神・怨霊・魔等)の世界がそれである。しかも冥衆と交流し、対話するための方法までもが追求されたのである。かかる事態には、院政期以降の神や魔の観念の変化が、大いに関係していると考える。本発表では、特に「魔」を中心にして、この問題を論じたい。
○「中世南フランスにおける異端審問の展開と「異端」へのまなざし」図師宣忠氏
本報告では、中世キリスト教社会において、「異端」がいかに語られ、扱われたかを、13・14世紀の南フランスにおいて作成された異端審問記録から探っていく。「異端」の問題は、たんに宗教史の観点からではなく、王権、都市、教会など社会を構成する諸勢力がそれぞれの局面で織りなす関係の歴史的所産として政治・社会・文化的な側面から捉えることも必要となる。当時の南フランス社会が抱える矛盾や対立、緊張関係、あるいは紛争や妥協といった宗教的・社会的な諸要素の複雑な作用を視野に入れながら、「正統」と「異端」のあいだで揺れ動く人々の姿に歴史学的に迫ってみたい。近年欧米では中世の異端審問をめぐる議論が活況を呈しており、同時代概念と分析概念とを慎重に区別しながら、審問記録を多角的・総体的に読み解く試みがなされている。ここでは、そうした動向を紹介することで、方法論の面でも『恠異学の可能性』で示された議論と切り結ぶことができればと思う。
東アジア恠異学会第65回定例研究会
○「『是害房絵』読解の試み」久留島元氏
【要旨】
『是害房絵』は、唐土から仏法障害のため飛来した是害房天狗が天台の高僧に撃退され、
その傷を賀茂川河原の湯治によって癒して改心し、本朝の仏法を賛美しつつ唐土へ帰る、
という物語である。先行研究として、友久武文氏による詳細な諸本分類と、文学史上の
位置付けに関する問題提起がなされているが、内容に踏み込んだ研究はほとんどない。
本発表では先行の成果によりながら『是害房絵』表現研究を試みたい。
本発表では、時代を超えて成長する性格を持つ『是害房絵』の、一四世紀段階における
表現を分析することを目指す。具体的には、曼殊院本『是害房絵』の表現と、同じ内容と
される『今昔物語集』巻二十第二話、『真言伝』巻五所引説話の表現とを比較を中心に、
説話集(物語)の表現と異なる「絵巻」という媒体に相応しい表現に変わっていることを
明らかにする。また、近年明らかとなった典拠と比較しつつ、背景となる宗教文化について
も考えたい。
東アジア恠異学会第64回定例研究会
〜テーマ企画「鳴動再論」〜
〜テーマ企画「鳴動再論」〜
○「鳴動の「起源」—石清水八幡宮の成立との関係を中心に」久禮旦雄氏
【要旨】
神社における「鳴動」の初例は光孝・宇多朝における石清水八幡宮の「鳴動」(「自鳴」「震動」)とされる。
しかしながらこれらの事例が中世のおける「鳴動」の先例とされてはいないことは、
既に西山克氏が指摘するところである(西山克「中世王権と鳴動」今谷明編『王権と神祇』2002、思文閣出版)。
西山氏が指摘するように中世の石清水八幡宮の鳴動は始祖の神霊が子孫に対して警告を発するというものであるが、
当時の石清水八幡宮は未だ宗廟視されてはおらず(吉原浩人「八幡神に対する宗廟の呼称をめぐって」『東洋の思想と宗教』10)、
『延喜式』をみる限りその財政基盤は中世の権門化した石清水と異なり、きわめて脆弱なものであった。
すなわち平安初期の石清水八幡宮の鳴動は中世のそれとは異なる理由により発生したと推測される。
本報告では石清水八幡宮が成立したとされる清和朝から『延喜式』の頒布が行われた冷泉朝までの石清水八幡宮の成立について、
従来の議論の焦点となっていた「石清水八幡宮護国寺略記」及び「石清水遷座縁起」という、
二つの縁起を中心とした八幡宮側の史料と距離を置き、一定の信頼がおける六国史などの史料から、
その成立と展開過程を再構築し、光孝・宇多朝に起こった鳴動の理由について考察する。
○「室町期の大織冠破裂—鳴動の射程」高谷知佳氏
【要旨】
鳴動は、古代から中世に至るまで怪異と認識され、室町期の公武統一政権のもと、多
田社や水無瀬などに拡大し、鳴動は広く国家・社会への警告と位置づけられた(西山克
「中世王権と鳴動」『王権と神祇』今谷明編、思文閣出版、2002、「物言う墓」『怪異
学の技法』臨川書店、2003、黒田智『中世肖像の文化史』ぺりかん社、2007など)。一
方で、室町期には、怪異や強訴、呪詛など、社会に対する一定の強制力を及ぼす宗教的
観念が、政権や都市を巻き込んで大きく変質してゆくことも、また明らかになっている。
本報告では、室町期の多武峯の大織冠破裂について、南北朝・大和永享の乱・応仁の
乱などの戦乱に常に晒されていた面に注目する。特に『破裂集』にみられる、明応年間
以降、平癒しても直ちに繰り返される破裂について、そこに登場する多様なアクターや
法理を検討し、破裂が「怪異」「警告」としての機能を失ってゆく過程を追ってゆきた
い。
東アジア恠異学会第63回定例研究会
○「東アジア恠異学会総会」
○「尊皇攘夷とお岩さん-日本近代のナショナリズムとスピリチュアリズム-」大川真氏
【要旨】
文政8(1825)年、会沢正志斎著『新論』が成り、尊皇の志士たちの愛読書となる。
そして同年に四世鶴屋南北作『東海道四谷怪談』が江戸中村屋で初演され好評を博している。
尊皇(王)攘夷とお岩さんブームが同時に起こっていると歴史的認識を持っている日本人はそれほど多くない。
きな臭い政治談義に熱を上げる一方で、怪異(霊魂・霊性なども含む)に惹かれる日本人の心性。
ナショナリズムとスピリチュアリズムとは一体どのような関係があるのか。
これを社会変動期における自己変容と〈癒やし〉の共軛的関係として読み解こうとするのが本発表の意図であり、
近代社会=脱宗教的・世俗的とするウェーバー流の見方に疑義を呈せんとするものである。
多分に試論的性格が強く、多くの方々の御教示・御批正を切にお願いしたい。
東アジア恠異学会第5回大会 〜「『怪異学の可能性』の可能性」〜
【大会趣旨】
平成二十一年三月、東アジア恠異学会にとって三冊目の論文集となる『怪異学
の可能性』が出版された。本書は「東アジア恠異学会の現時点での成果の集成」
「これからの叩き台として会の内外に発信するもの」であり、「外国史・国文
学・民俗学・文化人類学・その他の学問分野において怪異を研究する際の「定
点」として使われることを期待するもの」であると宣言されているように(本書
p.15)、本学会における一つの大きな節目として企画されたものと言える。
今回の論文集の特徴は、第一部を「律令国家の形成と「フシギ」の認識史」、第
二部を「中世 多元化する国家・社会と「フシギ」の展開史」、第三部を「近世
社会と怪異—近代に至る道筋を探す」とする三部構成からもわかるように、「恠
異」概念の歴史性に着目するという学会の基本方針から各時代の「恠異」のあり
方を論じ、「恠異」と王権との関係を軸として、その通史的把握をしようとする
野心的な試みにあるだろう。その大枠は、古代律令国家における法令用語であっ
た「恠異」からの流出として、それ以後の「恠異」の歴史を論じるというもので
ある。
しかし、その試みは成功しているのだろうか。それを検討するには、今回示さ
れた論の命題としての真偽をはかるだけでは充分ではない。たとえば、「コメン
ト」として章外に置かれた永原論文や京極論文を除けば、本書のほとんどが歴史
学関係の研究者によって執筆されているという、構成の偏りにも目を向ける必要
があるだろう。過去の定例研究会を顧みれば、歴史学以外からも報告が多数積み
重ねられてきた。はたしてそれらを充分に吸収・総合した上での「成果の集成」
と言えるのかどうかなど、本書を主導している関心のあり方からして議論の余地
があるのかもしれない。
そこで、本大会においては、王権を中心的関心とする歴史学からは周縁に位置
づけられがちな、民俗学関係の研究者三名をパネリストとしてお招きし、いわば
外からの目で『怪異学の可能性』の内容を踏まえたご発表をしていただく。本書
がいかにして今後の恠異研究の「定点」たり得るのか、いかなる意味で「可能
性」を持ち得るのか、恠異学のこれからを占う大会となるだろう。
○「恠異との対話—フシギなコトの森にある恠異の庭園の塀は高いか?」飯倉義之氏
【要旨】
前著『怪異学の技法』において東アジア恠異学会が挙げた成果のうち最大のもの
は、前近代王権による歴史用語としての「恠異」と、「フシギなコト」との差異
であった。今回、『怪異学の可能性』において、「恠異」の内実は丹念に論じら
れ、前近代王権論としての完成を見たとたと見てしていいだろう。そうした「恠
異」を定点として、「不思議なコト」と切り結んでいく可能性を報告したい。
○「近世・近代における『怪異』のゆくえ」香川雅信氏
【要旨】
『怪異学の可能性』は、さまざまな問題を孕みながら、現時点での「怪異学」の
一定の成果として評価できる。そこでの成果を応用するならば、どのような論を
構築することができるのか。この報告では、『怪異学の可能性』で触れられるこ
とのなかった幕末の「予言獣」の問題、そして近現代における「霊感」の問題を
材料として考えてみたい。
東アジア恠異学会第62回定例研究会
○「白澤受容の展開—戸隠山配布の白澤避怪図を中心に—」熊澤美弓氏
【要旨】
中国の神獣として日本に伝来した白澤は、日本においても様々な受容をされ、人
々を災難から守る部分が重視されて、旅行の守りや病気除けといった性格が強く
取り上げられてきた。ただし、伝わってすぐにこのように受容されたわけではな
く、江戸時代に広まったと考えられる。それでは、一体なぜこのように広まった
のだろうか。いくつかの要因はあろうが、発表者はここで江戸時代に発達してい
く商業主義との絡みを考えてみたい。つまり、個人個人が単なる魔除けとして身
に付けるだけでなく、例えば旅行の守り札や病気除けなどの利点を取り上げて商
売し、それが広まるというものである。
これまで、中国と日本を中心に白澤の受容・文化の伝播を文献資料を主として
追ってきたが、本発表においては、中国・日本における白澤の文献や図からみえ
る特徴や系統を踏まえた上で、特にその中でも日本の長野県戸隠御師が配布して
いた白澤の御札を中心に見ていきたい。
○「中國中世における『白澤圖』をめぐる辟邪觀念の研究
—辟邪書・占書・博物書との関係を中心に—」佐々木聰氏
【要旨】
『白澤圖』は、神獣「白澤」の伝説を背景に、邪鬼を却け福を呼び込むことを
目的として書かれた辟邪の書である。本書は、報告者が先年の発表で取りあげた
道教経典『女青鬼律』と並んで、六朝初期に信じられた悪鬼・精怪に関する描写
を豊富に載録する、鬼神研究上の第一級の資料であると言える。
その内容は、「古臼の精は『意』と言って、豚のような姿をしている。その名
を呼べば、逃げ去る(故臼之精名曰意。状如豚。以其名呼之則去。)」などとあ
るように、悪鬼・精怪の姓名と特徴、そしてその撃退方法を記したものである。
本書は、宋代の初め頃に散佚したようであるが、清・馬國翰『玉函山房輯佚書』
に収められた輯本などもあり、その内容は比較的よく知られている。しかし、そ
の一方で、そのテキストの性質については、従来、大まかに俗信系のテキストで
あるという理解に止まる。或いは『女青鬼律』との関係が注目されることもあっ
たが、その成書と受容、及び他書との関係などといった背景については、これま
で詳細な検討がなされてこなかった。
本報告では、『白澤圖』成立の背景にあった辟邪観念や占い、そして神仙思想
との関係などについて、それぞれ辟邪書・占書・博物書などのテキストとの比較
検討から明らかにする。さらに、そこから派生的に現れてくる唐初期の『白澤精
怪図』の成書背景を考察することで、六朝初期から唐初に至るこれら諸観念の流
れを整理し、『白澤圖』及び辟邪観念の持つ怪異研究上の位置づけを明確にして
みたいと思う。
東アジア恠異学会第61回定例研究会
特別企画「テーマ<鬼 oni>〜東アジアにおける鬼神像の成立〜」
○「問題提起」久留島元氏
<鬼>、<鬼神>に関する研究は、馬場あき子『鬼の研究』以来、国文学や民俗学では蓄積がありますが、
当初から指摘されていた中国文化からの影響についての考察は現在も立ち遅れているように思われます。
これについて、恠異学会ではすでに第51回定例研究会で佐野誠子氏が『善家秘記』にあらわれる「裸鬼」と
中国志怪小説にあらわれる「鬼」との違いについて言及し、中国の冥官像と日本の獄卒像との差違が問題となりました。
今回は、佐野報告で明らかとなった問題意識を念頭に置きつつ、会員外からおふたりの発表者に報告をしていただくことになりました。
その後、当日の参加者から幅広く意見交換をおこなう場を設けたいと考えています。
コメント参加者については資料を持ち込んでいただいてもかまいません。
会員外の方でも興味関心のある方はお誘い合わせの上、是非ご参集ください。
○発表1「法隆寺金堂持国天像の牛頭人身形邪鬼について—神王像との繋がりを中心に—」清水真澄氏
【発表要旨】
法隆寺金堂四天王像は、六五〇年前後の制作とされる我が国現存最古の四天王像である。
この像の足下に蹲る邪鬼の姿は、後世のものとは大きく異なり、頭部は牛あるいは猿に似た動物形、
体部は膨らんだ胸に太鼓腹、五本指の手足といった人間に近い姿をしている点が特徴である。
このような邪鬼の造形に関しては、中国の画像石や仏教石窟などに見られる中国古来の鬼神像との繋がりが論じられているが、
鬼神像とは異なる点もあり、未だ考察すべき問題が残されている。
今回取り上げる持国天像の牛頭人身形邪鬼は、何故頭部に牛の造形が選択されたのか、
そしていわゆる獣頭人身形が何に由来するものであるのか、という二つの問題を持っている。
まず前者について、中国及び韓国における天王像の獣座から考えてゆく。
また後者の問題に関しては、主に六世紀頃の中国で流行した神王像を取り上げる。
神王像は鬼神像と同じく仏法を守護する護法神と考えられ、
その造形においても鬼神像との同一化・融合化が見られる興味深い例である。
この神王像の性格や造像背景を探りながら、邪鬼との繋がりを考えてみたい。
○発表2「善光寺如来絵伝に描かれた「鬼」」鷹巣純氏
【発表要旨】
三国にまたがる舞台設定で仏法伝来を物語る壮大な構想に立つ善光寺縁起は、
中世以来しばしば絵画化され、多くの善光寺如来絵伝が制作されてきた。
この善光寺如来絵伝では、2種類の「鬼」が活躍する。
すなわち、天竺と和朝で仏法の迫害者に翻意を迫るべく疫病をひきおこす疫鬼と、
善光寺を建立した本田善光の子息・善佐が臨死体験中に出会う閻魔卒である。
それらは等しく「鬼」の姿をとるが、その機能はまったく異なり、
詳細に検討するなら図像にも微細な差異がみられる。
この差異は、これらの「鬼」の出自に由来するものである。
今回の報告では、2種類の「鬼」の図像的典拠を求めて、仏教・道教の図像を検討する。
疫鬼については、中国における道仏混淆の宗教儀礼である
水陸斎に用いられる絵画・水陸画をもちいて、図像的典拠である五蘊使者にたどりつく。
閻魔卒については、日本における十王信仰の主要テクストである『地蔵菩薩発心因縁十王経』との関係を指摘する。
園田学園女子大学・東アジア恠異学会共催
「文化フォーラム『怪異学の可能性』」
○「文化フォーラム『怪異学の可能性』」
◇パネリスト
京極夏彦(小説家・意匠家)
榎村寛之(三重県立斎宮歴史博物館課長)
化野 燐(小説家・妖怪愛好家)
◇司会
大江 篤(園田学園女子大学 未来デザイン学部教授)
【要旨】
◆「不思議なこと」「あやしいこと」は一般に「怪異」とよばれ、
古くから記録されてきました。人はどうして「怪異」を語り、記録してきたのでしょうか。
「怪異」と「怖さ」はどのように関係にあるのでしょうか。
東アジア恠異学会が今春上梓した『怪異学の可能性』(角川書店)をもとに、
「怪異」から見たもう一つの日本文化を考えます。
第60回東アジア恠異学会研究会
○「東アジア恠異学会総会」
○「灼甲実験 亀卜の技法における新たなる試み」島田尚幸氏
【要旨】
恠異を認知するための技術としての「亀卜」。本学会ではこの技術にスポットライトを当て、学問分野の壁を超えた様々な切り口で挑戦してきた。
2005年にはシンポジウム「亀卜 -未来を語る<技>-」(共催:國學院大學21世紀COEプログラム)を開催し、
その成果を1冊の論考集『亀卜-歴史の地層に秘められたうらないの技をほりおこす』(東アジア恠異学会 編/臨川書店)として纏めたのは記憶に新しいところである。
本発表では、前回のシンポジウム時に「課題」とされた、「灼甲実験の不備部分」を補完する実験を行い、「亀卜」の技術・技法に関する新たな情報の収集を目的としている。
第59回東アジア恠異学会研究会
○「問題提起 近世地方の怪異情報ー随筆にみる「祟り」ー」大江篤氏
【要旨】
「祟り」と記された歴史資料を繙くと、人智の及ばない不思議な出来事を、特定の宗教者が独自の手段(卜占)によって認知する際に使用される特別な用語であることが明らかとなる。そして、時代とともに、一般的な語として人口に膾炙するようになる。しかし「祟り」は、いくら一般化しても、不思議な出来事を説明する際に用いられることに違いはない。そこでは、誰が、どのような時に、どのような方法で、「祟り」と認知したのかを検討していくことが重要である。分析の対象として近世の随筆にみる「祟り」を取り上げ、怪異情報の民俗社会における様相を検討する。また、日本民俗学の初期の成果である『山村生活の研究』における「祟り」と比較することから、怪異学の視座が民俗社会の研究に有効なものとなりうるかどうか検証していきたい。
○「在地伝承における怪異‐近世播磨地方の事例から‐」埴岡真弓氏
【要旨】
在地の伝承においては、広い意味での怪異を含むものが多く見られる。播磨地方に残る伝承のうち、『播磨鑑』など近世の記録で確認することが可能な伝承を取り上げて、成立過程など、その背景を探ってみたい。
第58回東アジア恠異学会研究会
○「『神道集』における「継母」」柏原康人氏
【要旨】
南北朝期頃に成立したとされる説話集『神道集』には、一族で神になる話や継母継子が話の中心となっている話が複数存在する。
『神道集』に載る多くの説話が「「家」に向かう説話」であることは複数の先学によって指摘されていることであるが、そのような先学の成果を踏まえ特に『神道集』における「家族」と「女性」について考えてみたい。また、「家族」と「女性」と言っても「夫婦」や「娘」など視点が複数あり得ると思うが、今回はとくに「(継)母」を中心に考察を進めたい。
○「キツネとダイサン」久下正史氏
【要旨】
伏見稲荷などで修行し、稲荷の祭祀をおこない、キツネの「ダ
イ」となってさまざまなことがらを告げたり、悪いキツネをは
らうことのできるダイサンと呼ばれる宗教者の活動と、その信
者のキツネ認識について大阪府南部の事例を中心として報告・
考察をおこなう。
第57回東アジア恠異学会研究会
○「八・九世紀の伊勢神宮と『祟』」久禮旦雄氏
【要旨】
東アジア恠異学会の成果の一つに亀卜が当時の日本において隔絶した技術であ
り、その結果として「祟」の認定は古代律令国家の地方支配の一環として意義を
持ちえたという議論がある。しかし、八・九世紀の伊勢神宮に関係して記録され
る「祟」にはむしろ伊勢神宮と中央の支配との対立の中で主張されている例がみ
られる。本報告ではこのような事例を踏まえ、従来の伊勢神宮研究を参照しつつ、
恠異学会の亀卜・「祟」についての議論を再検討する。
○「大会検討会」
第56回東アジア恠異学会研究会
○「中国中世初期における鬼神観と「妖怪」—道蔵本『女青鬼律』を中心として—」佐々木聡氏
【要旨】
『女青鬼律』は、昨今、初期道教の一派である天師道の最初期の経典として注
目されている。本書は現行の『正統道藏』洞神部・戒律類に収められることから
も分かるように、教団の戒律を記した経典であるが、その実、紙幅の大半を占め
るのは、鬼神の姓名録とでも呼ぶべき記述群である。このことは、鬼の姓名を呼
べば、鬼を使役・撃退できるとする『女青鬼律』の根本思想が前提にあるが、そ
れにより、種々の鬼神の名前・性質・職能などの具体的・個別的な描写が豊富に
見えることは特筆すべき点である。これらの中には、古い系譜を引く神や新しく
創り出された神格、或いは高位の神から卑俗なモノまで様々な鬼神が描かれてい
る。その中には、我々が「妖怪」と呼ぶモノに類する鬼神も多く含まれている。
これら雑多な鬼神を包括する鬼神観体系を明らかにすることにより、初期の天師
道がどのようにして、種々の鬼神を自らの信仰生活に取り込み、秩序づけていっ
たかを検討したい。 総じて、神・鬼・妖怪は、怪異を引き起こす主体として、
人々に観念化される存在である。本発表を通して、怪異に対する人々の営為の一
端を示してみたい。 なお、本発表では、鬼神観体系の中に包括される「妖怪」
的鬼神が一つの重要な視角となる。このことから、「妖怪」をいまだ一般語の語
感で議論している中国学の現状に対して、「妖怪」を議論することの一つの方向
性を提示したいと思う。
○「『今昔物語集』「天狗説話」の研究」久留島元氏
【要旨】
これまで歴史学をベースとしてきた恠異学会の成果を国文学に応用するにあたっ
ては、いくつかの問題があった。
そのひとつに、他の資料では「怪異」と認められる事象について、文芸作品上
では「怪異」と明記されない場合が多い、ということもあったと思う。しかし、
そのような場合でも、その作品がなぜ「怪異」を記述するのか、「怪異」を「怪
異」ではなくとらえる文脈とは何なのか、考える必要性があるだろう。
今回考察の対象とするのは、院政期の仏教説話集『今昔物語集』に収載された
「天狗」に関する説話群である。日本では「天狗」の登場する説話は古代にはほ
とんど見られなかったが、平安末期に入って散見されるようになり、院政期に至っ
て増大する。これについて先学の蓄積も多く、その結果、院政期における「天狗」
が特に「反仏法的」性格を付与されている、とされていることは周知のことであ
る。『今昔物語集』における「天狗」像は、「反仏法的存在」の典型と考えられ
てきた。しかし、その場合に正統とされる「仏法」の内容は何なのか、どのよう
な「仏法」を正統化するために「天狗」を語る必要があったのか、必ずしも明ら
かではない。
本発表は以上のような問題意識の上に、『今昔物語集』の「天狗説話」を分析
し、『今昔物語集』が「天狗」を語る理由を考えたい。
第55回東アジア恠異学会研究会
○「近代における民衆の「不可視の世界」」荻野夏木氏
コメント:一柳廣孝氏
【要旨】
なぜ人は、占いやまじない、あるいは超能力といったふしぎな力の存在を信じ
るのか。
これらの「不可視の世界」は、近代では「迷信」であるとされて排撃や啓蒙の
対象となった。しかし、民衆の生活や思考の中に「不可視の世界」への信仰と関
心は生き続けた。民衆の信仰・信心といった行為は、必ずしも「文明」に背を向
けて非現実を支持するものではなく、むしろ実際の生活を営む中でしばしば生じ
る、その時どきの社会的規範・意識に対する訴えやアプローチの産物であった。
災害や疫病などの社会変動や、新たな知識・認識の派生・流入に応じて「不可視
の世界」への関心は活性化した。そうした関心の表れ方は信仰という形態だけで
はなく、明治中期以降には「新科学」や文化としても追究された。また、「不可
視の世界」に対する批判や問題視も、時期によって変化していった。
「非近代的」と見なされがちな「不可視の世界」という観念もまた、「近代」
を反映し推移していくものであったことを、新聞史料等を通じて描き出したい。
東アジア恠異学会第4回大会 〜「室町の怪異」〜
【大会趣旨】
東アジア恠異学会は今まで50回の例会を行い、3回の大会を行い、2冊の編
著を世に送り出してきた。 我々はなぜ「恠異」を重視するのか——それは民俗
学・人類学により構築された、我々の先駆者である「妖怪学」に対し、西山克氏
が「妖怪」や「恠異」という言葉の歴史性を重視すべきであるという批判を抱い
たことにはじまる。
西山氏のもとに設立された東アジア恠異学会は、第一論集『怪異学の技法』及
び第一回大会「『怪異学の技法』始末」を経て、通史的に「怪異」という言葉を
定義づける試みを行い、ひとつの結論を見出した。
古代律令国家において「恠異」は法令用語であった。即ち、国家が「不思議な
コト」を、卜占や宗教的儀礼も含む行政処理により説明=回収し、その一部を
「恠異」と名づけ特定の対処を行うことで国家支配の正当性を担保し得たのであ
る。
では、その「恠異」はいつから今日的な「恐怖」を内包する概念となったのか。
そこで着目すべきは古代国家の揺らぎとともに起こった「恠異」の変化である。
それは、中世前期には諸権門により分掌され、彼らの始祖の墓が鳴動を行い、形
骸化しつつも残る軒廊御卜や宗教権門により説明・回収・解消されるというかた
ちで現れた。ここに至るまでに第二回論集『亀卜』及び第二回大会「怪異と王権」
という試みが行われたのも、王権を取り巻く恠異を読み解く「技法」と、それを
担う人々の変化を描きだそうとした試みといえる。
更に我々は第三回大会「怪異からみる近世」において、以上のような王権から
流出した「恠異」と、近代的な(恐怖という意味を内包する)「怪異」との接合
を試みた。儒教・仏教・神道の三つの観点から照らし出された「近世の怪異」は、
意外にも古代・中世の面影を色濃く引きずるもので、知識人たちの近世的な読み
替えが大きな問題点となった。
古代国家から流出した「恠異」の行方——それは近世まで影を落す大きな問題
であったことに、通史的な検討を経てようやく我々は立ち至った。これを踏まえ、
第四回大会のテーマとして「室町の恠異」を選びたい。
室町時代・中世後期とは、古代国家的な中央集権のあり方がもはや崩れ去る一
方で、共通の政治的・文化的資源を基盤とする「日本」という世界像が人々をと
らえつつある時代であったことが、国制史の観点から近年指摘されている。経済
史においても、流通に大きく依存する経済形態が中心となり、このような変化の
中から「都市」としての京都と、それを生活基盤とする都市民が姿を見せはじめ
るのである。文化史的にも、この時代は古代以来の知識体系が崩壊し、謡曲に代
表される新しい芸能の登場や元来異端であったいわゆる鎌倉新仏教の勢力拡大が、
都市を中心としてみられるようになる時代であった。
ではその中で、古代以来かたちを変えつつ存続してきた「恠異」はいかなる変
化を遂げたのか、そしてそれが今日の「怪異」とどう関わるのかは実に興味深い
問題ではないだろうか。活発な議論を期待したい。
◇西山克氏
◇「「室町殿の王権」と宗教−怪異の視点から考える−」大田壮一郎氏
【要旨】
近年の室町期国家論をめぐるキーワードを挙げるならば、「室町殿」と「公武
関係」になるだろう。一義的な説明は難しいが、室町殿とは、足利義満以降、将
軍職の有無に関わらず実権を握った足利将軍家の家長に用いられた呼称である。
とくに、足利義満が武家だけでなく公家政権をも支配下に置いたことに注目し、
この時代を「室町殿の王権」と理解する流れが定着しつつある。そして、「室町
殿の王権」の枠組みが「公武統一政権」や「公武融合政権」という言葉で説明さ
れるように、中世後期に一貫して重要な問題が、研究史上で「公武関係」と呼ば
れる室町殿(および義満以前の幕府)と朝廷との関係である。こうした「室町殿
論」の隆盛は、戦前の正閏論、戦後の室町幕府論を経て、室町期国家論が新たな
段階を迎えたことを示している。
さて、報告者は、こうした室町期国家の問題について宗教を切り口に考えてい
る。従来の幕府論中心の議論ならば、この時期の国家と宗教の問題は、さしあた
り武家をパトロンに台頭する禅宗を取り上げれば十分となろう。しかし、公武を
統べる「室町殿の王権」の構造は、宗教権門と不可分に存在する公家政権を包括
する以上、禅宗に限らず中世宗教勢力全体との対峙を不可避とする。ゆえに、そ
れまで国家支配の正当性を保障してきた宗教権門と室町殿の関係は、機構・制度
の分析からは見えてこない「室町殿の王権」の性格を浮き彫りにすると予想され
る。このように考える時、宗教権門とも王権とも密接な「怪異」という視点は、
有効な方法の一つとなるのではないか。
今回の報告では、「室町殿の王権」以前の段階(南北朝期)、及びその確立段
階(義満期)の問題について、「怪異」に注目することで如何なる論点が見い出
されるのか検討してみたい。具体的なトピックとしては、前者は貞和1(1345)年
の天龍寺落慶供養、後者は北山第(現鹿苑院金閣)で行われた義満晩年の祈祷を
取り上げる。なお、報告者の能力から断章的な話題提供となることを予め諒とさ
れたい。
◇「能の「不思議」—能における霊魂観—」永原順子氏
【要旨】
能は、室町時代に生まれ、その後幾多の試練を受けながらも今日まで生き残っ
ており、研究対象として、そして教養や趣味の対象としても国内外から多くの関
心が寄せられている。こと研究に関していえば、能は、芸能、文学、神事、演劇、
等々、様々な切り口をもつ。よって多種多様な分野(芸能史、歴史学、文学、演
劇学、精神医学、宗教学など)での研究がなされてきた。
一つの結論として、能は「鎮魂の芸能」である、というものがある。登場した
亡霊を旅の僧が成仏させたり、あるいは怨霊や鬼などが退治されたり、という話
は確かに多い。しかし果たしてそう言いきれるのか。今の我々から見た能は「鎮
魂の芸能」であっても、当時の人々はどこまで鎮魂を意識していただろうか。ま
た、室町時代において、鎮魂という言葉の指したものは何か。
本報告では、室町時代の「鎮魂」というものの意味をふまえた上で、能におけ
る魂の描かれ方に焦点をあて、発生時期の能をとりまく人々が、魂に対してどの
ような考えを抱いていたかを読みとっていきたい。
能の主役、すなわち一つの話の中心となる役をシテという。神霊、精霊、鬼、
そして亡霊、生霊、・・・生身の人間まで、雑多なものがこのシテという箱に入
れられている。これらはもちろん作り手側によって選択されたのだが、そこには
受け手側の意図も強く影響している。今回は、菅原道真の霊、神霊、物狂などに
ついての描写を事例としてあげ、当時の人々の霊魂観を分析する。
能には「怪異」という言葉はほとんど見られない。しかし「不思議」という言
葉はしばしば見られる。いつの世にも「不思議」は存在し、それに対する人々の
興味は尽きることがない。人々は「不思議」の解明や解決にもがく。そのあくな
き闘いに一石を投じたものとして、能は位置づけられるのではないか。
◇「首都の不安と怪異」高谷知佳氏
【要旨】
首都を象徴的・実質的な大きな基盤とする権力は、時代や地域を問わず広くみ
られる。また、首都における動揺は政権そのものの動揺に直結するため、多くの
政権は地方を犠牲にしても首都を守る構造をもつということは、都市社会学が明
らかにするところである。ことに本報告で論ずる室町幕府は、政治的にも経済的
にも、京都に張り巡らされ積み重ねられた公家・寺社・武家の、非制度的なもの
も含めた多様なネットワークに支えられており、存立基盤の多くを首都に負って
いた政権といえる。 それだけに、室町末期の度重なる戦乱が首都を荒廃せしめ
たことは、当の都市社会に圧倒的な不安と危機感をもたらした。
本報告では、怪異という形でのこうした不安の表出と、それに対する権力の対
処について検討する。
都市社会の不安が表れた場のひとつとして、寺社があげられる。京都において
は、寺社は、王権から認定される「怪異」が確認され、祈祷をもってそれを統制
する場であり、また同時に、10世紀以来の都市民による参詣や祭礼の場でもあっ
た。室町末期には、領主層から民衆にいたるまでの参詣や祭礼がますます盛行し、
勧進や警固など、参詣を通した出資・権益獲得・ネットワークの形成なども行わ
れていた。しかし、荒廃した都市でのそうした群集の出現は、治安の悪化や怪異
の目撃談など、さらなる新たな社会不安につながってゆく。
そして増殖する不安に対して、都市全体を支配する幕府も当事者である寺社も、
かつてのような「怪異」システムによる対処ではなく、治安維持を中心とした現
実的な対処を行っているのが、この時期の大きな特徴である。この点に、古代以
来の「怪異」による収拾との決別、近世へと続く支配の世俗化が読み取れるだろ
う。
第54回東アジア恠異学会研究会
○「応仁の乱と怪異」(大会準備報告)高谷知佳氏
【要旨】
これまで、日本古代史〜中世史の怪異研究によって明らかにされたのは、主とし
て次の二点である。第一に、怪異は、㈰不思議とは限らないが「怪異」として中
央に注進され処理される事柄と㈪不思議なことの双方を区別・検討する必要があ
るということ、第二に、王権は㈰の怪異を読み解く機能を掌握し社会の危機管理
を独占してきたが、室町期にそれが崩壊し王権自体が㈪の怪異に脅えることとなっ
たということである。また、近世史の怪異研究によって明らかにされた、王権・
都市の知識人・地方などの多様な主体と怪異との関わりを、こうした古代〜中世
の成果と照らし合わせる作業も始まっている。しかし、第二の点については、4
代〜8代将軍の時期を中心に論じられたものが多く近世との間には時間的な断絶
があること、また王権の危機として論じられているのが天皇・将軍の跡継ぎ問題
にとどまり、応仁の乱など社会全体を危機に曝した事件についてはほとんど議論
がないことなど、残された課題は大きい。
本報告では、この課題に取り組むべく、応仁の乱〜明応政変の京都に着目する。
第一に、旧来の㈰の怪異とその処理は、水無瀬神号授与・多田や多武峯の鳴動
事件など、当該時期にも何例か存続しているが、機能を喪失してゆく王権にとっ
て・戦火にさらされた社会にとって、それがどのような意義を持ち得たのか、時
期的な特徴を検討したい。
第二に、王権は危機管理機能を失ってゆくが、首都の戦乱によって社会の不安
は増すばかりであった。この不安はどのようなかたちで表現され、どのように解
消がはかられたか。応仁の乱中乱後の古記録にみられる参詣・都市祭礼や、それ
に対する諸権力の関与を題材に検討する。
○「怪異本執筆者による内容説明と質疑」
※執筆者:西山克氏・大江篤氏・榎村寛之氏・山田雄司氏・黒川正剛氏・久禮旦雄氏・木場貴俊氏・戸田靖久氏
第53回東アジア恠異学会研究会
特別企画「新撰亀相記の世界」
東アジア怪異学会は、これまで50回の例会と3回の大会を行い、2冊の編著
を世に送り出してきました。そして、我々は「恠異」という言葉がもつ歴史的な
意味、「恠異」とは何であるか、という問いに、第一論集『怪異学の技法』を経
て、「恠異」の受容の観点からひとつの回答を出そうとしています。
それとともに、我々は「恠異」を発信する人々への関心も当初から持ち続けて
いました。
具体的には、「恠異」を発信する手続きの古代における一例である亀卜の研究
です。それは既に東アジア恠異学会・国学院大学21世紀COEプログラム共催シ
ンポジウム「亀卜—未来を語る〈技〉—」、そして第二論集『亀卜—歴史の地層
に秘められたうらないの技をほりおこす』となって結実しています。
そしてこのたび、「恠異」の発信と受容という恠異学会があつかってきた二つ
のテーマの結節点として、亀卜研究の更なる進展を目指して、我々は新たに『新
撰亀相記』を考察の対象としました。『新撰亀相記』は、中世における『宮主秘
事口伝』、近世における対馬の亀卜関係書へとつらなる亀卜書のルーツであると
されながらも、その内容や成立年代については議論のある、興味深い文献です。
「恠異」を発信する「現場」において行われる「技術」を書き留める亀卜書とい
う史料、それを取り巻く社会についての議論は発信と受容の問題に新たなる視座
を提供してくれるとともに、「恠異」に向き合う我々がいかに史料に取り組むべ
きか、という姿勢を考えるよい機会になることと思います。皆さんの積極的なご
参加をお待ちしています。
(1)問題提起 大江篤氏「『新撰亀相記』と亀卜」
(2)工藤浩氏「『新撰亀相記』の文献的性格」
(3)下鶴隆氏「『新撰亀相記』と氏族伝承」
コメント 榎村寛之氏「『新選亀相記』と平安時代の亀卜史料」
(4)シンポジウム「『新撰亀相記』と恠異学」
司会:榎村寛之氏 パネラー:大江篤氏・工藤浩氏・下鶴隆氏
第52回東アジア恠異学会研究会
○「伏見御香宮神社における神功皇后由緒についての考察」野村奈欧氏
【要旨】
本発表で取り上げる伏見御香宮神社は、神功皇后伝承を由緒に語る。当社の近
世〜近代初期における由緒認識、加えて、同じ神功皇后の由緒を持つ桂女や祇園
会の山鉾(占出山・出征船鉾・凱旋船鉾)との関係を検討することにより、当該
期の神社内での由緒の意義・信仰形態の変化や神功皇后イメージを考察したい。
その中で、近世期、御香宮神社が自社の中で形成した由緒には「怪異」の記述
が含まれているものが存在した。これは御香宮内ではやがて姿を消す。これを検
討することで、御香宮神社の由緒にとって「怪異」がどのような意味を持ってい
たのか、また、近世の神社における怪異の一側面を提示することが出来ればと思
う。
○「妖怪馬鹿孤ならず、必ず隣有り 〜江戸のお化け知識つながり〜」化野燐氏
【要旨】
江戸時代後半の文化人たちの多くが、その著作物に不思議なモノゴトに関する
話題を残しています。珍奇な実話として随筆に、玩弄物もしくは商売のタネとし
て絵本・草双紙・狂歌集などに。彼らの間の人間関係をつぶさに追うと、こうし
た文化人たちが学問や遊び、商行為のための幾つもの場を共有し、互いに交流が
あったことがわかります。どうやら、彼らはそうした場でのネタ、あるいは教養
として、不思議なモノゴトについての知識を緩やかに共有していたようなのです。
今回の報告では、田中優子氏や中村禎里氏が指摘しておられる狂歌や本草学な
おける人脈論を、お化けを軸に読みなおし、当時の文化人がどのように不思議な
モノゴトと関わっていたかを素描してみたいと思います。なお、共有されたネタ
・不思議なモノの実例としては、船幽霊を扱うつもりでおります。
第51回東アジア恠異学会研究会
特別企画「怪異と文学—善家秘記の世界—」
東アジア怪異学会は今まで50回の例会を行い、3回の大会を行い、2冊の編
著を世に送り出してきました。成立以来、「怪異」にこだわり続けた我々の前に
ようやく「怪異」という言葉の一面が姿を見せようとしてきています。
法令用語としての「怪異」——しかしそれは西山代表の意欲的な問題提起から
はじまったことからもあきらかなように、「怪異」にこだわった歴史学の成果で
あり、歴史学として「怪異」を考えた末のひとつの回答にすぎません。
「怪異」という言葉へのこだわりと同じぐらい「学際」にもこだわってきた東
アジア怪異学会にとって、それはひとつのステップでしかないように思います。
歴史学、特に日本史(国史)はそうだった。では国文学は、中国文学は、西洋
史学は、東洋史学は…そして民俗学では? 我々は常に問い直していかねばなら
ないはずです。
今回の特別企画ではその問い直しの第一歩として平安時代中期の文人官僚・三
善清行の著作『善家秘記』をとりあげます。
彼のこの著作はしばしば「怪異趣味」の産物と言われたりします。ではその
「怪異」とはなんでしょう。本当にそれは「怪異」なのでしょうか。
史料上の言葉にこだわりながら、学問のジャンルにこだわらない。東アジア怪
異学会がこの史料をとりくんだとき、我々の目の前にどんな視野が開けてくるの
でしょう。
それは国文学を、歴史学を、怪異学をとらえなおすよき視点となるはずです。
皆さんの積極的なご参加をお待ちしています。
(1)問題提起Ⅰ「善家秘記の研究状況」—松倉明子氏
(2)「「染殿后」考—「記」から「物語」へ—」—久留島元氏
(3)「『善家秘記』の「裸鬼」—冥吏像の日中比較」—佐野誠子氏
(4)「コメント」—田中貴子氏(甲南大学)
(5)問題提起Ⅱ「善家秘記と『怪異』」—久禮旦雄氏
(6)質疑応答「怪異学と文学の可能性」
第50回東アジア恠異学会研究会
○「『太平記』の怪異と怨霊—話題提供のためのメモ —」西山克氏
【要旨】
茶話会形式のフリートーク
東アジア恠異学会第3回大会 〜「怪異から見る近世」〜
【大会要旨】
東アジア恠異学会では過去に二回の大会を行ってきたが、もともと学際的な研
究集団として多義的な方法論をもち、扱う時代や地域も多様であったため、共通
テーマを設定しにくいという欠陥を引きずってきた。それは学会にとって核心的
なキーワードであるはずの怪異の定義にも及んでおり、残念ながら過去の大会は
目に見える成果を生み出せないまま今日に至っている。
そこで、今回の大会では、時代を日本の近世社会にしぼり、その社会の歴史・
宗教・文学・民俗などと関連させて怪異を論じ、あわせて広く討議を行うことを
目標としたい。日本の前近代社会——特に南北朝期より以前の社会では、怪異は
近未来における国家的な凶事の予兆とみなされている。一方で近世社会では、な
にを怪異と定義し、その様相を如何なるものとして把握することが可能なのか。
ひとまず、近世人の思想背景にある神道・儒教・仏教、いわゆる三教を軸にし
て、怪異情報の発信と受容あるいは書物などのメディアと怪異との関係、などの
テーマを追いかけてみることにしたい。日本の近世社会における怪異の様相の一
端が、その討論の過程から浮かびあがることを期待したい。
なお、近世社会全般を扱って焦点が拡散することをおそれ、時代を一七世紀前
半から一八世紀末頃までに限定する。それは徳川幕府による国家体制や社会秩序
が確立し、変容し、崩壊にむかう時期と一致する。その時代の怪異の様相を明ら
かにすることは、同時に怪異を羅針盤にして、その時代の様相を垣間見ることを
も含意するだろう。
東アジア恠異学会が現代の人間諸科学に対して寄与しうるもの——大会はそれ
を確認する場でもあるに違いない。
多様な知識と技法がここに結集されることを切望する。
◇井上智勝氏
「近世の「怪異」と神祇管領長上吉田家」
本報告では、史料に即して近世の「怪異」を吉凶双方の予兆と理解し、予兆が
意味するものの発動形態と、それに対する神祇管領長上吉田家の対応の検討を通
じて、近世の神道およびそれを奉じる宗教者である神職にとっての「怪異」を考
える素材を提供する。
◇香川雅信氏
「妖怪手品の大坂・妖怪図鑑の江戸」
怪異とそのエージェントとして考えられた妖怪に対する認識は、18世紀後半を境に
変容する。すなわち、怪異・妖怪が人間によってコントロール可能なものと認識され
るようになったのである。その結果として登場したのが、さまざまな「妖怪娯楽」で
あった。これについては、拙著『江戸の妖怪革命』で論じたが、今回の発表ではそこ
では論じられなかった地域的な差異、具体的には、18世紀後半における妖怪の娯楽化
はなぜ大坂では「妖怪手品」という形で現れ、江戸では「妖怪図鑑」という形で現れ
たのか、という点について再考してみたい。
◇木場貴俊氏
「怪を語る儒者—物・事・心—」
本報告の目的は、儒学が「教養文化」(倉地克直『江戸文化をよむ』)として近世社
会に広く浸透していく中で、儒者が「怪異」をどのように認識・理解し自らの知識や
思想に組み込んでいったのか、その知識や思想はどのような背景をもとに成立したの
か、またそれが近世社会にどのような影響を与えたのかを明らかにすることである。
儒者にとって「怪異」とは、『論語』述而篇の「子、怪力乱神を語らず」の「怪」を
指す。しかし、この「怪」の解釈は、儒者各自によって差異があり、朱子学も一つの
解釈を示しているにすぎない。この点を踏まえ、最初に、朱子や近世の儒者たちによ
る「子、怪力乱神を語らず」の解釈を概観することで、儒者各人の怪異観を明らかに
した上で儒学と怪異の関係を明らかにしていくことの重要性を確認することから報告
を始めたい。
具体的な考察としては、17世紀末〜18世紀前期という同時期に活躍した貝原益軒
と西川如見の二人の儒者について考察を行う。前者は『大和本草』『養生訓』、後者
は『和漢変象怪異辨斷・天文精要』『町人嚢』などの著作に怪異に関する記述を残し
ていることから、同時期の儒者が有していた怪異に対する関心(物・事・心)を当時
の時代状況と絡めて比較分析していきたい。そして18世紀前半以降の儒者と怪異の
関係についての展望を述べる予定である。
◇堤邦彦氏
「寺と幽霊—念仏の呪法化を中心として—」
近世の怪異は、創られた恐怖とその演出方法の歴史に換言しうる側面を併せ持つ。ま
さに怪談の世紀ともいうべき十七〜十九世紀の幻想文化を成立せしめた宗教的な原風
景とは何か。本報告の問題意識はこの点にある。
江戸期の庶民仏教はさまざまな法会や呪的儀礼を通して荒ぶる妖魔・悪霊の鎮圧方法
を檀徒、参詣者に説きひろめ、宗教的に克服し得る怪異の存在を一般社会に根付かせ
た。やがて十七世紀以後の庶民文化のなかに鎮圧可能なバケモノの姿態を創作素材に
援用した文芸、絵画、芸能、舌耕話芸の類が登場することになる。仏教諸宗の大衆化
と呪的儀礼の日常化、生活化はまさしく江戸怪談の成立条件にほかならない。
以上の見地から、ここでは浄土宗鎮西派に顕現する「百万遍念仏」の現世利益化と呪
法性をとりあげ、<幽霊成仏の念仏>の普及と、その怪異文芸史的な意味について考
えてみたい。
「念仏は祈祷ではない!」−浄土宗教義の根本原理(厭離穢土・欣求浄土)にしたが
えば、称名念仏の信仰が目の前の幽霊退散を祈願する現世利益の加持・祈祷に結び付
くことはあり得ない。
ところが、近世の伝法書、勧化本にはしばしば念仏誦経による幽霊成仏の方法や妖魔
鎮圧、変死体・産死婦の埋葬方法が指南され(『浄土無縁引導集』『浄土名越派伝授
抄』)、布法の場に実践された。それらの呪法は曹洞宗系の葬送切紙とも類似し、
ルーツをたどれば密教・修験道等との関連を提起されるものである。
そうした仏教儀礼の民間浸透は幽霊封じの呪符・呪法の効験を一般社会に定着させる
とともに、江戸怪談の着想のなかに<亡鬼と対決する高僧>などの文芸イメージを派
生せしめ、さらには寺僧の法力、念仏の功徳をもってしても成仏し得ない婦霊へのオ
ソレ(例えば『四谷怪談』のお岩)といった怪異の演出法さえ可能にした。かくして
幽霊鎮魂の文芸素材化は、江戸の幻想文化を豊饒な怪異芸術に昇華させて行く。それ
は古代的怪異が怪談創作のレベルに変遷したことを示している。怪異に遊ぶ知のリテ
ラシーは江戸にはじまるといえるのではないか。
◇村上紀夫氏
「木食正禅考—享保期京都における宗教者と社会」
これまで日本史の分野からの怪異に対するアプローチは多くイデオロギーとしての
側面を分析することであった。しかし、そうした見方では民衆と怪異の関わりは一方
的なものとなり、民衆はすべて国家の支配イデオロギーを唯々諾々と受け入れる存在
として捉えられがちであった。イデオロギーという視点を離れ、民衆に焦点をあてれ
ば怪異とは如何なる見え方をするのであろうか。ここでは一八世紀前半、京都で活動
した木食僧、木食正禅(養阿)の前半生に焦点をあて近世の社会と怪異について検討
していくこととしたい。
木食正禅は泉涌寺で剃髪し、高野山で木食戒をうけた後、七条大宮の庵を拠点とし
て京都の七墓五三昧を巡る修行をし、享保二年の夏、これらの墓所に五三昧に名号碑
を建立した。さらに真如堂に丈六の金銅阿弥陀仏を建立するなど盛んに宗教活動を
行った。その後は狸谷不動、さらに東山清水坂の安祥院に移り、架橋や日岡峠の改修
など多くの作善を行い、宝暦十一年に遷化した。
木食正禅の事績を描いた『木食養阿上人絵伝』によると、木食正禅は修行の際や七
墓五三昧の時に「怪異」を体験したり、「異人」と遭遇したりしているのである。
本報告では、さしあたり『絵伝』に「怪異」「異人」と明確に「通常ではない状
態」として記載される事象を「怪異」とし、概念を拡散させることは控えておきた
い。その上で、正禅と「怪異」について論じることを急がず、まず前提として(1)
史料から見える木食正禅の実像を明らかにし、(2)絵巻の記載と比較することで絵
巻の史料批判を行い、(3)絵巻の怪異記載について検討する。
なお、かかる宗教者を研究対象とする場合、ややもするとその思想や活動ばかりに
目が向けられ、その普遍性や先見性などを強調されがちであるが、ここではあくまで
も一八世紀前半という時代に生きた存在として、当該社会のなかに位置づけたい。い
うなれば、社会的存在として宗教者を見ようとする試みである。その上で、木食正禅
を生んだ一八世紀前半という社会、そのなかで木食正禅の活動が民衆と接する際に立
ち上がる現象の一つとして怪異について検討したい
第49回東アジア恠異学会研究会
○「近世における説話伝承のあり方—藤原実方を例として—」鬼頭尚義氏(神戸大学院生・近世国文学)
○「「怪異学」の可能性—王権論(限定的な「恠異」)と認識論(総体としての「不思議なコト」)—」榎村寛之氏
【要旨】
われわれが怪異と呼んでいる事象は古代人は何と呼んでいたの
か。言葉の壁を取り外し、「フシギなコト」という新しい概念を提
起することで、怪異という文字の束縛を離れよう。フシギなコトの
説明手段として発信される情報と、それを受けて改変していく地域
という情報の発信・受信関係を分析し、その発信が著しい科学的知
識の格差によるものだったこと、しかし一方的な洗脳ではなく、絶
えず受ける側のリアクションにより規制されていくものだったこと
を種々の資料で確認していこう。そして「恠異」という言葉が成立
するまでの歴史と、限定された「恠異」の中身を分析し、「恠異」
という説明文言の正しい意味を歴史的に位置づけることで、怪異学
の新しい地平を開いて行こうと思う。
第48回東アジア恠異学会研究会
○「中世地方神社における神意の発現形態—筑後国鷹尾社を素材として」苅米一志氏
【要旨】
第一回大会報告においては、いわゆる「怪異」を中世の古文書に求め、大まか
な整理を行った。すなわち「怪異」を、A狭義の怪異=史料用語としての(文字
通りの)「恠異」、B広義の怪異=示現・託宣・夢告、に区別し、AからBへの
遷移・拡散を予測した。Aの概念のみに焦点を絞った研究も重要であるが、それ
だけでは現代人たる我々が「怪異」と認識するものの範囲およびそれに対する研
究を狭めてしまう。本報告では、前報告の方針を受け、中世前期の地方神社にお
ける広義の「怪異」を扱う。具体的には、筑後国山門郡瀬高下荘の鎮守・鷹尾神
社における示現・託宣・夢告について、それらを表明する主体が如何なる存在で
あるかを探る。概して、歴史学においては「怪異」的な現象が「政治的・宗教的
な虚構」「イデオロギー支配の一環」として処理されることが多い。本報告にお
いては、そうした立場で切り捨てることなく、示現・託宣・夢告を表明する主体
に注目して、それらの言説が社会的にどう機能していたかを解明したい。
第47回東アジア恠異学会研究会
○「カミの可視化と不可視化—18世紀における神霊観の転回」井関大介氏
【要旨】
各時代・各地域における「怪異」をそれぞれの文脈において個別に研究すると
いうこととは別に、その「怪異」を研究対象や娯楽として扱っている我々自身の
「知」の枠組みを反省し得るという意味において、香川雅信氏の『江戸の妖怪革
命』は、近世研究者のみならず怪異学全体が共有すべき重要な研究成果であると
思われる。
ただし、香川氏が描かれた中世から近代に至る「妖怪」変遷の図式は大変説得
力に富むものの、あくまでも「フィクションとしての妖怪、とりわけ娯楽の対象
としての妖怪は、いかなる歴史的背景のもとで生まれてきたのか」(同書p.20)
という問いに貫かれている以上、単線的なものにとどまっていると言えよう。近
代における「妖怪」や「怪異」がどのような歴史を経て構築されてきたのかとい
う問題は、まだまだ他の多くの問いによって補足されていくべき大きな問題なの
である。
そこで、宗教学的な研究を背景とする本発表では、香川氏の論をふまえた上で、
かつ同じくフーコー的な手法に則り、娯楽化とは別の側面における「江戸の妖怪
革命」の一端を示したいと思う。宗教史的な文脈においても、私見では近世(特
に18世紀)が神霊観の重要な転換点となっており、特に「神道」思想における
「怪異」や「妖怪」の位置づけが、他の諸概念と絡み合いつつ大きく変動してい
るのである。それもまた、近代の「怪異」「妖怪」を裏側から形成する不可欠の
要素であろう。
中でも本発表では、怪異小説『雨月物語』の作者であり、また本居宣長に神話
解釈論争をしかけた国学者でもある、上田秋成(1734〜1809)を中心として、18
世紀後半の知識人が「怪異」や「妖怪」をどのようなことばで語ったのかという
問題について考察する。娯楽的な「妖怪」が形成されていく背後で、それと対立
し、また時には交じり合いながら、近代的な神霊観が形成されつつあったことを
示せればと思う。
その『雨月物語』については香川氏の論においても重要な事例の一つとして言
及されているが、別の観点から近世の「妖怪革命」を論じるからには、やはりそ
れについても香川氏とは別の理解を提示してみる予定である。
○「「神仏習合」概念の成立について—怪異学についての覚書にむけて—」久禮旦雄氏
【要旨】
怪異学会は「怪異(学)」をひとつの「方法論的ツール」として位置づけるこ
とを目的としている。その中で通俗的(近代的)な「怪異」という言葉がもつ広
がりに対してどう距離をとり、「怪異」を学問的に取り扱うかということは大き
な問題となっている。
今回の発表は近代の「神仏習合」という概念の成立過程を取り上げる。具体的
には辻善之助の「本地垂迹説の起源について」(『日本仏教史之研究』所収)か
ら「神仏習合」研究が始まったとする通説に対し、辻以前にも研究はなされてい
ることを指摘した上で、それが辻論文に与えた影響が今日「神仏習合」概念の問
題点になっている点について触れたい。
一つの学問的な概念の成立の過程とその問題点を見ることで、現在我々が直面
している「怪異」の「方法論的ツール」としての確立への参考になればと思う。
なお、通説的な「神仏習合」の研究史叙述については山折哲雄「古代日本の神
と仏」『神と翁の民俗学』(講談社学術文庫、1991)、林淳「神仏習合研究史ノー
ト」『神道宗教』117号(1984)、曽根正人「研究史の回顧と展望」『論集奈良
仏教第四巻 神々と奈良仏教』(雄山閣、1995)、伊藤聡「神仏習合の研究史」
『国文学 解釈と鑑賞 特集 古代に見る御霊と神仏習合』第63巻3号(1998)
などをご参照ください。
第46回東アジア恠異学会研究会
○「怪異学についての覚え書き—心理学の立場から」鈴木公洋氏
【要旨】
心理学から怪異学はどのように見えるのか、また心理学は怪異学にどのように
かかわることができるのかについて、一心理学研究者の視点からお話しする。具
体的には以下のテーマに沿って展開したい。
○心理学ってどんな学問?
○怪異学ってどんな学問?
(2006年4月に学会員を対象に行われたアンケートに対する回答等を参考に)
【あなたにとって、「怪異学」の対象となる怪異は、どのようなものと定義され
ますか】
【学際的な怪異研究のためにどのような方法論が可能であるとお考えですか(そ
れが可能か否かについても含めて)】
○心理学と怪異学は似ている?
○「鈴木発表へのコメント」黒川正剛氏(太成学院大学講師・西欧地域文化研究)
【要旨】
鈴木氏の発表をふまえて,歴史学と心理学のあいだから「怪異学」のありよう
について考えてみたい。
文学・歴史学・民俗学などの人文社会諸科学とは異なる立場の心理学と「怪異
学」の初の対話であり,この度の例会が有意義な対話の場になればと思うので,
コメンテータ以外の様々な学問的立場の方々からのご発言をお待ちします。
東アジア恠異学会編『亀卜』合評会
さて次回研究会は5月下旬に刊行されます、東アジア恠異学会にとって2冊目の
本となる『亀卜—歴史の地層に秘められたうらないの技をほりおこす』の合評会
を行います。今回は東京の國學院大学よりお招きした加瀬直弥氏、本会からは大
江篤氏のお二人に評者となっていただき、発刊から間もないのですが時間の許す
限り「亀卜」および亀卜本について検討できればと考えております。
○評者:加瀬直弥氏(國學院大学 研究開発推進センター)、大江篤氏(本会副代表委員 園田学園女子大学助教授)
東アジア恠異学会第2回大会検討会
○「シンポジウムー王権と怪異ーを終えて」大江篤氏
【要旨】
さて次回研究会は3月21日に開催された第2回大会の検討会となります。
第2回大会では「王権と怪異」をテーマにシンポジウムを行いました。
シンポジウムでは、古代から近世にいたる王権と怪異の関係の見通しが示され
ましたが、その当否や、そこから発展させるべき問題、あるいは今後明らかにし
なくてはならない課題、さらに、こうして歴史学的な視角から得られた像が、怪
異を総合的に考えていく上でいかなる役割を果たしえるのかなど、論じつくせな
かった点が多々残っております。
また、討論の中や、大会後の公式掲示板での議論では、「王権と怪異」という
テーマ設定そのものをはじめ、大会をどのようにして作り上げていく必要がある
のか、といった問題や、学際的な怪異研究に向けての課題など、さまざまな問題
提起もなされています。
以上のような状況をふまえて、次回検討会では、まず大会に至るまでの過程や
テーマ設定の意図や目標としたものについて大江篤氏があらためて確認し、その
上で、大会で出された成果に対し、佐野誠子氏(京都大学人文科学研究所助手・
中国文学)らからコメントをいただきます。
そして、
(1)今回の視角から得られた成果や課題はいかなるものだったのか。それを今
後にどうつなげることができるのか。
(2)今回の大会の成果は、別の視点から怪異を見る立場からはどのように受け
止められるのか。そも、「怪異と王権」というテーマ設定は可能なのか。具体的
に怪異をどのような観点から読み解くことが可能なのか。
という2点を中心に議論を深め、今後さらに怪異学を深めていくための土台とし
たいと考えています。
東アジア恠異学会第2回大会 〜「王権と怪異」〜
【大会趣旨】
2001年4月に京都で産声をあげた東アジア恠異学会は、45回の定例研究会を重
ね「怪異」を読み解く技法を模索してきました。この間、2003年10月に『怪異学
の技法』を出版し、雑誌『幽』での「怪談考古学」の連載もはじまり、学会の存
在も少しづつ知られるようになってきました。一方、第一回大会「『怪異学の技
法』始末」などにおいて、「怪異学」構築のための様々な課題が提示されていま
す。そこで、第二回大会では、これまでの5年間の議論を整理し、怪異学の新た
な地平をめざして、学会設立当初からの課題である「王権と怪異」をテーマにシ
ンポジウムを開催いたします。パネリストは日本の前近代の歴史をフィールドに
しているものが中心ですが、学際(きわもの)の有用性がいかんなく発揮できる
場としていきたいと考えています。皆様の積極的なご参加をお願いします。
◇開会挨拶 西山克(代表・関西学院大学)
◇問題提起 大江篤(園田学園女子大学)「古代王権と『怪異』」
◇パネリスト・コメンテーター紹介 大江
◇報告1 中世 上島享氏(京都府立大学)「中世王権と宗教」
◇報告2 近世 林淳氏(愛知学院大学)「徳川王権と陰陽道」
◇コメント1 榎村寛之(斎宮歴史博物館)
◇コメント2 西山 克
◇討論 司会 大江篤
◇閉会挨拶 大江篤
第45回東アジア恠異学会研究会
○「後白河院託宣に関する一考察—二つの託宣事件を題材として—」福田雅佳氏
【要旨】
建久三年(一一九二)三月十三日後白河院が死去し、その治世は終わりを迎え
た。これ以降の政治状況は、建久七年の政変でその勢力を失うまでの四年間を九
条兼実が、政変以後は源通親が、それぞれ政治の主導権を握る。そしてそののち
後鳥羽院が実権を握ることにより、院の「独裁」へとその状況は変化していく。
この当時、亡くなった後白河院の霊が現れていることが貴族の日記から窺える。
その中から特に、建久七年(一一九六)頃に起きた後白河院託宣事件と、建永元
年(一二〇六)に起きた後白河院託宣事件を取り上げたい。
二つの託宣事件が発生したのは、政治状況に大きな変化がみられる時期である。
また後鳥羽院政は、複雑な政治上の対立を抱えつつ成立した。よってこの二つの
託宣事件は、後鳥羽院政成立当時の状況の理解にとって、重要な位置付けが可能
であると考える。
そこで本発表では、後鳥羽親政・院政期に起こったこれら二つの託宣事件に関
する新たな視点を見出したい。
○「社会性疾患と怪異—室町時代宮廷社会の精神史—」西山克氏
【要旨】
社会性疾患とは、ある社会特有の疾患を、類似した方向性をもつ病的傾向を含
めて仮に定義したものである。他方で怪異は、古代〜中世国家の宗教的・呪術的
な危機管理システムの対象として、その存在を王権を発信源とする制度化された
恐怖、制度化された不安の感覚によって支えられていた。
この報告では、室町時代の宮廷社会において顕著に見られる精神性の疾患、あ
るいは精神性の疾患と見紛う病的傾向が、怪異観にどのような影響を与えたかを
考えてみる。たとえば称光天皇はしばしば便所で大亀と女を幻視している。統合
失調症か、薬物もしくはアルコール中毒に基づく幻覚と思しいこの奇妙な体験を
通して、やがて天皇は崩御し、一つの皇統が断絶するに至る。また同時代に、室
町幕府の歴代の将軍たち、その妻室、奥御所の女房たちが、くりかえし狐憑きや
邪気を経験している。おそらく現代の精神医学は、狐使いの餌食となった彼ら一
人一人になんらかの病名を用意するだろう。しかし問題は個人のカルテの中身で
はない。
問題は室町時代の宮廷社会に社会性疾患が蔓延していたことである。医道(薬
剤の処方)を学ぶ者は狐使いであり、全ての人びとが狐憑きとなる可能性を持っ
ていた。しかも室町時代に至る中世後期は、軒廊御卜の機能低下に象徴されるよ
うに、怪異の管理システムが大きく揺らいだ時代であった。そうした時代の宮廷
社会に社会性疾患が蔓延するのである。制度化された恐怖、制度化された不安を
支える国家的なシステムが機能しなくなり、社会性疾患の遍在を通して、恐怖や
不安はより直截的で生なものとなる。
以上のことを前提にして、社会性疾患と怪異観との関係を考えるのが、この報
告の目的である。
第44回東アジア恠異学会研究会
○「「弁惑物」についての考察—「弁惑物読本」を考える−」鬼頭尚義氏
【要旨】
近世の書物群の中に、怪異否定を眼目とする、所謂「弁惑物」と称される一分
野がある。堤邦彦氏によれば「弁惑物」は、「弁断」「弁惑」物の啓蒙教化書と、
「弁惑物読本」との2つに分類できる。前者は儒学・神道や心学などの立場から
怪異を否定することで、民衆を啓蒙教化しようとした書物と、捉えられている。
後者は香川雅信氏によれば、宝暦期以降の「種明かしの時代」の風潮を受ける形
で、「弁断」「弁惑」物の啓蒙教化書から派生する形で生まれたものだとされて
いる。だが「弁惑物」の研究そのものが殆ど進んでいない中、これらの考えを早
急に正論としてしまうのは如何であろうか。一体、「弁惑物読本」とは如何なる
書物だったのか。
本発表では「弁惑物読本」に類される書物群を使用し、その特質を捉える事で、
「弁惑物読本」の生成過程及び展開について考察していく。
○「牛女と件(くだん)のフィールドワーク」木原浩勝氏
コメント:村上紀夫氏
【要旨】
西宮一帯にのみ流布される“牛女”。なぜ牛女は地域に限定されているのか?
そのフィールドワークの中で、浮かび上がる“件”。両者に共通して語られる
“予言”。フィールドワークで得られた情報を通して、その姿に迫ります。
第43回東アジア恠異学会研究会
○「王充『論衡』における鬼神論—怪異発現のメカニズム—」佐々木聡氏
【要旨】
本発表では、後漢代の思想家である王充の著作『論衡』をとりあげ、その鬼神
論の体系の柱となっている「怪異のメカニズム」について考察する。
中国における鬼神とは狭義には死者の魂を指す。古来より祖先祭祀を重んじた
中国では、祭祀観との関わりから、鬼神についての議論が盛んに行われた。また、
この鬼神は天人感応思想の中で「怪異」の一つとして位置づけられ、国家イデオ
ロギーの中に取り込まれた。このような状況の中で、王充は逆に鬼神の概念の指
す対象を他の「怪異」にまで敷衍させることで、狭義の鬼神のみならず広く怪異
一般を包括する形での「鬼神」概念を構想した。その上で王充は、この鬼神論の
中にさらに機械論的な「気」の概念を導入することで、独自の理論体系を大成し
たのである。本発表では異端と呼ばれる王充の鬼神論、特にそこに展開される王
充独自の「気」を用いた「怪異のメカニズム」を中心に検討し、その意義につい
て考えたい。
○「怨霊祭祀伝承における「冤罪」の生成−殺人譚・祟りと易占本」井上智勝氏
【要旨】
中近世において、怨霊を祭祀した社祠の成立には、多くの場合殺人譚を伴って
いる。父祖が下人や山伏を殺したりしたため、その祟りを被り、神に祝ったとい
う類である。だが、このような殺人の事実は本当に存在したのだろうか。本報告
では、かかる殺人譚が定型化していることに注目し、それらが多く宗教者の知識
に基づき創作されたものであったことを解明して、殺人者に仕立て上げられた多
くの人々の「冤罪」を晴らす。
第42回東アジア恠異学会研究会
○「平安時代初期における神祇政策と神仏習合—「怪異」思想の観点から—」久禮旦雄氏
【要旨】
本発表では、神が人に対する意思の表明(託宣・祟の類)について、平安時代
初期に限定して考察する。
ここにおける「怪異」思想とは、異常な現象に対する「王権」の説明の付与機
能、情報の管理方法を裏づける思想の、日本中世に典型的にみられるあり方のこ
とと仮に定義する。それは中国の祥瑞災異思想と共通する要素をもちながらも、
異常な現象に対し、中国及び日本古代の一時期のように天(もしくはそれにあた
るもの)のみではなく、多様なる神・霊の類が競い自らの意思を示したものであ
るという説明を付与するものである。託宣が増加する九世紀の神祇のあり方につ
いて、変化を可能ならしめたものとして八世紀末からの神仏習合思想が想定でき
るが、更にそのような動向について平安初期の朝廷(「王権」)がいかに対応し
たかをみていくことで、日本における「怪異」と「王権」のあり方について考え
たい。
○「幕末春日社の怪異をめぐって—神鏡落損の精神史—」戸田靖久氏
【要旨】
本発表では幕末の文久二(1862)年に発生した春日社での怪異現象を通し
て、当該時期における王権と怪異との関係を探っていく。
前回発表時に報告者が幕末五大怪異事件と名付けた怪異現象の中でも、朝廷側
のリアクションが最も大きく、かつ関連史料が豊富に残っている春日社神鏡落損
事件からは、怪異をめぐる人々の動きを一貫して抽出することができる。それを
踏まえた上で、怪異発現の5W1Hを詳細に検討していき、当事件の時代的意義
を考察することを目的とする。
第41回東アジア恠異学会研究会
○「怪異学における共通言語を考える」黒川正剛氏
【要旨】
「怪異」に対する学問的アプローチは研究者によって様々でありうる。また、
「怪異学」は所与のものとして存在するものではなく、個別実証研究の積み重ね
によって立ち現れてくるものなのかもしれない。
しかしながら、「怪異」というキワモノ的かつ好事家的と受け取られかねない
研究主題の場合、他の学問分野では当然とみなされるこれら二つの立場は無前提
に受容されないのではないだろうか。
「怪異学」というものを学問として位置づけるとともに,「怪異学」というも
のが「怪異好きの烏合の衆が行う営為」として認識されないためには(それでよ
いという見解もありうるのだが)、怪異学という学問の基盤となりうる「共通言
語」を探求することは必要不可欠の作業ではないだろうか(共通言語が“発見”
できるか否かは,ひとまず置いておくとしよう)。
本発表では、このような共通言語探求のためにどのような問題群を考えておく
必要があるのか考えてみたい。歴史学と怪異学、学際性の問題、社会と学問等の
視角から検討を加えることになるだろう。
共通言語の探求は簡単になしうるものではない。また発表者が西洋史学・西欧
地域文化研究専攻のため視点に偏りが存在することは止むを得ない。そのため問
題提起的な内容となることを断わっておく。
○「近世中期の地方社会における怪異譚‐ 「西播怪談実記」の諸相‐」埴岡真弓氏
【要旨】
宝暦年間に刊行された「西播怪談実記」は、播磨国佐用郡佐用宿に住む商人春
名忠成によって著された怪談・奇談集である。西播地域で語られていた世間話と
しての怪談・奇談を書き留めたもので、近世中期の地方社会における怪異譚の実
相を示す貴重な事例といえる。同書が刊行された背景を含め、87話に及ぶ怪談
・奇談について概略を紹介し、内容の分析を試みたい。
第40回東アジア恠異学会研究会
○「百人一首と怪異」榎村寛之氏
【要旨】
百人一首の研究の中で、紀貫之の歌にある「ふるさと」を平城京と見る説があ
る。だとすれば、紀貫之の歌は、編者である藤原定家の意識の中で特殊な意味を
持つことになる。なぜなら、定家に至る平安時代の和歌文化史は、貫之の古今和
歌集編纂、いわばその仮名序に発するものだからである。では、貫之に平城京を
偲ばせる歌を充てるのなら、それ以前の歌にはどのような意味づけがあるのだろ
うか。じつは百人一首の引用はすべて勅撰集からに限られているらしく、万葉集
はその原資料には入っていないという。つまり古今集以前は、「和歌前史」とい
うことになる。
このような観点から見ていくと、不思議なことに気が付く。貫之以前の百人一
首歌人たちには、怪異に関わると言われ、あるいは後世に認識されてきた人物が
意外に多いことである。定家が持ち、同時代の貴族たちに共感を以て迎えられた
と見られる、八・九世紀の歌人。あるいは和歌のイメージとはどのようなものな
のか、後世から見た古代認識、という視線で探ってみたい。
○「『対馬亀卜談』による灼甲実験」
【要旨】
國學院大學での灼甲実験を踏まえ、さらに『対馬亀卜談』を元にした実験を行う。
第39回東アジア恠異学会研究会
○「伊勢神宮の怪異」山田雄司氏
【要旨】
怪異と王権との関わりを語る際、「日本第一の宗廟」たる伊勢神宮で発生した
怪異について考察しないわけにはいかない。神宮の怪異については、すでに西山
克氏が御厩の神馬逃走について、王権との関わりという視点から興味深い説を提
示されている(「騎乗する女神」『三重県史だより』資料編中世1下、1999年)。
本報告では、中世における神宮正殿や別宮の鳴動、竈鳴、千木・鰹木等の崩落、
心御柱の朽損、櫪御馬の逃走といった怪異がいかに認識されていたのか、さらに
はこうした怪異と仮殿遷宮との関わりを考察していきたい。また、怪異が発生し
た場合、朝廷にいかに報告してその対応がとられたのか、情報の伝達ルートにつ
いて検討する。そして、他所で発生した怪異に対して、神宮や他の寺社に発せら
れた祈祷命令を考察することにより、王権による怪異対処システムについて考え
ていきたい。
○「東アジア恠異学会新データベースの一提案」九鬼旭寿氏
【要旨】
東アジア怪異学会のデータベースを、新しいシステムに変更するための概要を
紹介する。
現在検討しているものとして、歴史資料・文学資料・民俗資料・絵画資料の四
つのデータベースを統合し、データベース内の共通する分類項目によってリレー
ション検索が可能となることを特徴としている。
これにより、どの分野からのアプローチでも容易に他領域の資料を引くことが
でき、将来的には資料レベルでの学際化が可能なデータベースの構築を目指す。
第38回東アジア恠異学会研究会
國學院大學21世紀COEプログラム共催
東アジア恠異学会・国学院大学21世紀COEプログラム共催
シンポジウム「亀卜—未来を語る〈技〉—」
[シンポジウムコーディネーター・東アジア恠異学会副代表 大江篤氏]
【シンポジウム趣旨】
亀卜は東アジアで古代以来行なわれてきた伝統的な卜占である。
王権はこの卜占を掌握することによって、恠異を認知する技術を独占した。
亀卜は王権の危機管理にはなくてはならない存在であった。
具体的には対馬・壱岐・伊豆の卜部を神祇官の管轄下に組織して、その技術を伝承させたのである。
その亀卜の技法とは如何なるものか。卜部の技は秘事・口伝であったため、
伴信友の「正卜考」以来研究がすすめられているものの、十分に明らかにされてきたとはいいがたい。
そこで、今回は近世・近代の亀卜書の記述をもとに、亀卜の復元を試みることにした。
その実験の結果をふまえて、シンポジウムでは怪異学はもとより、
動物管理学・民俗学・考古学など幅広い学融合のもとで、ウラを読む技と知を考えていくことにしたい。
第37回東アジア恠異学会研究会
○「民俗社会におけるタタリ—その認定と消除を中心として—」久下正史氏
【要旨】
カミをはじめとする超自然的なモノが人に対して恠異を示す、すなわち、タタ
リがおこるという例は、民俗社会においては現在でも「実在」している。
しかし、一般人には恠異をタタリであるかどうかは判定できない。タタリらし
きできごとを明確にタタリと判定するにはカミと人とを媒介する能力を持つ巫覡
の存在が不可欠であろう。カミと人とのあいだに介在する巫覡によって恠異はタ
タリと判定され、適切な解消の方法が示される。その結果として、タタリによっ
て引き起こされた恠異は解消されるはずである。
本報告では、近畿地方のある巫女のもとにもちこまれたさまざまなタタリの事
例を分析しながら民俗社会においてどのようにタタリが認定され、それが解消さ
れるのかということを中心に民俗社会におけるタタリのありかたについてみていくことにしたい。
○「精神医学史はなぜ怪異を語るのか─精神病の日本近代・序説─」兵頭晶子氏
【要旨】
『日本精神病観史資料集成』という本がある。明治に生まれ、東大精神病学教
室に学び、大正・昭和を精神医学者として生きた金子準二の編纂によるもので、
『天狗編・河童編』『病編・怪異編・祟・憑・呪・報編』『夢編 和歌』の三冊
からなる。この題名からもうかがえるように、随筆を始めとする前近代の資料を
渉猟して集められた情報群は、「精神病観」と断じるには躊躇するような広がり
を持っている。それこそ怪異と呼びたくなるような問題群が、なぜ現代日本で、
「日本精神病史」という枠組みで語られるのだろうか。
この言説の系譜を追うと、憑依が精神病として再定義された明治期にまで遡る。
その再定義の瞬間に、精神医学は何を抱え込んでしまったのか。清涼殿に群集し
た鷺を怪異として読経する、あるいは刀伊国賊徒のために十社に奉幣するといっ
た、およそ精神病には置換できないような「怪異」概念までもが網羅され、精神
病学専門誌に掲載されるのは何ゆえか。決して精神医学史として体系化されるこ
とのないこの語りは、にも関わらず精神医学という見地からこそ発せられる。た
えず破綻していくこの語りは、精神病という概念が何を託され、いかにブラック
ボックス化していったのかを端的に示している。そこで本報告では、井上円了の
妖怪学との関係なども視野に入れながら、精神病の歴史が怪異に転じることの意
味を考えてみたい。それは同時に、近代という空間において、怪異がどこへ位置
づけられていったのかを問う際の一つの手がかりともなると思われる。
第36回東アジア恠異学会研究会
○「近世キリシタンをめぐる「怪しい」語りの考察」南郷晃子氏
【要旨】
ルイス・フロイス『日本史』は、宣教師が日本へ布教活動を開始した際、彼ら
が「化け物」と呼ばれたこと、また通常の人間ではないものとして、彼らについ
てどのようなことが述べられたかを記している。宣教師達が「化け物」として語
られたことに関し注目されるのは、「化け物」と謂う言葉が生身の人間に付与さ
れた点である。生身の人間そのものが、危機感をあおり、排除せねばならないも
のとしてくっきりと浮かび上がる。
禁教令の後、島原の乱を経て、キリシタンは目前の存在から、目にすることは
ないが、どこかにいるかもしれない、内部に抱え込んだ異物として潜在するもの
となる。そして、それとともに、キリシタンに関する語りは、享楽のためのメディ
アに記されるようになる。そこでは語りの装飾のため、「怪しい」キリシタン像
が増幅されていく。
さらに近代、キリスト教が西洋の権威とともに復活すると、こういったキリシ
タン観を「荒唐無稽」とする語りが生じる。キリシタンについての語りそのもの
が、近代の研究者の目から見て、「怪しいことを言っている」と判断されるよう
になるのである。
人に対する定義付けは、定義する側の権力行使といえるが、「化け物」という
定義付けは、非常にあからさまな形での権力行使になる。「怪異」定義に私自身
まだ悩むため、「怪異」の使用を避け、非合理的な尋常ではないものと定義付け
をすることの意味について、キリシタンに付与された言葉を通じ考えてみたい。
○「貝原益軒『大和本草』と怪異」木場貴俊氏
【要旨】
論者はこれまで林羅山という近世の知識人と「怪異」の関係を考察してきた。
そこから新たに本草学(博物学)と「怪異」の関係性についても興味を持つよう
になった。
そこで本発表では、貝原益軒の『大和本草』を用い、『大和本草』の性格を先
行研究から鑑みつつ、そこに見られる「怪異」という言葉から、益軒という知識
人が抱く怪異観を考えてみたい。
東アジア恠異学会第一回大会 〜『怪異学の技法』始末〜
大会趣旨:『怪異学の技法』の発刊によって、ある意味で予想したような、また
ある意味で予想しなかったような状況が生まれました。小松妖怪学との対峙はひ
とまず功を奏したようですが、必要以上の軋みを生むことにもなりました。際物
の有用性とうたったのに、歴史学と民俗学との手法の相違を過度に際だたせる結
果にもなりました。その流れのなかで、当会の抱く怪異概念についての疑問も提
起されています。『技法』の副産物として生み出された不必要な軋みを清算し、
新しい展望を開くために、『怪異学の技法』始末と題する場を用意します。足元
を崩すことを厭いません。新鮮な提言をお願いします。(大会委員長・西山克)
◇特別講演「妖怪は柳田國男がつくった—『妖怪名彙』をよみなおす—」
化野燐氏
◇問題提起
◎「怪異から妖怪へ」西山克氏
◎「妖怪から怪異へ」京極夏彦氏【本会会員・作家】
◎「中世民衆における示現・託宣・夢告—潜在願望の表出と解釈—」
苅米一志氏【筑波大学大学院人文社会科学研究科助手・日本中世史】
◇公開シンポジウム
パネリスト:化野燐氏・京極夏彦氏・苅米一志氏
司会:西山克氏
◇大会総括
榎村寛之氏
第35回東アジア恠異学会研究会
○「地方文書に見る怪異—丹後国与謝郡温江村を事例に—」村山弘太郎氏
【要旨】
近世期における怪異の研究はこれまで、おもに随筆や刷物といった史料群が中
心的な素材として行われてきた。それら媒体にあらわれる怪異は、民衆の怪異観
形成に大きく作用したと考えられることから、その検討や位置付けは重要な課題
である。しかし、史料の性格から伝聞が中心となっていることは否めず、怪異に
対峙した民衆の「生」の声が伝わりにくいのではないだろうか。
また、地方文書に目を転じてみると、従来の近世史の研究体系では位置付けす
ることが困難であるため、人の目に触れることなく眠り続けている、地域社会に
おける怪異を伝える史料が存在することも事実である。
本報告では、現京都府加悦町温江地区に伝わる地方文書から、「当村百姓七郎
左衛門女房りへ与申者江玉宮大明神乗移り申聞候始末書」を紹介することで、近
世期の地域社会における怪異について検討してみたい。
○「亀卜考—怪異を説明する方法」大江篤氏
【要旨】
人は不可解な事象に遭遇したとき、その正体を探そうとする。そのための手段
の一つが卜占であった。古代の国家は卜占によって、怪異を判定し、怪異を認知
することで王権を安定させた。
たとえば「軒廊御卜」で神祇官と陰陽寮に国家の大事をうらなわせたのである。
そこでは、神祇官が行う亀卜が陰陽師の占いに優先するものであることはよく知
られている。ところが、なぜ亀卜が優越するのか、その実態については、伴信友
の研究以来不明の部分が多い。そこで、本報告では、伴信友「正卜考」を再読し
ながら、亀卜の実態に迫り、その技術者である卜部の性格を考えてみたい。また、
管見にふれた史料を紹介しながら、今後の亀卜研究の課題を示し、怪異学へのア
プローチを試みたい。
第34回東アジア恠異学会研究会
○「道仏宗教者の出生の不思議—あるいは神話と伝記」佐野誠子氏
【要旨】
中国の神話記述においては、神の出生について不思議な現象が記されていた。
このモチーフは、漢代における緯書説の流行を受け、歴代の帝王の正統性を示す
ための感生帝説話として利用された。更に降って南北朝時代の道教者や仏僧の伝
記を紐解くと、彼らの出生にまつわる不思議な記録が多く見られるようになるの
である。また興味深いことに、この傾向は道教、仏教ともほぼ同時期から始まっ
ている。
この道教者、仏僧の伝記に出生の不思議が記録されるようになった背景をさぐ
り、そこから、当時の神話と伝記の関係にまで考察をすすめてみたい。
○「貞観御霊会再考」久禮旦雄氏
【要旨】
本発表は以前、本学会において「天台密教と怪異思想」として発表し、今年山
形古代史サマーセミナーで「円珍・藤原良房と怪異思想」として報告した内容の
補遺となるものである。
「円珍・藤原良房と怪異思想」では神前読経の性質が貞観年間をもって変化し
た事を述べたが、貞観年間はそのほかにも神泉苑における貞観御霊会の開催と石
清水八幡宮の創建という、日本宗教史・思想史上特筆すべき出来事があり、既に
双方において藤原良房の関与が指摘されている。
本発表では、それぞれが従来の神観念・霊魂観念からすれば、むしろ「異例の出
来事」であったことを指摘した上で、その異例の出来事が発生し得た論理と結果
としての古代の神観念の変質について考察する。
第33回東アジア恠異学会研究会
○「古代における「過去」の創出—なぜプラトンはアトランティス伝説を語ったか —」庄子大亮氏
【要旨】
本発表では直接「怪異」を扱うわけではないが、「なぜ語られたか」という
観点から、古代ギリシアにおけるアトランティス伝説の意味を考察する。現代の
我々にとって一見非合理に思える神話・伝説がなぜ語られたのか、こうした観点
からならば、怪異研究にも何がしかの示唆を与え得ると考える。
アトランティスとは太古に大西洋上に存在した島で、栄華を極めたが、神罰に
よって海中に没したとされる。モデルが存在したのではないかとの解釈があるが、
伝説を記した前4世紀の哲学者プラトンの意図は、十分検討されてこなかった。
その意図を、古代ギリシア人の「過去」に対する意識とからめて論じたい。
さらに、神話・伝説解釈が照らし出す、西洋近代の合理—非合理をめぐる思想
史にもふれたい。その思想状況は、東アジアの怪異研究とも深く関係するであろ
う。
○「〈怪異〉としての魔女と王権—ジェイムズ1世『悪魔学』(1597)解読—」黒川正剛氏
【要旨】
16・17世紀の西ヨーロッパでは魔女裁判という現象が起こったが,今回の
発表では,魔女裁判における「魔女」を「怪異」として捉え,これと王権の関係
について考えてみたい。具体的には,近世イギリス王権と「怪異としての魔女」
の関係を検討する。17世紀初頭,イギリスのステュアート朝を開いたジェイム
ズ1世は,スコットランド王であった頃,自身の魔女体験を基にして,『悪魔学』
という書物を執筆した。今回の発表では,この書物の解読を通して,西欧文化圏
における「怪異と王権」の一側面を見てみることにしたい。
第32回東アジア恠異学会研究会
○「中世における印地について—京都を中心に」村上紀夫氏
【要旨】
印地については歴史学では網野善彦による研究があり、それを神意によ
るものであるとし、ユニークさ・反権力性、あるいは被差別民との関わりが強調
されてきた。しかしながら、網野は宗教性が薄れるとする中世から近世に懸けて
は具体的な史料に基づいた充分な検討をしていない。そこで、本報告では中世末
から近世にかけての京都と京都近郊の史料を検討することで印地について「神意」
とする通説を再検討していきたい。
第31回東アジア恠異学会研究会
○「中世後期根来寺勢力の宗教活動」」三好英樹氏
【要旨】
根来寺(和歌山県那賀郡岩出町)は、平安時代後期に僧覚鑁によって開かれた
真義真言宗の総本山である。戦国時代、その勢力圏は紀北・和泉・河内の三ヶ国
にまで及び、一つの政治的・軍事的権力として君臨していた。この隆盛は、紀北
・泉南地方の土豪層が次々と山内に坊院を建立し、根来寺を支える基盤となった
ことが大きな要因とされる。
本報告では、中世後期における根来寺勢力の和泉地方への浸透を、根来寺僧に
よる祈祷など呪術的宗教活動を通じて考察していきたい。
○「もう一つの明治維新—幕末維新期における怪異の諸相」戸田靖久氏
【要旨】
本報告は幕末維新期(主に弘化〜明治初期)の諸史料に見られる怪異現象を取
り上げる。「太平の眠りを覚ます蒸気船」がもたらした国際化の流れに直面し、
未曾有の混乱状態に陥った日本王権(特に朝廷)。その時期に発生した「春日社
神鏡落損」・「後醍醐陵鳴動」・「宮廷妖狐」等の怪異現象に対する彼らの視線
を、攘夷思想や孝明天皇が推進した皇威高揚政策等から考察する。そして維新後
に起きた伊勢神宮での怪異現象と、対応した明治新政府側の考察を通して、怪異
と国家をめぐるもう一つの「明治維新像」を模索する。
なお本報告を聞いて頂く際には、事前に幕末の政治史の流れを多少把握してお
いていただくと幸いです。そこで参考文献として家近良樹『孝明天皇と「一会桑」
—幕末・維新の新視点』(文春新書、2002)をあげておきます。
第30回東アジア恠異学会研究会
○「「泉鏡花作品における『ばけもの』−−中世文学の視点から」」田中貴子氏
【要旨】
泉鏡花の作品には、周知のようにいわゆる「ばけもの」を描いたものが多い。
従来の研究では、「ばけもの」を「妖怪」と称し、民俗学の理論を用いてそれら
を「異界」の者とすることがほとんどであった。しかし、鏡花は黄表紙の影響で
「妖怪」に「ばけもの」とルビを振っており、彼の意識では、あやしいモノたち
は「ばけもの」と呼ぶべきものであると思われる。
本報告では、それら「ばけもの」の登場する「草迷宮」「夜叉ケ池」「天守物
語」「高野聖」という主要作品を取り上げ、今まで指摘されてきた中国文学や江
戸文芸からの影響を踏まえながら、中世文学の視点から改めて読み解くことを試
みる。
まず第一に、今までは「アニミズム」と考えられていた植物や器物の怪を、中
世の付喪神と比較する。第二には、「ばけもの」である主人公の女性の特徴に注
目して、中世の本地物(神仏が前世にどのような生涯を送ったかを物語として語っ
た文芸)との共通点を指摘する。鏡花作品に能狂言の影響を見て取る論は多いが、
それだけではなく、さらに多くの中世文学からの影響が指摘されるであろう。
○「なぜ関羽は顕聖したか?──清朝皇帝の王権(君権)と版図をめぐって──」太田出氏
【要旨】
清代中国の軍事遠征に関する史料群を検討すると、小説『三国志演義』の英雄
・関羽がしばしば顕聖し、様々な神秘的現象を惹起して、清軍を勝利へと導いて
いることに気づく。しかもかかる報告に接した清朝皇帝は関羽の霊佑に感謝し、
国家祭祀を執り行い、封号を賜与したのである。では、なぜ関羽はかくも頻繁に
顕聖したのであろうか。
本発表では、関羽=神(関聖帝君)の顕聖を、清朝皇帝の王権(君権)と版図
(実効支配領域)との関わりから読み解いてみたいと思う。「仏教と儒教の二重
帝国」と称された清帝国の実像──宗教・驚異譚と王権・帝国像をめぐる問題─
─を再検討する。
第29回東アジア恠異学会研究会
○「「東窓」伝承の伝播と『怪談梅草紙』—伝承から怪談へ—」義田孝裕氏
【要旨】
関亭伝笑作『怪談梅草紙(かいだんこのはなそうし)』(文化4・1807年)
に、以下のような怪談が記されている。
河内国高安の話。自宅の窓を東向きに設けたところ、そこに「あやしきもの」
が現れ南向きに窓を変えよと言う。毎夜このようなことが起こるので、ついに南
向きに窓を変えた。すると、この「あやしきもの」は現れなくなった。それ以後、
高安では東に窓を開けるとわざわいが起こるとして、これを忌むようになった。
(第4話)
この「東窓」にまつわる伝承は、『河内鑑名所記』(延宝6・1679年)に
採録されており、近世のごく早い時期から当地において「わかれの水」などの名
所旧蹟と共に語られている。しかし、『河内鑑名所記』で述べられる「東窓」伝
承は本書にみられるような怪談ではなく、『伊勢物語』第二十三段の後半部であ
るいわゆる「業平の河内通い」あるいは「高安の里の女」に関連して記されてい
る。
本報告では、本書と在地に伝わる「東窓」伝承の相違点に着目し、『怪談梅草
紙』において怪談として再編されるまで、それはいかなる過程を経たのか、文献
・絵画資料をもとに示してみたい。また、『伊勢物語』第二十三段「業平の河内
通い」の近世期における享受についての考察も試みたい。
○「胆大小心録にみる上田秋成の怪異観」九鬼旭寿氏
【要旨】
上田秋成は、主に明和〜天明期の上方を生きた歌人、作家、国学者であり、彼
の著作、『雨月物語』は多くの故事来歴に基づき、人間の情念を含みながらも極
度に洗練された怪異小説として名高い。そんな彼の晩年の著作『胆大小心録』は、
人生経験や独自の悪口雑言を交えながら、当世の様子を多く書き綴った随筆であ
る。そこにはいくつかの「怪異」の見解を述べた節があり、彼の「怪異」に対す
る思想が伺い知ることができる。
懐徳堂に学んだと云われ、学主・中井竹山・履軒兄弟と交流のあった秋成は、
また本居宣長と「呵刈葭」論争を繰り広げたことでも有名である。儒学・国学が
興り、世界観を巡る言説論の争いの中で、秋成がもっていた「怪異」に対する思
想を、同時代の人物と比較しながら検証する。
第28回東アジア恠異学会研究会
○「『怪異学の技法』合評会」
斎藤英喜氏(仏教大学教授・民俗学)
佐野誠子氏(京都大学人文科学研究所助手・中国文学)
西山克氏(関西学院大学教授・日本中世史[本会代表])
第27回東アジア恠異学会研究会
○「院政期の摂関家における仏神事」矢吹香奈子氏
【要旨】
院政期、摂関家再興に尽力した藤原忠実は春日御塔唯識会などの仏神事を創始・
興行した。その仏神事に、主催者である摂関家は何を願ったのか。南都に新たに
造立した春日御塔と、摂関家本邸東三条殿において行われた仏神事をとりあげ、
院政期摂関家と宗教儀礼の関係を考察する。
○「護符とその縁起—温泉寺「果生」を中心として—」久下正史氏
【要旨】
有馬温泉寺の縁起は中世以降多様な展開を見せている。
その中でも近世の縁起で一つの位置をしめているのが「果生」
とよばれる護符の縁起である。この縁起の形成とこの護符の民
俗について述べたい。
第26回東アジア恠異学会研究会
○「城の怪異譚をめぐる研究−説話伝承とその社会文化的背景」南郷晃子氏
○「林羅山の知識体系 怪異からの考察」木場貴俊氏
第25回東アジア恠異学会研究会
○「見えないものの姿とかたち—聖者に付き従うものたち」近藤謙氏
第24回東アジア恠異学会研究会
○「下巻 三十八縁考—怪異への説明という実践」井熊勇介氏
第23回東アジア恠異学会研究会
○「日本中世の神観念と国土観」上島享氏
第22回東アジア恠異学会研究会
○「六朝志怪に見る怪異と身分」佐野誠子氏
○「怪異のポリティクスのための遠い覚書」西山克氏
第21回東アジア恠異学会研究会
○「災異から怪異へ—天台密教の役割を中心に」久禮旦雄氏
第20回東アジア恠異学会研究会
○フリートーク
第十九回東アジア恠異学会研究会
○「天狗信仰の生成と展開」酒向伸行氏
○「あやしの小屋—媒介者たちの中世・その2」西山克氏
第十八回東アジア恠異学会研究会
○「小町寺考」村上紀夫氏
○「金神考」土居浩氏
第十七回東アジア恠異学会研究会
○「安倍晴明「現象」—院政期のおける晴明イメージ」田中貴子氏
○「城と城主をめぐる怪異—姫路城オサカベ譚を中心に」南郷晃子氏
第十六回東アジア恠異学会研究会
○「中国六朝の史官と志怪—東晋中興期を中心に」大平幸代氏
○「近世書物に見る胎児観—元禄期前後の女子用書物を中心に」米津江里氏
第十五回東アジア恠異学会研究会
○「徳大寺家の家産と怪異」佐伯智広氏
○「西欧近世における<怪異>について‐驚異・科学・悪魔‐」黒川正剛氏
第十四回東アジア恠異学会研究会
○「長元の斎王託宣とその背景」榎村寛之氏
○「足利義政将軍宣下時における社会状況」家塚智子氏
第十三回東アジア恠異学会研究会
○「怪異文献DBの作成について」山田奨治氏
○「恠異学会版怪異データベースの具体的作業」
第十二回東アジア恠異学会研究会
○「活動報告その他」西山克氏
○「恠異学会版怪異データベースの現状と課題」戸田靖久氏
第十一回東アジア恠異学会研究会
○「近世怪異をめぐる一考察 儒仏関係から」木場貴俊氏
第十回東アジア恠異学会研究会
○「平安京の『鬼』−宮中に出た鬼の物語の背景」榎村寛之氏
○「中世の降臨伝承と神社組織—祇園牛王寺社を例に—」野地秀俊氏
○自由討論「怪異とは何か」
○2001年度東アジア恠異学会総括 西山克氏
第九回東アジア恠異学会研究会
○「南都の鬼追い行事−民具・周縁・空間−」福持昌之氏
○「天狗と中世における<悪の問題>」若林晴子氏
第八回東アジア恠異学会研究会
○「洛中「小社」繁盛神社考」村上紀夫氏
○「子取り尼再考」斎藤研一氏
第七回東アジア恠異学会研究会
○「中世王権と鳴動」西山克氏
○「コスモスとしての大地・身体と鳴動の波動」黒田智氏
○「音声怪異に見える【祖霊】と【子孫】のあり方」戸田靖久氏
第六回東アジア恠異学会研究会
○「雑談的懇話会」
○「文徳実録を中心とした変異記載に関する一考察」村上知美氏
第五回東アジア恠異学会研究会
○「陰陽寮と『祟』」大江篤氏
○「源頼朝をめぐる怪異」山田雄司氏
第四回東アジア恠異学会研究会
○「治療におけるヨリマシ」徳永誓子氏
○「雨をめぐる恠異」松倉明子氏
第三回東アジア恠異学会研究会
○「八、九世紀における疫神観−奈良末・平安初期を中心に−」井上和美氏
○「玄宗石碑はなぜ鳴いたか」戸田靖久氏
第二回東アジア恠異学会研究会
○「子取り尼考−日本中世の[疫病]と[妙薬]」矢吹香奈子氏
○「怪異関係史料の講読『建内記』−嘉吉辛酉改元と室町殿怪異」福田寛孝氏
第一回東アジア恠異学会研究会
○前近代の国家・王権・社会を読み解く方法論的ツールとしての恠異(恠は怪の正字)
西山克氏(東アジア恠異学会研究代表)による報告
*第27回以降の要旨がございます。
第26回以前の要旨はございません。ご了承くださいませ*